「あ、濡れる」と思った私と、飛び込んだ息子の話
ピッチャン、チャン。
雨上がりの宝物
雨がやんだあと。
道の端に、
大きな水たまりができていた。
私は、
「あ、まだ乾いてないな。」
そう思った。
でも息子は違った。
立ち止まった瞬間、
目が輝いた。
何かを見つけた顔だった。
私はただの水たまりを見ていた。
息子は、 宝物を見ていた。
しばらく水面を見つめる。
何を考えているんだろう。
そう思って見ていたら、
急にうれしそうな顔になった。
そして、
ぴょーん。
ビッチャン。
大きな水しぶきが広がった。
私が見ていたもの
私は反射的に思った。
「あ、濡れる。」
靴も。
ズボンも。
たぶん帰る頃には、
びっしょびしょだ。
洗濯が増えるな。
着替えがいるかな。
そんなことが頭をよぎる。
不思議だ。
子どもの頃は、 私だって飛び込んでいたはずなのに。
いつの間にか、
濡れないこと。
汚れないこと。
失敗しないこと。
面倒を増やさないこと。
そんなことを先に考えるようになっていた。
大人になるって、
できることが増えることだと思っていた。
でももしかしたら、
気にすることが増えることなのかもしれない。
息子が見ていたもの
でも。
その笑顔を見ていたら、
まぁ、洗えばいいか。
と思えた。
息子は、
濡れることなんて考えていなかった。
洗濯のことも。
着替えのことも。
帰った後のことも。
たぶん何も考えていない。
ただ、
楽しそう。
飛び込みたい。
でも私は思う。
子どもは何も考えていないんじゃなくて、
大人と違うものを見ているのかもしれない。
息子にとって水たまりは、
濡れる場所じゃない。
遊ぶ場所だ。
私が見ていたのは結果。
息子が見ていたのは可能性。
同じ景色なのに、
見えている世界が違った。
今しかないもの
ぴょん。
ピッチャン。
また、ぴょん。
ピッチャン。
楽しそうな笑い声が響く。
その姿を見ながら、
ふと思った。
もしかしたら子どもは、
「今しかない」
を本能で知っているのかもしれない。
明日になればなくなる。
太陽が出れば乾いてしまう。
だから今。
だから飛び込む。
大人は未来を考える。
子どもは今を生きる。
どちらも大切だけれど、
私は少しだけ未来ばかり見ていたのかもしれない。
子どもから教わること
翌日には、 その水たまりはなくなっていた。
でも息子はきっと、
また次の宝物を見つける。
虫かもしれない。
石ころかもしれない。
落ち葉かもしれない。
子どもはいつも、
世界の中から楽しさを探している。
私は最近、
楽しさを探す前に、
面倒なことを探していた気がする。
濡れるかもしれない。
汚れるかもしれない。
失敗するかもしれない。
でも、
やってみたら案外なんとかなることも多い。
あの日の水たまりみたいに。
日常を、物語に。
雨上がりの帰り道。
ただの水たまり。
でもそこには、
子どもだけが見つけられる宝物があった。
そして私は今日も、
そんな日常を拾い集めながら、
物語を書いている。
いいなと思ったら応援しよう!
もしこの記事を読んで、少しでも「ほっとした」「わかるな」と思ってもらえたら、チップで応援してもらえると、とても嬉しいです。
いただいた応援は、私の創作や発信を続ける力になります。
読んでくれて、本当にありがとうございました。