呼吸の間 133「無限」
「無限」― ホルヘ・ルイス・ボルヘス ―
不安とは、
人生の光が消えた印ではない。
きっと、
まだ見つけていない光があることを、
心が知らせてくれているのだ。
前回、
カフカの世界を旅しながら、
私はそんなことを考えていた。
そして今日は、
もう少し遠くへ行ってみたい。
終わりのない場所へ。
無限。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス。
1899年、
アルゼンチンの
ブエノスアイレスに生まれた作家。
彼が生涯、
物語の中で見つめ続けたものがある。
迷宮。
鏡。
夢。
時間。
本。
そして、無限。
ボルヘスの物語を読んでいると、
時々、
自分がどこにいるのかわからなくなる。
夢を見ている人が、
実は誰かの夢の中にいる。
一つの道を選んだはずなのに、
選ばなかったすべての道も、
別の世界では続いている。
一冊の本の中に、
宇宙全体が存在している。
そんな、
少し不思議で、少し怖くて、
でもどうしようもなく美しい世界を描いた。
代表作の一つに、
『バベルの図書館』という短編がある。
その物語に登場するのは、
果てしなく続く図書館。
六角形の部屋が、
上にも、
下にも、
横にも、
永遠に続いている。
そこには、考えられる
すべての文字の組み合わせからできた本が、
置かれている。
ということは、
そこには、
あなたの人生を正確に記した本もある。
まだ起きていない未来を書いた本もある。
世界の秘密を書いた本もある。
そして同時に、
まったく意味のない文字だけが並んだ本も、
無数に存在する。
すべての答えが、どこかにある🤭
けれど、本が無限にあるため、
その答えを見つけることができない。
私は、
この物語がとても面白いと思う。
私たちは、
答えがないから迷っていると思っている。
けれど今の時代は、
もしかすると逆なのかもしれない。
本を開けば、誰かの答えがある。
携帯を開けば、無数の情報が流れてくる。
どう生きればいいのか。
何を食べればいいのか。
どうすれば幸せになれるのか。
答えは、いくらでも見つかる。
それなのに、
私たちは時々、ますますわからなくなる。
ボルヘスの描いた、
無限の図書館の住人のように。
もしかすると、
人生に必要なのは、
すべての答えを知ることでは
ないのかもしれない。
答えがないことより、
答えが無限にあることの方が、
人間を迷わせる。
無限にある選択肢の中から、
私は、これを選ぶ。
そう決めること。
ボルヘスは、
やがて視力を失っていった。
本を愛し、
図書館を愛し、
言葉を愛した人が、
次第に本を読むことができなくなっていく。
それでも彼は、
物語を手放さなかった。
目で見ることができなくなっても、
記憶の中にある本を読み、
頭の中に広がる迷宮を歩き、
言葉を紡ぎ続けた。
私は、
そこにもボルヘスの「無限」を感じる。
世界は、
目に見えるものだけではない。
一枚の葉の中にも、
一滴の水の中にも、
一人の人間の心の中にも、
果てしない世界がある。
吸って、
吐いて、
呼吸の間には、
過去と未来が静かに触れ合う
一瞬がある。
考えてみれば、私たちは不思議な存在だ。
この身体には、限りがある。
生きられる時間にも、限りがある。
けれど、
想像する世界には、終わりがない。
まだ見たことのない場所を思い描ける。
百年前に生きた人の言葉に心を動かされる。
まだ存在しない未来を、
心の中に描くことができる。
人間は、
有限の身体の中に、無限を持っている。
私は思う。
だからこそ、
すべてを知ろうとしなくてもいい。
すべての道を歩かなくてもいい。
無限の可能性の中から、
今日、自分が選んだ一つを生きる。
それでいいのだと思う。
今日も、
無限に広がる世界の中で、
私は、この一日を選んで生きていく。
今日も、
たった一つの呼吸から、
また新しい世界が始まっていく。
