もう会えない市場──昭和の人情と“いらっしゃい”が消えた日
「おっ!にいちゃんかあ」
出張からの帰り道。
いつもの市場の前を通ると、あの、少ししゃがれた、どこか無邪気さを感じる「かしわや」さんの高い声が、耳の奥からふうっと聞こえた。
見慣れた建物はすでに足場とシートに囲まれ、解体の準備が進んでいる。その姿に胸の奥をぎゅっと掴まれ、思わず車を停めた。
何度も開け閉めしたドアの重み、踏みしめたタイルの感触。常連さんたちの笑い声、買い物を終え眺めた薄暮の空。
すべてが、胸に押し寄せた。
名古屋市にあった小売市場「八勝センター」。
そこには、たった1軒だけ営業を続けるかしわやさんがあった。
そのお店は、まるで過去と今をつなぐ唯一の証のようにそこに佇んでいた。
市場を巡る旅、八勝センターへ

僕は取材で、名古屋市の商店街を巡っていた。
市内のあちこちに足を運ぶうちに、ふと、市場があるはずの場所に、その姿が見当たらないことに気がついたのだ。
幼少の頃、お買い物といえば大型のショッピングモールやスーパーではなく、商店街や小売市場だった。
藤編みのバスケットを提げた母と訪れた小売市場は、個性豊かなお店が軒を連ね活気にあふれていた。
ご近所さんと立ち話をしたり、店先から呼び声が飛び交う賑やかな空間で、揚げたてのコロッケやハムカツを熱々のうちに食べることが、何よりの楽しみだった。
今では、買い物はもっぱらスーパーになり、商店街や市場と接する機会がほとんどない。
「今しかない」そう感じて、市内の市場を訪ね始めたのだ。
その中で、個性的な市場が残る瑞穂区の八勝センターへ向かうことにした。取材中は昼食の時間がずれ込むことも多々あり、お弁当がある市場は好都合だったからだ。
地下鉄で、総合リハビリセンター駅へ向かう。
駅を出て山手グリーンロードを隣の瑞穂運動場東駅に向かって歩いていく。ちょうど両駅の中ほどに、住宅を併設した4階建ての八勝センタービルがあった。
到着したのは、14時を過ぎていただろうか。
その建物の1階には、グリーンの看板に朱色で大きく「公認 八勝センター」の文字が掲げられていた。
しかし、居住部分に通じるガラス扉は閉ざされ、シャッターは半開き。ガラス越しに見える入口付近には人の気配がなく、どこか諦めにも似た静寂が漂う。
『弁当有ります かしわや』の看板がなければ、足を踏み入れるのをためらったかもしれない。
かしわの松波さんと出会った日
少し隙間の空いた自動ドアに手をかけると、腕に重みが伝わった。
『手で開けてください』と貼り紙に書かれたとおり、力を込める。
ガラガラガラ。
その手応えに、時間の扉を開けるような期待が高まった。
戸を引いて一歩踏み込むと、ところどころ傷みが見られる、タイル張りの通路がまっすぐ伸びていた。
天井には、少しくたびれてはいるが、カラフルなシダレ飾りが連なる。
明るすぎず、とびきりきれいなわけではない。だが、その古び方が心にじんわりと懐かしさを広げた。
通路の長さは10数メートル。
入り口付近は外光が差し込んで明るいが、数歩進むと急に光が翳り、ほんの一瞬、短いトンネルに足を踏み入れたような感覚になる。
その半暗がりの中、左右には、主の気配だけが抜け落ちたまま、時を重ねた店々が佇んでいた。
通路を奥まで進むと、右手にかしわやさんがあった。
向かいには、空き店舗を休憩所として使っているスペースがあり、段ボール箱の上には調味料などが並ぶ。奥には4人がけのテーブルと椅子も置かれていた。
活気を失った市場の中に、今も人の気配が息づく一角があることに、一筋の光を見る気がした。
ふと左手に目をやると、通路はさらに奥へと折れて続いていた。そちらは暗がりに沈んでいて、先の様子はうかがえなかった。

