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生権力について(4)暴走は止められるのか?

 人類が生み出した史上最強の権力システムである生権力が,人間の身体を介して,ついにウイルスとの全面戦争に突入したのではないでしょうか。私には,現在の状況がそのように見えます。

 生権力は,病気から人間を守ることを目的のように見せかけて,実は,人間を最も深いところから統治することが目的ですから,病気そのものを撲滅することを目指していません。むしろ,病気を作り出して,それを治療するというマッチポンプ的なプロセスを通じて,膨張してきました。「早期発見、早期治療」はその典型です。もちろん,そのおかげで人類の寿命が延びた面もあるかもしれませんが,自由を束縛されて寿命だけ延びても,それが善いことはかどうかは議論が必要でしょう。

 しかし,全人類が罹患する可能性があって,致死率も低くない感染症が世界的に蔓延してしまうと,生権力としてはこれを封じ込めに行かなければなりません。これは,独裁国家が,外国から攻められて反撃するようなものです。生権力と言えども,今回の相手は未知のウイルスなので,勝つか負けるかの厳しい戦いを強いられます。もし,負ければ権力の座から引きずり降ろされるかもしれませんが,勝つことができれば,より完璧に人間を統治することができるのですから,手段を顧みない戦いになることが予想され,まさにそうなってしまっています。

 戦い方において,敵の襲撃を防ぐことと,敵を殲滅することは全く違います。もちろん,防御するよりも,攻撃するほうが何倍も労力を使います。薬は防御であり,ワクチンは攻撃です。どちらが有効かは慎重に吟味されないといけないのに,現在は攻撃一辺倒のようです。しかし,疾病に挑みかかる方法は,試みが達成されなかったときが悲惨であると,種痘についての歴史研究で知られる香西豊子は指摘しています(香西豊子「21世紀の疫因論」『現代思想』2020年5月号)。

 現在の形勢は,生権力が予想以上に苦戦していると言えるでしょう。当初の楽観的な想定とは全く異なる状況が次々と世界中で現実化しています。これからどうなるかも全く不透明です。戦争に勝てないときは,痛手を少しでも小さくするために,早めに撤退して,方針を転換することが鉄則です。負ける戦を長引かせると,深手を負うだけです。私たち日本人は,それを痛いほど経験しているはずです。

 しかし,生権力は,近代社会の基盤として制度化されてしまっているので,そう簡単に撤退することはできません。撤退するということは,自らの権力を弱めることだからです。むしろ,不利になればなるほど,なりふり構わず,突き進もうとします。生権力は,人間ではないので,人間がいくら死んでも,それでシステムが強化されるなら,全くお構いなしです。今,私たちが目の前にしている現実は,そのようなものです。

 知見も識見も高くなく人脈が広いだけの凡庸な政治家や,学歴だけが高く特定の領域で長く研究してきただけの凡庸な専門家が,この生権力の暴走を止められるわけがありません。彼/彼女らは,生権力の都合のよい道具にすぎません。実際に,このような人々は,権力に守られて,無能なほど長く生き延びられるような世界に生息しているのです。有能だと,すぐに粛清されてしまいますから。したがって,生権力が暴走してしまうと,政治家や専門家はそれを止めるどころか,必死でその後押しをするようになります。

 それでは,私たちが生権力と闘う方法は,もう残っていないのでしょうか。生権力との闘いは,独裁権力との闘いであり,全体主義との闘いです。したがって,これまでの人類史での全体主義との闘いが参考になるはずです。この点では,ナチスドイツのユダヤ人収容所から脱走しアメリカに亡命した哲学者ハンナ・アーレントの一連の著作が大変参考になります。


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