全体主義に対抗する(1)生権力と闘うには
生権力が全体主義であることは,生権力が,健康や生命に関する主張について,開かれた議論を求めず,異論を徹底的に排除するその姿勢から明らかになるでしょう。これは独裁国家において,国家への批判が厳しい取り締まりの対象になっていることと同じ構図です。
しかも,取り締まるのは国家権力だけでなく,民間の力を借りるところまで同じです。独裁国家では内部告発という民間からの情報提供が非常に強力な武器になっています。現在は,マスコミやSNSまでもが,生権力の手先となって異論を徹底的に排除しています。排除するだけでなく,反対の意見を述べただけで「デマ」というレッテルまで張り,その背後には「国民」の共通の敵がいるという「陰謀論」まで流しています。
このように全体主義では,体制に反対する意見や人間を徹底的に排除します。場合によっては、仮想の敵まで作り上げて攻撃しようとします。独裁国家なら,逮捕,監禁ひどい場合は処刑など,身体に及ぶ刑罰も多用しますが,さすがに生権力はそこまではあまりないようです。しかし,一部の国ではデモをする人々に暴力が加えられており,生権力が追いつめられるとどのような行動に出てくるか予断を許しません。違反者への罰金もかなり高額になってきています。
では,全体主義の体制では,なぜ,自由な議論を抑圧し,このように異論を厳しく取り締まるのでしょうか。これは,宗教が社会を支配している時代に,異教徒を徹底的に排除しようとしたのと同じで,異論の中に全体主義を突き崩す要素が含まれているからです。逆に言えば,全体主義が執拗に排除しようとする情報には,全体主義の弱点を突いているところがあると言えるでしょう。
つまり,その異論の中に真実が含まれていて,その真実が権力の基盤を突き崩してしまう恐れがあることを,権力は知っているのです。権力は、自らの価値観が間違っていることをよく知っています。しかし,弾圧によって,真実が表に出てこなくなってしまうと,それこそ暗黒時代の始まりです。
独裁国家の場合は,倒すべき対象が目に見えます。昔ならヒットラーやスターリンのような独裁者がいました。しかし,生権力にはそのような意味での独裁者はいません。今の大統領や首相を倒しても,また同じような人物がその座に据わるだけで,生権力は生き延びます。私たちが闘うべき相手は,決してその国のリーダーたちではないのです。
では,私たちが闘うべき相手は何かというと,それは私たちの心の中に潜む全体主義的な傾向です。この傾向こそ,全体主義の根源であり,その根を摘むことでしか,全体主義との闘いは勝利できません。しかし,これはある意味,大変困難な闘いです。なぜなら,それは自分自身と深いところから向き合う必要があると同時に,場合によっては,皆さんが日々一緒に過ごしてきた家族や同僚も闘うべき相手に含まれてしまうからです。しかし、この困難を乗り越えなければ、全体主義は永遠に続いてします。
