序章 派遣から正社員へ、GX時代の新フロンティア 【GXキャリアハック】
GX会議で戸惑う派遣社員・美咲
「田中さんも参加してもらえますか?」
中堅商社の総務部で一般事務派遣として働く田中美咲(28歳)は、上司の佐藤課長から突然声をかけられた。
「え、私が...ですか?」
美咲の心臓が少し早くなった。派遣社員が会議に呼ばれるのは、大抵は議事録作成のため。でも今日の佐藤課長は、いつもより真剣な表情をしている。
「はい。GX推進チームの会議なんですが、議事録をお願いしたいんです。正社員はみんな忙しくて手が回らなくて」
美咲は慌てて頷いた。GX。最近よく耳にする言葉だが、正直よくわからない。グリーン何とかの略らしいが、具体的に何をするものなのか...。
会議室に入ると、各部署の部長クラスが10名ほど集まっていた。美咲は隅の席に座り、いつものようにノートパソコンを開いた。派遣2年目、議事録作成には慣れている。けれど、今日は何かが違う空気を感じた。
「それでは、2030年目標に向けたカーボンニュートラル推進について検討を始めます」
総務部長が口火を切った瞬間、美咲の頭の中は混乱した。冒頭から専門用語のオンパレードだった。
「まず、スコープ1(自社の直接排出)とスコープ2(購入電力による間接排出)の現状把握から...」
「RE100(再生可能エネルギー100%宣言)への対応も検討が必要です」
「SBT(Science Based Targets:科学的根拠に基づく目標設定)の認定取得は?」
「TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)への対応も急務ですね」
美咲は必死にメモを取ったが、まるで外国語を聞いているようだった。カタカナと英語の略語が次々と飛び交う。これがGXなのか...
しかし、会議を聞いているうちに、美咲はあることに気がついた。胸の奥で、小さな違和感がチクチクと刺すように感じられた。
出席している正社員たちも、実はよくわかっていないのではないか?
「うちの事業でCO2削減って言われても...」営業部長が困惑した表情で呟く。その顔は、美咲が感じている混乱と同じものを映していた。
「競合他社はどうしてるんですかね?」製造部長も首をかしげる。
「とりあえず外部コンサルに相談しますか?」総務部長の提案に、皆が安堵したように頷く。
美咲の胸に、意外な発見による小さな興奮が湧き上がった。みんな「GXが大事」ということは分かっているけれど、具体的に何をすればいいのか誰も知らない。そして、わからないまま会議が進んでいる。
これまで美咲は、正社員の皆さんは何でも知っていて、自分は「わからないことが当然」だと思っていた。でも今日は違う。みんな同じスタートラインに立っているのではないだろうか?
会議後、美咲は佐藤課長に議事録を提出しながら、勇気を出して尋ねた。
「課長、GXって具体的には何をすることなんでしょうか?」
佐藤課長は苦笑いを浮かべた。その表情に、美咲は親近感のような温かさを感じた。
「正直、私もよくわからないんだ。でも政府が2050年カーボンニュートラルって言ってるし、取引先からも対応を求められるし...とにかく何かしなければならないのは確かなんだよ」
課長も、わからないんだ。
美咲の中で、何かが静かに動き出した。
「誰もGXをわかっていない」現実との出会い
その夜、美咲は自宅のリビングでノートパソコンを開いた。いつもなら韓国ドラマを見ている時間だが、今日は違った。昼間の会議で感じたモヤモヤが、どうしても気になって仕方がない。
「GX グリーントランスフォーメーション」とGoogle検索窓に打ち込んだ。
検索結果を見ると、政府のサイトや大手企業のプレスリリースが並んでいる。最初の記事を開いてみた。
GX(グリーントランスフォーメーション)とは、脱炭素社会の実現に向けて、企業が事業活動や経営を変革する取り組みのことです。
「なるほど...」美咲は画面を見つめながら呟いた。
記事を読み進めるにつれ、昼間の会議での正社員たちの反応が理解できてきた。GXは確かに重要だが、あまりにも新しい概念すぎて、多くの企業がまだ手探り状態なのだ。
スマートフォンのニュースアプリを開くと、GX関連のニュースが次々と目に飛び込んできた。
「○○商事、2030年カーボンニュートラル宣言」 「□□製造、GX推進室を新設」
「△△銀行、ESG投資ファンドを拡大」
みんな必死に取り組もうとしているけれど、具体的に何をすればいいのかわからない—そんな企業の姿が浮かび上がってきた。
翌日、美咲は派遣会社の営業担当である山田さんと、いつもの定期面談があった。普段は雑談で終わることが多いが、今日は美咲の方から質問してみた。
「山田さん、最近どんなお仕事の依頼が多いんですか?」
山田さんは資料を見ながら答えた。
「そうですね...実は最近、『GX関連業務ができる人』という依頼が急激に増えてるんです」
美咲の心臓が跳ねた。
「GX関連業務ができる人、ですか?」
「はい。でもね」山田さんは困ったような笑顔を見せた。「そんなスキルを持ってる派遣スタッフはほとんどいないのが現実なんです」
「GX関連業務って、具体的にはどんな?」
「温室効果ガスの排出量計算とか、ESGレポートの作成とか、サプライチェーンの脱炭素対応とか...。でも正直、私たちもよくわからないんです」山田さんは苦笑いした。
美咲の胸の奥で、何かが静かに膨らんでいくのを感じた。これは、もしかして...