かしわやさんのショーケースには鶏肉や豆腐、チャーシューなどが並び、右手にレジと雑貨コーナー。ショーケース左手には、あの頃のお店を再現したようなお惣菜やお弁当のコーナーがあった。
「こんにちはー」
声を掛け、カメラバッグを椅子に置くと、三角巾を被ったお母さんと、奥で何か作っていたお父さんが「はい、いらっしゃい」と迎えてくれた。

お惣菜コーナーには、小分けにされた玉子焼き、煮物、お漬物がぎっしりと並んでいる。よく見ると、いつもの食事にもう一品あると良さそうな家庭的なものばかりだ。
お弁当は、揚げ物弁当と煮物弁当の2種類。
揚げ物弁当を注文すると「ご飯は白いご飯か混ぜご飯どっちがいい?」と聞かれたので迷わず混ぜご飯をお願いした。手渡されると500円とは思えないほどずっしりとした重みが伝わった。
「よかったら食べていって」
お弁当を持ってテーブルに座ると、お味噌汁やお茶、焼き上がったばかりの玉子焼きが次々と運ばれてきた。
そんな飾り気のない、それでいて心尽くしのおもてなしは、郷里の食卓のような安心感があった。
お弁当はしっかりとした味付けで、玉子焼きも甘味が効いていて箸が進む。
食後はそのまま瑞穂通に出て、瑞穂通三丁目市場やクック瑞穂、津賀田市場を巡る予定だった。
だが、外からほんのり差し込む光に照らされた市場の様子を、椅子に腰掛けながらただ眺め続けた。
ここにいることが、僕にとって何より贅沢な時間だった。


「少し向こう側を通ってきますね」と声をかけ、灯りのない暗がりの通路を左に回り込んだ。
やがて目が暗さに慣れてくると、かつて休憩所に使われていたであろうスペースや、お惣菜屋さんらしき跡がうっすらと浮かび上がってきた。
「令和の名古屋に、こんな場所が残っているなんて……」
過去と現在が重なるような、不思議な時間の感覚に包まれ、思わず何度も行き来してそのしんとした状態を確かめた。
かしわやさんに戻り、お母さんに市場を巡るつもりでここに来たことを伝えると、少し申し訳なさそうに話してくれた。
「ここは耐震の関係で取り壊しが決まっていて、住んでいた人たちの立ち退きも、もう終わったんですよ。今年度中には、私たちもここを出ていく予定なんです」
お花屋さんが残っていたが、4年ほど前からかしわやさん1軒だけになっていたそうだ。
初めて出会ったその日に、すでにこの場所の終わりが近いことを知った。
「これからは、なるべくここで食事をしよう」。話を聞きながら、心の中でそう決めた。
夕方が近づき、注文の電話が鳴り始める。少しずつ忙しい時間帯に差しかかってきたようだった。
「夜のお弁当の注文が入るから、煮物を作っているの」
お店の脇からそっと中に入り、その様子をカメラに収めた。大きな鍋の中では、だしの染みた野菜と鶏肉がぐつぐつと煮えていた。
「もうすぐできあがるから、ちょっと食べていって。まだちょっと早いかもしれないけれど」
お母さんは少し味見をすると、その場で鍋から直接小皿に取り分けて、割り箸と一緒に渡してくれた。
器からは湯気が立ちのぼり、懐かしい匂いが広がった。
「ちょっと配達に行ってくるよ」
お父さんは玉子焼きを焼き終えると、惣菜や野菜を袋に詰めていた。少し曲がった腰で台車を押し、ゆっくりと出ていった。
お得意先や買い物に来られない人たちのために、今も注文の品を届けているのだという。
のんびりとした時間のあと、煮物、玉子焼き、漬物と目移りしながらお惣菜を選んでいると、お母さんが次々とパックを袋に詰めはじめた。
気づけば、ビニール袋ふたつ分が、お惣菜のパックでパンパンになっていた。
「どうしたんだろう……」
「はい、これね」
きょとんとした僕の顔を見て、ひとこと添えて台の上にまとめて置いてくれた。
「ええー!お弁当を食べにきただけなのに、こんなにしていただいたら申し訳ないですよ!」
「今日はあまりそうだから、よかったら持って帰って。ちゃんとお金を頂く時はもらうからね」
そう言って頼んだ分だけの代金を受け取り、お惣菜が詰まった袋を手渡してくれた。
「いつもは夕方頃に来ると、常連さんたちがそこでお茶会をして賑やかだから、その時間に来るといいですよ」
「では、またその時間帯にゆっくりお邪魔させていただきます」
お父さんの帰りを待ち、挨拶をしてお店を後にした。
近代的な駅から地下鉄に乗って帰宅する途中、まるで時間を少しだけ巻き戻し、昭和という異なる時代に触れてきたような、そんな現実離れした感覚だった。
帰宅して荷物を下ろすと、最終日に、お二人の写真を撮っている光景がぼんやりと頭に浮かんできた。
あと何回行けるだろう……
再びかしわやさんへ

