生権力について(2)健康は私たちの至上価値なのか?
生権力は,人間の生命や身体を権力の対象として統治する力のことですが,それは「健康を保つため」とか「健康で長生きするため」とか,誰でもすぐに信じてしまうような言葉で働きかけてきます。「天国に行くため」とか言われても,今では,ほとんど誰もついて行かないでしょうが,「健康のため」となると喜んでついていく人が後を絶ちません。しかし,それが医療制度としてシステム化されてしまうと,今度はそこから逃れるのは大変難しくなります。これが現在の私たちの姿です。
しかし,健康や長生きを目標とすることは,問題のあることなのでしょうか?「健康が大切」とか「健康が一番」という言説は,巷にあふれていて,誰も疑問にも思わないかもしれません。健康雑誌は何冊あるか分からないほど出版されていますし、健康情報はネットにも溢れています。しかし,「健康のために生きる」となるとそれは根本的に矛盾していて,健康は目的ではなく,生きるための手段にすぎません。手段が目的に変化しまうと,人間は簡単にそれに支配されてしまいます。なぜなら,目的を失うからです。
この健康や生命を至上の価値とする考え方を厳しく批判する哲学者にジョルジョ・アガンベンがいます。アガンベンは,「ブルジョワ民主主義の伝統においては権利であった市民の健康が,人々の気づかぬうちに,いかなる対価を払っても果たすべき法的-宗教的義務へと転倒してしまっている」と主張します。そして,「生命を失うかもしれないという恐怖を基礎として創設されるのは暴政だけ」と言って,現在のパンデミック状況の政治を厳しく批判するのです(ジョルジョ・アガンベン『私たちはどこにいるのか?政治としてのエピデミック』青土社)。
それでは生命や健康を至上の価値とすることは,なぜ問題なのでしょうか。この点について,アガンベンは,「身体的な生の経験と精神的な生の経験はつねに,互いに分離できない仕方で一つにまとまっていたが,私たちはそれを,一方の純粋に生物学的な実体と,他方の情感的・文化的な生とに分割してしまった」と説明します(同上書)。
つまり,生命や健康だけを重視するということは,人間の尊厳である精神性を排除してしまう危険性を持つのです。そうなると人間は他の動物と何も変わらなくなるでしょう。しかも,永遠の生命は絶対に達成されない目標ですので,それを目的にするということは,永遠に生権力から逃れられないということを意味します。
生権力が,そのように強力で人間の尊厳まで損ねるような力なら,人間がそれに気づいて反抗しそうなものです。しかし,実態はその逆で,ほとんどの人間は,「健康になりたいから」とか「長生きしたいから」という単純な理由で生権力の傘下に自ら進んで入っていくのです。その結果,不要な治療を受けて亡くなってしまう人が後を絶たないのですが,それを怒るどころか,そこまで延命できたことを悦ぶようになってしまうのです。
しかし,このようなプロセスを繰り返すことで,人間の尊厳が少しずつ切り崩されていくことに自覚的でなければなりません。尊厳は自由と同じで,一度失うと簡単に元には戻らないものですから。