「つまり、企業はGXの人材を求めているけれど、そのスキルを持つ人がいない、ということですか?」
「まさにその通りです。需要はあるのに、供給が全然追いついてない状態です」
美咲の頭の中で、パズルのピースがカチッとはまった音がした。
これは大きなチャンスかもしれない。
企業はGX人材を求めているが、正社員にはそのスキルがない。派遣会社にもGX人材はいない。でも、需要は確実にある。そして何より、みんなゼロからのスタートだ。
「つまり、もし私がGXのことを勉強して詳しくなったら...」美咲の声は、自分でも驚くほど弾んでいた。
「それはすごいアドバンテージになりますよ!」山田さんの目が輝いた。「特に田中さんのように事務スキルがしっかりしている方なら、GXの知識があれば引く手あまたになるでしょうね」
美咲の胸に、今まで感じたことのない高揚感が湧き上がった。これなら私にもできるかもしれない—そう思えた瞬間だった。
派遣社員こそブルーオーシャンを泳ぐ先駆者
その週末、美咲は近所の大型書店に向かった。ビジネス書のコーナーで、GX関連の書籍を何冊か手に取ってパラパラとめくってみる。
『カーボンニュートラル入門』『ESG経営の実践』『脱炭素経営のススメ』...
タイトルを見ただけで身構えてしまいそうな本ばかりだったが、実際に中身を読んでみると、意外にも理解できそうな内容だった。
「思ったより難しくないかも...」
美咲は3冊の本を購入し、カフェで読み始めた。コーヒーを飲みながら1時間ほど読み進めると、GXの基本的な仕組みが見えてきた。
そして、重要なことに気がついた。
GXは「新しいルール」で動いている分野だということ。
これまで美咲が見てきた日本企業のやり方—年功序列や稟議制度、数年おきのローテーション人事—では対応が難しい分野なのだ。なぜなら、GXには専門知識とスピード感が必要だから。
一方で、欧米企業について書かれた記事を読むと、「ジョブ型雇用」という働き方が主流だと書いてあった。「この仕事をやる人」として採用され、専門性を深めていく。GXのような新分野でも、必要なスキルを持つ人材を外部から獲得し、すぐに実践に移すことができる。
美咲はカフェの窓の外を見つめながら考えた。もしかして、派遣社員の方が有利な分野なのかもしれない...
なぜなら、派遣社員は最初から「この仕事をやる人」として働いているから。営業事務なら営業事務、経理なら経理として、その道のプロフェッショナルになることが期待されている。正社員のように「とりあえず配属」されて、数年後に別の部署に異動することもない。
つまり、派遣社員は日本にいながら、すでに欧米型の働き方を実践している存在なのだ。
そして今、この「ジョブ型」の働き方こそが、GX時代に最も求められている。
月曜日、美咲は会社で同僚の派遣社員である佐々木さん(35歳)と昼休みに話をした。
「佐々木さんって、どのくらい派遣で働いてるんですか?」
「もう10年以上かな。経理一筋でやってるよ」佐々木さんはお弁当の蓋を開けながら答えた。
「正社員になりたいって思いませんか?」
「思うけどさ」佐々木さんは少し寂しそうな表情を見せた。「この歳で正社員は厳しいよ。特に未経験分野は無理だし」
美咲は胸が痛んだ。佐々木さんのような優秀な人が、「派遣だから」という理由で諦めなければいけないなんて。
「佐々木さん、もし経理の知識を活かして、企業の脱炭素経営をサポートする仕事ができたらどうですか?」
「えっ?」佐々木さんの箸が止まった。
「GXって、結局は企業の数値管理が重要なんです。CO2の排出量を正確に計算して、削減目標を設定して、進捗を管理する。これって、経理のスキルそのものじゃないですか」
佐々木さんの表情が、パッと明るくなった。
「なるほど...そういう見方もあるのか」
「多くの派遣社員が『派遣だから』という理由で諦めている。でも、GXという新分野では、経験者なんて誰もいない。みんなゼロからのスタートなんです」
その日の午後、美咲は自分のデスクで、さりげなくGX関連の資料を読んでいた。隣の席の正社員・林さんが覗き込んできた。
「田中さん、それ何読んでるの?」
「GXについて勉強してるんです。この前の会議で聞いて、興味を持ったので」
「すごいね」林さんは感心したような表情を見せた。「私、あの会議全然わからなかった。田中さんの方が詳しくなりそうだね」
美咲の心の中で、確信が固まった。
今こそ、ブルーオーシャンを泳ぎ始める時だ。
多くの人がまだGXを理解していない今だからこそ、少しでも早く学び始めた人に大きなアドバンテージがある。特に派遣社員は、その柔軟性と専門性追求の姿勢を活かして、正社員よりも速くGX人材になることができる。
「派遣だから無理」ではなく「派遣だからこそチャンス」。
美咲は手帳にそう書き込んだ。新しいキャリアへの挑戦が、今始まろうとしていた。そして何より、この挑戦は美咲一人のものではない。多くの派遣社員にとっての希望の光になるかもしれないのだ。
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