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エミリーのパレット

クールビューティ

わたしの職場には、エミリーという女性がいる。
彼女との出会いは、五年前。
わたしが今の職場へ移ったときのこと。

彼女は、すっきりとした細身でロングの黒髪ストレート。
わたしは女性のまつ毛にうるさいが、髪の色艶にもうるさい。

エミリーの髪は、手入れの行き届いた艶のある美髪だった。
彼女が動くたびに揺れる髪は、まるでシャンプーのCMのようだった。

“クールビューティ”

それが、エミリーの第一印象だった。

新しく変わってきたこの職場は、実に緊張感に満ちていた。
以前いた職場とは、雰囲気が全く違っていた。

着任初日、早々にあるポジションを任された。

・・・噓でしょ!?
内心そう思いながらも、できないとは言えない。
前にいた職場とは、勝手が違う。それでもやるしかなかった。

___何だろう。この異様なまでの緊張感。
まるで、実技試験を受けているようだった。

エミリーは、わたしの心の動揺を見抜いたのだろう。

彼女は、わたしの隣からそっと温かくて柔らかい言葉をかけてくれた。
張り詰めた雰囲気と鋭い眼差しの間を潜り抜けて___。
彼女の説明は、簡潔明瞭でわかりやすかった。

そして、ちょこちょこと手を差し伸べてくれた。
張り詰めたこの空気の中で、エミリーだけは違う色を纏っていた。

数日後、彼女は半年前からこの緊張感の中を生きていることを知り、わたしは思った。

いつも隣に居てくれるこの人についていこう、と。


暫くして、わたしもなんとなくその場に受け入れられたような気がし始めた。

緊張感は残っていたものの、少しずつ空気が変わっていった。

背後から飛んでくるトゲトゲとした言葉も、ほんの少し丸みを帯びてきたように感じ始めた。
業務外の会話も増えたし、笑顔も垣間見れるようになった。
話してみれば、決して悪い人たちではないことはわかったけれど、それでもまだ入ったばかりのわたしは怯えていた。
この歳になっても、なかなか怯えていた。

エミリーは、そんなわたしの様子をきっとわかっていたのだろう。

時折、緊張をほどくような優しいトーンで声を掛けてくれた。

ほんの一言だったり、
何気ない会話だったり。

けれど、その存在は大きかった。

わたしの周りには必ず人の孤独に気づける人が現れる。
エミリーもまた、そんな色を持つ人だった。

もし、あの時エミリーがいなかったら。
わたしは、いまこの職場にはいない。


わたしが着任して半年程経った頃、
新しい方が入ると、再びあの緊張感が戻ってきた。

新しく来た"ちいかわさん"は、わたしよりも小柄で物腰も柔らか、そして見るからに繊細そうだった。

この緊張感に耐えられるだろうか・・・?
わたしは、この時の彼女の気持ちが痛いほどわかった。

時折、目に涙を浮かばせたあの日々の記憶が鮮明に蘇える。
そして、エミリーが差し出してくれた優しい手と言葉を思い出すこととなる。

わたしは、彼女の姿勢に倣う。
それが正しいあり方だと思うから。


会話を重ねていくうちに、エミリーのプライベートが少し見え隠れするようになった。

エミリーの年齢は、わたしの一歳年下。
ふたりの娘さんがいるママ。
わたしの子どもと同じぐらい。
食べ物の好みもどこか似ている。
そして、Googleナビで迷子になる!!

親近感が一気に増した。
偶然だが、わたしの地元のこともよく知っていたし、
地元の方言なんかの話もしてくれたり、
エミリーは、あの場の空気を変えられるスゴ腕の持ち主だった。

そして、日に日にうっすらと見え隠れする新たな色。
わたしは、見つけてしまったかもしれない。

わたしの周りには、なぜか不思議な魅力を持つ人が現れる。
エミリーもまた、そんな色を持つ人のような気がした。

わたしはまだ知らない、この後に、決定的な出来事が待っているなんて。


天然発覚

ある日、職場のお食事会が開かれることになり、
わたしたちは、美味しいカニ料理のお店へ連れて行って頂いた。
この職場でも、コロナ禍の影響で数年ぶりとなったお食事会だった模様。

