見出し画像

生権力について(3)科学との共犯関係

 それでは生権力はどのようにして、その権力を拡張していくのでしょうか?もちろん、警察や軍隊のような目に見える暴力を使う場合もありますが、物理的な暴力は人間を統制する手段として非常に効率が悪いので、できれば他の方法を通じて統制する方がベターです。その手段として一番好都合なのが「科学」と総称される知のシステムです。

  科学は,部外者からみると,真理を追究する純粋な活動とみられているかもしれませんが,実際にはそんなことはありません。科学者は一人では研究できませんから,科学者同士で様々な組織を作っています。大学や学会はその典型です。組織ができると,それを運営するための資金が必要になります。資金を出す論理と科学の論理は当然異なりますが,資金がなければ科学は続けられないので,どうしても資金つまり権力に従う構造ができあがってしまいます。

 このときに権力が賢明な判断をして,科学に完全な中立性を与え,科学者も不偏不党を貫く強い信念があれば、真理の探究としての科学の営みが実現できるかもしれません。しかし,現代の科学者に人格を鍛錬するプロセスはなく、ますます狭くなる専門知識の世界だけで生きているので、権力に抗する力を持っていません。権力は,そこを突いて自らに都合のよい「科学的証拠」だけを利用して,自らの権力をますます拡張させていくのです。このことを、フーコーは「権力と知の共犯関係」と呼びました。

 実際に,生権力は,医学や薬学のような健康に関する自然科学だけでなく,経済学や社会学のような社会科学も使って,社会全体を統治するシステムを巧妙に作り上げています。医学と健康保険制度はセットとなって,生権力の強固な基盤となっています。

 もちろん,生権力は,健康を通じて人間の身体に介入して,人間社会を統治することが目的ですから,人間をある程度健康にしてくれる面はあります。どのような権力も悪い面だけではなく,良い面もたくさんあります。しかし,健康に関しては極めて強い一元的価値観を強要してくるので,そこに自由はありません。独裁国家が,独裁者の価値については,一切の反論や議論を許さないのと同じです。

 現在の生権力は,その独裁制を極限にまで強めようとしています。そして,すでに地球上の過半数の人間がそれに賛成しているようです。しかし,それによって失われる自由はとてつもなく大きいと私は思います。そして,もし、生権力が間違っていたら,もはや人類は回復不能になってしまうかもしれません。生権力と言えども,結局は人間の知識が担っているわけで,人間の知識には大きな限界があるのですが,権力は決して自らの限界や失敗を認めませんから,暴走するととても危険です。



いいなと思ったら応援しよう!