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タトゥー 9曲目 マッドハッター

 11月の肌寒い日だった。
私は病院の待合室にいた。それもあまり記憶にないのだけれど。
うっすらと覚えているのは、病院特有のアルコール臭の匂いだけで、どうやってここまできたのかすら覚えていなかった。
激しい動悸の後で、呼吸が苦しくなる。
「それは過呼吸だね。」そう後に教えてくれたのはショウだった。
 この月、初めて地元でのワンマンライブをした。小さな会場だったが、チケットはソールドアウトとなり、小さなプロダクションからも「CDを出さないか?」と打診されていた。
信じられないくらい順風満帆だった。けれど、私はどんどん不安になっていった。
この幸せな時間がいつまで続くのか、考えると怖かった。
 会社の方も忙しく周りが残業している中、私は定時で帰っていた。同調圧力というものは本当に怖いもので、定時で1人帰る私はまるで異質なものでも見るかのような周囲の視線を浴びながら帰宅していた。これが本当に辛かった。
 それも重なったのか、ワンマンライブを終えた後、以前にもまして胸の動悸や呼吸が苦しくなり、病院に運ばれたのだ。
 さっきまでひらひらとしなやかに6弦を抑え、ピックを使ってギターをかき鳴らしていた指はライブ終演と共にアルコール中毒者のような震えの止まらないなんとも情けない指へと姿を変えた。
情緒も不安定で、ギターを放り投げて、私はメンバーに当たり散らした。
 メンバーや昔から常連のファンの子たちからはすごく絶賛された。過去で一番のライブだったとも言われた。ユキオもそう言ってくれたし、プロダクション関係者の方も褒めちぎってくれた。
 それでも私だけがこのライブの出来に不満を抱えていた。いつも、弾き手と聴き手にギャップを感じていた。
「今日のライブも失敗だらけだった。100%じゃない。」
こんな出来でCDを出すなんて、できやしない。
そう思い出すと、動悸が激しくなり、指が震え出したのだった。

 ショウはあの初めてライブに来た後、すぐに出待ちをしていた。私の方も何だか気になる何かがあってショウをバンドの打ち上げへと誘ったのだ。
「ヒカルさんにはなんだか感じるものがあったんですよ。」
「何て言うのかな。すごく必死な感じがして。それに応えなきゃって思ってヘッドバンキングしちゃってたんです。」飲み物が来る前に開口一番にショウはそう言った。
 私はなんだかすごく嬉しかった。「いい曲だね。」とか「自分で曲を作るなんてすごい!」って言われるのが嫌いだった。単純に当たり障りのない無難な褒め言葉に聞こえるからだ。「何が」「どうすごい」のかもっと深いところまで聴いてほしかった。
 その点ショウはすごく良く聴いていてくれたのだ。感覚的なものではあるけれど、率直な感想や気持ちを聞かせれてくれたし私はそれだけでどんな言葉でも嬉しかった。
 ショウはこれまで出会った男の子の中でも異質な雰囲気をまとっていた。
何というか、「死」が見え隠れしていた。死人の匂いは嗅いだことのないけれど、きっと、人が死ぬ前はこんな感じの雰囲気をまとうんだろうなぁと感じさせる何かがあった。一緒にいるとまるでブレーキの効かないバイクに乗っているみたいな気分だ。
見た目は長髪に緩いパーマをあてており、一見すると女性なのか男性なのか区別がつかないくらいだけど、体つきは男だった。
 恐らく私の人生の中で初めて出会ったであろうタイプのこのショウという男は危ういのが魅力的だった。
 そんなショウを自宅付近まで車で送り届けた時のことだった。
なんの下心もなく、ショウを下ろそうとすると、気がつけば私はショウの胸の中にいた。
 「助けてくれないか。」消え入りそうな声だった。
私はそのまま彼の背中に腕を回してから頭を撫でた。彼はまだ少年だった。
ふっと彼の吸う独特の甘い香りのするタバコの匂いで頭が甘くなる。私は彼が話し出すまでずっとそうしていた。
 厳格な父と母に育てられたせいなのか、ショウは中学生の頃には毎日、毎時間、手を洗わずにはいられなくなった。その筋の医者に診てもらったところ、強迫性障害と言われたそうだ。
彼はタバコの煙を吐き出しながらそう言った。タバコを握っている白く細い腕には無数の切り傷がある。
 「自分は汚れている。」
それが彼の口癖だった。
その危うさと少年らしさに私は惹かれていった。

 「CDを作るためにもう2、3曲できないかな?」
12月に入るとプロダクションの人に言われた。向こうサイドでは既にファーストアルバムの構想があるらしく12曲入りのフルアルバムを作りたいとのことだった。
私たちの曲はまだ10曲とライブでもやっていないデモ曲が5曲ほどあった。
 「君たちのバンドは激しい曲が少ないね。どうだろう?アルバム終盤に激しい曲が1曲欲しい」とのことだった。
 私はやっていないデモ曲の中から1つ選んで本格的に作曲を始めた。
タイトルはマッドハッター。不思議の国のアリスで登場するいかれ帽子屋をモチーフにした。

 ギターリフをメインとしたロックンロールを字でいくような曲調にいかれているくらいの意味のない歌詞で構成した曲だった。
 この曲もすんなりプロダクションからOKが出た。こんなに怖いのは私の気が触れているのだろうか?
この年の雪はなぜか汚れて見えた。

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