生権力について(1)近代社会の統治機構
「生権力」という言葉を聞かれたことはあるでしょうか?生(なま)の権力という意味ではなく,人間の身体や生命を統治しようとする権力のことです。生権力に支配された政治は生政治と呼ばれます。これは,20世紀を代表する哲学者ミシェル・フーコーが主張した近代社会を統治する権力の最終形態です。
普通,「権力」というと,誰か権力者いて,彼/彼女らがそれを行使していると考えがちですが,フーコーが考える近代社会の権力は,特定の誰かの権力ではなく,誰が指導的立場になっても変わることなく,指導者も含めてすべての人間を統治する匿名の権力です。したがって,指導者が誰になっても,何も変わりません。まさに,今の日本がそうです。
私たちは,誰かが監視していなくても,法律や道徳などの社会的規範を守って行動しています。近代社会に生きる人間は,このように規律に従った行動を行うように訓育され続けており,フーコーは,そのような人間を自分自身の内部から動かす権力を「規律的権力」と名付けました。生権力は,この規律的権力の対象が,人間の身体や生命に向かったもので,フーコーは,「人間の存在,行動,行為,身体が18世紀以来,ますます強力で大規模な医療の網目のなかに組みこまれており,その網目から逃れられるものはしだいに少なくなってきた」と説明します(『フーコー・コレクション6生政治・統治』ちくま学芸文庫)
しかも,この生権力は経済(資本主義)と密接に結びついて,人間の身体を経済発展の場にして,ますます膨張してくようになっています。「資本主義社会にとって何より重要なのは生政治的なものであり,生物学的なもの,身体的なもの,肉体的なものです。身体とは生政治的な現実であり,医学とは生政治的な戦略にほかなりません」(同上書)。
たとえば,私たちの多くが何気なく受けている健康診断は,健康な(つまり何ら病状を感じていない)人間に,検査という形で介入し,正常値の範囲以外の人間をすべて「病気」と判断して治療する,「健康な人間」を治療するためのシステムとして機能しています。しかも,病状はないわけですから,完治したかどうかの決定も医者(医学)の思いのままです。健康診断は,その背後に広がる医療保険制度につながった一連のシステムの一部に過ぎず,そこに巨大な経済が動いていることは自明のことです。
生権力は自らの権力の行使を,「あなたの健康のため」という,すぐには否定できない言葉を使って,身体に入ってくるので,普通の思考をしている限りは簡単に抵抗できない仕組みになっています。健康診断の数値に一喜一憂する姿はまさに飼いなされた人間そのものです。これは,前近代社会で人間を縛っていた「天国に行くための規範」と何が違うというのでしょうか。
権力も経済も膨張しなければ維持でない特徴を持っています。しかし,無限に膨張することはできませんから,必ずどこかで破裂します。そして,またゼロから新しいスタートを切るということを,人類は繰り返してきました。現在は,その最終局面に突然突入してしまったのではないでしょうか。このような緊迫した事態の下では,本当の敵がどこにいるのかを見誤ると,人類は取り返しのつかないダメージを受けてしまうことになりかねません。