案内された個室には、テーブル席が二つに分かれていた。
わたしは、エミリーと同じテーブルに座った。
もちろん、ちいかわさんも一緒に。

向こう側のテーブル席は、慣れ親しんだメンバーが集まったのだろう。
既に会話が盛り上がっていた。

こちらのテーブルは、皆が少しずつ緊張している。
皆の緊張が重なり合って、ぎこちなさが漂っていた。
誰か何か話題をください。と心の中で思いながら。
皆がそこに笑顔を装い静かに座っていた。

会食が始まり、わたしはひとり探偵ごっこを始めた。
エミリーのクールビューティの奥に隠されたあの色の証拠を掴みたい。
わたしは密かに、エミリーに"ある疑惑"を抱いていた。

そして、この後わたしは、確かな証拠を掴むことになる___。

しばらくして、職場の責任者の方が何気なく尋ねた。

「エミリーさんは、どんな食べ物が好きなんですか?」

すると、エミリーは何の迷いも躊躇いもなく即答した。

「水分です!!」

・・・

水分?

一瞬、時が止まった。
こちら側のテーブルだけに起こったタイムストップ!

焼肉でもない。
お寿司でもない。
ラーメンでもない。

水分だった。

エミリーは、いたって真剣だった。
どうやら冗談ではないらしい。

わたしは、掴んだ。決定的証拠を。しかも、証人は複数いる。
やはり、エミリーは天然だった。

だが、後になって思う。
これはまだ序章だったのだと。



それは、エミリーが雑談の中で、ある出来事を話してくれた日のこと。

エミリーは家でお湯を沸かそうと、電気ケトルに水を入れた。
そして、電気ケトルのスイッチを押した。

完璧だった。
あとは、お湯が沸くのを待つだけだった。

・・・

「あれ?なんだか遅いなぁ……」
いつまで経っても、あの「カシッ」という終了音が聞こえない。

不思議に思ったエミリーは、キッチンへ戻った。

__ない。
ケトルがない。
電気ケトルが消えた。

ここまで聞いた時点で、わたしの期待値はすでに最高潮だった。


そして、ついに真実が明かされた。

エミリーは、電気ケトルに水を入れた。
次に、電気ケトルをIHコンロの上に置いた。
そして、電気ケトルのスイッチを入れた。

つまり彼女は、
電気ケトルをIHコンロの上に置き、電気ケトル自身に頑張ってもらおうとしていたのである。

可愛すぎる。これは反則だ。
もう胸キュン案件じゃないか。

わたしは確信した。
エミリーは、やはり天然だった。
しかも、かなりの大物だった。

クールビューティの奥に隠されていた色は、天然という色だった。

とりわけ、わたしの周りには天然さんが多い。
そして、不思議なことに、天然さんはいつも幸せを運んでくる。
エミリーもまた、その特別な色を持つ人だった。


こさるの衝撃

エミリーのパレットは、どうやら単色ではない。
わたしは、またひとつ新しい色を見つけてしまった。

ある日の雑談で、彼女は休日の過ごし方について話してくれた。
その時、わたしは初めて耳にする言葉に出会った。

「こさる」

こさる?

コサル?

子サル?

おさる🐒?

