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第2章「津田遠江長光」~織田信長と明智光秀の運命を分けた名刀~

この小説は「時をかける名刀」~国宝が紡ぐ名刀の物語~の第2章です。第1章はこちら

本能寺の変・直前

天正てんしょう十年(1582年)五月、織田信長は安土城で一振の太刀をでていた。国宝「太刀 銘 長光 名物 津田遠江長光つだとおとうみながみつ」である。備前長船派びぜんおさふねは二代目の名工長光ながみつによる傑作で、華やかな大房丁字おおふさちょうじの刃文が美しく輝いている。信長はこの太刀を特に愛用し、重要な場面では必ず佩刀はいとうしていた。

城内では、重臣たちが京都での法要について話し合っていた。明智光秀あけちみつひでも参列しており、主君信長の太刀への愛着を誰よりもよく知っていた。しかし光秀の心中には、既に謀反の意思が固まりつつあった。

「殿、本能寺での法要の準備は整っております」光秀は表情を変えることなく報告した。

「うむ、光秀。そちも共に京へ参るのじゃ」信長は津田遠江長光を手に取りながら答えた。「この度は、この太刀と共に参ろう」

光秀は深く頭を下げたが、その目には複雑な光が宿っていた。

信長と名刀への愛着

信長が津田遠江長光を手に入れたのは、永禄えいろく十一年(1568年)頃のことだった。当時、この太刀は美濃の豪族が所有していたが、信長の美濃攻略の際に戦利品として手に入れたものであった。

「これは見事な太刀じゃ」信長はその美しさに感嘆した。長光の技術の粋が込められた刃文は、まさに芸術品と呼ぶにふさわしい仕上がりであった。

信長の側近森蘭丸もりらんまるは、主君の太刀への愛着を間近で見ていた。

「殿は、この太刀をいたく気に入っておられるようですね」蘭丸が言うと、信長は満足そうに頷いた。

「これほどの名刀は滅多にあるものではない。長光の技術は父光忠みつただにも劣らぬ」信長は太刀をじっくりと観察しながら語った。「この太刀があれば、天下統一も成し遂げられよう」

信長の言葉は単なる迷信ではなく、名刀への深い愛着と信頼の表れであった。

明智光秀の心境

一方、光秀は主君信長への複雑な想いを抱えていた。信長の才覚と器量は認めるものの、その苛烈な性格と自分への処遇に不満を募らせていた。

安土城の一室で、光秀は単独で思案に沈んでいた。

「信長さまは確かに英傑だが…」光秀は独り言のように呟いた。「このまま従い続けることが、果たして正しいのか」

光秀の家臣斎藤利三さいとうとしみつが部屋に入ってきた。

「殿、いかがなさいましたか。ご様子がすぐれませんが」

「利三、わしは決断の時を迎えているのやもしれぬ」光秀は窓の外を見つめながら答えた。

利三は主君の真意を察していたが、あえて深く問うことはしなかった。しかし心の中では、光秀の苦悩を理解していた。

「殿がお決めになったことならば、この利三、命に代えてもお支えいたします」

光秀は利三の忠義に深く感謝した。そして、運命の日が近づいていることを予感していた。

本能寺の変

天正十年(1582年)六月二日未明、光秀は「敵は本能寺にあり」と叫び、謀反を起こした。信長は本能寺で最期を遂げることになったが、その際に津田遠江長光は信長の手元にはなかった。安土城に残されていたのである。

本能寺の変の報が安土城に届くと、城内は大混乱に陥った。光秀の軍勢が安土城に迫る中、城内の重宝ちょうほうは散逸の危機にあった。

光秀は安土城に入ると、真っ先に信長の宝物庫に向かった。そこには津田遠江長光をはじめとする数多くの名刀が保管されていた。

「これらの名刀を、しかるべき人物に託さねばならん」光秀は冷静に判断した。

光秀は津田遠江長光を手に取った。かつて主君が愛用していた太刀を前に、複雑な感情が込み上げてきた。

「信長さま、申し訳ございませんでした」光秀は心の中で謝罪した。「しかし、これは天下のためでございます」

津田重久つだしげひさへの委託

光秀は津田遠江長光を、家臣の中でも特に信頼していた津田重久に託すことにした。重久は光秀の重臣として長年仕え、その人格と才能を光秀は高く評価していた。

「重久よ、この太刀をそちに託したい」光秀は津田遠江長光を差し出した。

「これは…信長さまの」重久は驚きを隠せなかった。

「そうじゃ。この名刀を、そちが大切に守ってくれ」光秀の表情は真剣だった。「わしに万が一のことがあっても、この太刀だけは後世に伝えてほしい」

重久は深く頭を下げ、津田遠江長光を受け取った。

「必ずや、お言葉通りに」

光秀の予感は的中した。天正十年(1582年)六月十三日、山崎の戦いで光秀は豊臣秀吉とよとみひでよしに敗れ、落命した。

津田重久の決断

光秀の死後、重久は困難な立場に置かれた。明智家の家臣として、新しい主君を見つける必要があった。重久は豊臣秀吉に仕えることを決意し、津田遠江長光と共に新たな人生を歩むことになった。

