嫌いがきらいです
最近、みんな何かを一括りにして嫌いなものを論理的に嫌っているところをちらほら見る。
自分がそれを嫌いなことを誰かに認めてもらうんじゃなくて、嫌いなのはその部分なだけで、そのものを自分が認めてあげれば楽なのになとか思っちゃうよ。
嫌いってすごくエネルギーいるよね、何が嫌なのか探って、理由つけて、頭の中の嫌いポストに投函するみたいなもんでしょ。そんなんなら辞めちゃえばっておもうけど、できるならみんな辞めてるはずだよね。
でも私はやっぱり、嫌いが、嫌いです。だってその時点でシャッター閉めちゃうの、もったいない。全部を知ることなんで絶対できないのに、数個数十個の面を見ただけでそのものがだめみたいにするの、まだ知らなかったことがたくさんあるのに知るチャンス逃しちゃってるじゃんね。
だから、もしすごく嫌だなってことに出会っても、その部分が嫌なだけで、他は好きだと思うの。そしたらそのものは好きなまんまだし、自分が苦手なところだけ避ければいいだけでしょ。
それに私はもう立派な大人なので、嫌だなって思う前に緩やかにそこに心を向けないようにできるはず。
言葉って生きてると思ってる。言霊ってあると思う。ありきたりで綺麗事だけどそう思うんだ。だから言葉だけでいくらでも自分のこと最強にできるよ。
だからってポジティブシンキングにすぐなれないよね、わかる。だって自分のこと大事だから、自分について悩んでるんだもの。
みんな色々悩んで自分のことが嫌いだとか言うけど、それって自分がかわいいから自分について悩んでるってこと、気づいてないだけなんじゃないかな。
自分のことを可愛く思っていなければ、傷ついてもどうでもいいから悲しくなんてならないよ。みんな自分が可愛いことに気づくべき。あーそっか私ってかわいいのかー、かわいいなー、よしよし、ってなるべきだと思うよ。
何かを嫌いになりそうな時、や、ダメだこれは私可愛くない!って自制してる。それが一番効果的だったりする。
私だって本当は愚痴も言いたい。めちゃくちゃ捻くれてて天邪鬼だし卑しいし結構ずるいやつだと思う。でも友達にふわふわしてるよね〜って言われるのはその方が楽しいし楽だし、本当にふわふわしてる気分になるから。一種の洗脳だよね。でもその鍵が間違えて外れちゃったりするとぽろぽろ不細工な言葉が出てきちゃいそう。
こんなこと言うといつも表面上で取り繕ってる哀れな人みたいだけど、取り繕ってない人はいないはずだよ、なんなら自分にも取り繕ってるとおもう。
取り繕うって素敵なことだと思うよ。私、いとへんの漢字すきなの、どうでもいいね。ちょっとストレスかけてあげるくらいが人間ちょうどいいと思うの、マッサージのいた気持ちいいみたいなもんよ。は?って感じだね。
私これから、本当に嫌いなものに出会った時どうやって付き合っていこう。嫌いという自分の濁った感情を、怖がらないでいきたいな。
そもそも嫌いが嫌いと言っている自体で、矛盾しているのだけど。
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