わたしの頭の中では、すでに子猿が踊り始めていた。
しかも、かなり楽しそうに。

しかし、__違った。
エミリーの言う「こさる」は、おさるではなかった。
スポーツとは無縁に生きてきたわたしの辞書に、その言葉が載っていないのも無理はない。

どうやら「こさる」とは、個人参加型フットサルのことだった。


ワープする人

わたしは、「こさる」の衝撃とともに、エミリーが本格的なスポーツ女子だということを知った。
学生時代は、ずっとハンドボールを続けていたそうだ。

ハンドボールって、あれだ。
球技なのに、時々格闘技にも見えるやつ。

・・・・なるほど。

この話を聞いて、わたしの頭の中で新たに繋がったことがあった。

エミリーの、あの異常なまでのフットワークの軽さだ。
彼女のフットワークは、もう空を飛べるレベルで軽い。
反射神経、瞬発力、そして行動力。

同世代とは思えない。
とにかく、立ち上がりが早い。

わたしが、「あ。行かなきゃ。」と思った時には、もうエミリーはそこにいる。

ワープだ。

あれは、もう瞬間移動である。
もしかしたらエミリーは、ドラえもんの四次元ポケットとどこでもドアまで持っているのかもしれない。



それから時は流れ、職場の空気は少しずつエミリーの色に染まっていった。

もうあの試験会場のような空気はすっかり消えている。

そして、わたしはまた新たな色を見つけた。

エミリーには、おそらく「キレッキレモード変換オートセンサー」が搭載されている。

その切り替わりの速さは見事なものだ。

ほんわりとしているかと思えば、
突然、別人のようにテキパキと仕事を片付け始める。

わたしが「やらなきゃ」と思った時には、
すでにエミリーは仕事を終えている。

またしても、ワープである。

そして何より、彼女は姉御肌の持ち主だった。
わからないことや困ったことがあれば、みんながエミリーのもとへ集まってくる。
それらの相談は、軽々と部門の垣根を越えてもやって来る。

わたしは何度も思った。

ああ、この人は天然なのに、なぜか最後にはみんなの拠り所になる人なんだな、と。

困った時には真っ先に声が掛かる。
誤魔化さない。
わからないことは、そのままにしない。
気づけば、誰よりも勉強している。

エミリーのパレットは、やはり単色ではない。
わたしはもう、エミリーのパレットにある色の数を数え切れなくなっていた。
けれど、どうやらそのパレットには、
まだ見つけていない色が残っているらしい。

わたしの探偵ごっこはまだまだ続くようだ。


琥珀色の才能

エミリーのパレットには、まだまだ隠された色があった。

それは、おそらく琥珀色である。

コストコの箱入りモヒートや、コックをひねれば注げる箱入りワイン。
あの便利な箱型のお酒たちは、
エミリー家のキッチンカウンターに置かれると、
気づいた時には、驚くほど軽くなっているらしい。

瓶ビールは、ジョッキとセットで注文する。
そして、注ぐのがとても上手い。
エミリーの隣に座ると、自分のグラスが空になることはない。
気づけば、グラスはいつも満たされている。

まるで、わんこそば方式のビールである。

更に彼女は、生ビールの味がサーバーによって変わることを知っている。
わたしには正直、その違いはよくわからない。
しかしエミリーは、その違いを語れる。
しかも、日本酒もたっぷり飲めるし、これもまた語れる。

驚くべきは、これだけ飲んでも二日酔い知らずだということ。

……え?

エミリーは、かなりの酒豪だった。

「水分です。」この言葉がふいに蘇る。

衝撃だらけだけれど、わたしがエミリーの色を思い出す時、
一番最初に浮かぶのは天然色でも琥珀色ではない。

あの日、張り詰めた空気の中で、隣に立ち、人の孤独に気づいてくれた人の色だ。

そして、わたしはまだ知らなかった。
エミリーのパレットに、もうひとつ大切な色が加わろうとしていることを。


まだ知らない新しい色

優しさや明るさ、天然な可愛らしさ。
時々びっくりするほどキレッキレに動く頼もしさ。
いろんな色が重なり合って、彼女だけの素敵な色をつくっている。

エミリーは、いつだってふたりの娘さんへの気遣いを大切にしている。
娘さんたちは大人に近づき、それぞれ手が離れていく。
目が届く場所に居なくとも、心はずっと彼女たちから離れない。

そんなエミリーが、いま、目の前で新しい命を育んでいる。
もうすぐエミリーのパレットに、新しい色が加わろうとしている。
再び、母になるという色だ。

一歳しか違わないエミリーのお腹が、日ごとに大きくなっていく。

わたしたちの年代になると、新しい命を授かるということが、
どれほど尊く、そして奇跡のようなことなのかを、自然と考えるようになる。

天然で、スポーツ万能で、酒豪で、姉御肌。
どれも確かにエミリーの色だ。

けれど、わたしにとってエミリーは、やはりあの日、張り詰めた空気の中で隣に立ち、人の孤独に気づいてくれた人だ。

いくつもの色を持つエミリーのパレットには、いま、まだ誰も見たことのない新しい色が静かに加わろうとしている。

その色が、どんな色なのかは、まだ誰にもわからない。

いよいよエミリーが、月曜日から産休に入る。
職場のみんなの「いってらっしゃい」と、「元気に帰ってきてね」をたくさん抱えて。

わたしの探偵ごっこは、どうやらまだ終わりそうにない。

きっと、産休から戻ってくる頃には、また新しい色を増やしているのだろう。わたしの予想の斜め上をいくエピソードを抱えて。

……だって、エミリーだから。


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