天正十五年(1587年)、重久は秀吉から遠江守とおとうみのかみの官位を授けられた。この時から、津田遠江長光の「遠江」の名前が正式についたのである。

「重久、そちの忠勤を評価し、遠江守に任ずる」秀吉は満足そうに言った。

「ありがたき幸せにございます」重久は深く感謝した。

秀吉は津田遠江長光の美しさに目を留めた。「その太刀、見事な出来栄えじゃな」

「はい、これは…」重久は太刀の来歴を説明した。織田信長の愛刀であったこと、明智光秀から託されたこと、そして今は自分が大切に保管していることを。

秀吉は複雑な表情を見せたが、やがて穏やかに微笑んだ。「過去は過去じゃ。大切なのは、これからどう生きるかじゃ」

前田利長への譲渡

重久の死後、津田遠江長光は加賀藩主前田利長まえだとしながの手に渡った。利長は前田利家まえだとしいえの長男として、豊臣政権下で重要な地位を占めていた。

慶長けいちょう四年(1599年)、利長は津田遠江長光を手に入れた際、その由緒の深さに感銘を受けた。

「これは織田信長さまの御太刀でございますか」利長は重久の遺族から説明を受けた。

「はい、本能寺の変の折に明智光秀が安土城より持ち出し、津田遠江守重久に託されたものです」

利長は太刀を手に取り、その美しさに見入った。「これほどの名刀が、数奇な運命を辿ってきたのだな」

利長はこの太刀を大切に保管し、前田家の重宝とした。そして将来、この太刀がさらに重要な役割を果たすことになるとは、この時はまだ知る由もなかった。

徳川将軍家への献上

宝永ほうえい六年(1709年)、津田遠江長光は歴史的な転換点を迎えた。六代将軍徳川家宣とくがわいえのぶが尾張藩四代藩主徳川吉通とくがわよしみちに下賜したのである。

家宣は将軍就任に際し、親族である吉通との関係を重視していた。この太刀の下賜は、単なる贈り物以上の意味を持っていた。

「吉通、この太刀をそちに授けよう」家宣は津田遠江長光を差し出した。

吉通は深く頭を下げた。「恐れ多いお品をいただき、恐縮至極にございます」

「この太刀は織田信長公の御太刀じゃ」家宣は説明した。「数奇な運命を辿ってきたが、今ここで尾張徳川家に伝来することとなった。大切にするのじゃぞ」

吉通は感激で言葉を失った。信長ゆかりの名刀が、自分の手に委ねられることの重大さを深く理解していた。

現代への継承

津田遠江長光は尾張徳川家に伝来した後、徳川美術館の所蔵となり、現代まで大切に保管されている。織田信長から始まり、明智光秀、津田重久、前田利長、徳川将軍家、そして尾張徳川家へと受け継がれてきた数奇な運命は、まさに戦国時代の激動を物語っている。

「時をかける名刀」展では、この津田遠江長光が多くの来館者の心を打っている。刀身に輝く大房丁字の刃文は、450年以上の時を経た今も変わらぬ美しさを放ち続けている。

信長が愛し、光秀が託し、重久が守り抜いたこの名刀は、単なる武器を超えて、日本の歴史そのものを体現している。現代の私たちがこの太刀を目にする時、戦国時代の武将たちの息づかいを感じることができるのだ。

刀剣乱舞ファンにとって、津田遠江長光の本歌との出会いは特別な意味を持つだろう。ゲームの中で描かれるキャラクターの背後に、このような壮大な歴史物語が隠されているのである。

長光の技術、信長の愛着、光秀の苦悩、重久の忠義、利長の感動、家宣の配慮、吉通の感激。すべてが一振の太刀に込められ、現代まで語り継がれている。これこそが名刀の真の価値なのかもしれない。


次回予告: 第3章「後藤藤四郎の系譜」では、鎌倉時代の名工粟田口吉光あわたぐちよしみつによる国宝「短刀 銘 吉光 名物 後藤藤四郎」の物語を描きます。後藤庄三郎ごとうしょうざぶろうから土井利勝どいとしかつ、そして徳川家光とくがわいえみつ徳川光友とくがわみつともへと受け継がれた、江戸時代初期の政治情勢を背景とした感動的な物語をお楽しみください。

この物語はフィクションです。登場する団体名・地名・人名および組織・個人の設定は、実在の団体・人物とは一切関係ありません。
歴史上の実在人物や出来事には一部史実を取り入れているものの、物語の演出や脚色、登場人物の行動・台詞には多分にフィクション要素を含み、歴史上の人物のふるまいや会話、役割、出来事の前後関係が史実と異なる場合がありますことをご了承ください。

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