「こんにちは!」
一週間ぶりに、お礼も兼ねて八勝センターを訪れた。
常連さんたちがテーブルを囲み、お菓子をつまみながらにぎやかに団らんしていた。
まずはお弁当を頼み、テーブルへ。
初めて顔を合わせる方ばかりだったが、お母さんが僕のことを話してくれていたようで、自然と輪に入っていけた。
常連さんの中には、八勝センターの隣で店を構えていた「理容室ペット」のお母さんもいた。
「あっ、ペットさんですか?どう見ても人用の理容室にしか見えないので、不思議だなと思って。ペットもカットしているの?」
「兄が自分のお店を“ホモ”って名前で始めたの。“あっち”じゃなくて、ほら、人間って意味の難しい方のホモのホモね。わかる?」
ペットさんはいたずらっぽく目を細めて笑った。
お母さんや常連さんたちも、何度もこの話を聞いているのか「ほらきた」という感じで、くすくすと笑いながら僕とペットさんのやりとりを見ている。
「当時はそういうことって、公にできなかったでしょう?だから、そういう方たちから『専門で切ってもらえる』って勘違いされて、問い合わせがたくさん来てね。説明が大変だったのよ」
そう言って、うなずきながら話を聞いている僕や、その様子を見守っていた常連さんの顔を見ながら、ペットさん自身もまたふっと笑った。
「それで、お店の名前は大事だなって思って、自分のお店は可愛い名前にしなきゃって『ペット』にしたの。せっかくうんと考えたのに、『動物も切ってくれるのか』って問い合わせが多くてねぇ」
その場にいたみんなの笑い声が、少しくすんだ八勝センターにふんわりと温かい光を灯していた。
「すぐ近所だから、ふらっと買い物に来ては、財布を持ってなかったってこともしょっちゅう。あーぼけちゃったって」
商売の合間をぬって何度も買い物に来るペットさんにとって、ここはリビングのような場所だったのだろう。
「昨日も忘れてましたけどね。また来るから気にしていませんけど」とお母さんも笑っていた。
「私たちにとってここは本当に貴重。ここが無くなったら生きていけないくらい。ここで買い物をして食べさせてきたんだから。子どもも、孫も、みんな八勝センターで育ったようなものなの」
八勝センターでは、買い物中も誰かが子どものことを見てくれていたので、安心できる場所だった。
中でも、かしわやさんには同じ年頃の子どもがいたからか、常連さんたちは、子どもの面倒をしっかり見てもらっていたようだった。


常連さんたちと話し込んでいる間も、お父さんは黙々とお惣菜の仕込みを続けていた。
お母さんは、ときどき会話に加わりながらも、お弁当やお惣菜を買いに来るお客さんや電話の対応、配達の準備など手を動かしていた。
「これはまだあるはずでしょう?今日は買わなくていいですよ」
「そうだったっけ?」
時には、そんなやりとりが店頭で交わされている。
「物忘れがある方も結構いらっしゃって、同じものを何回も買いに来られるの。スーパーとかだと大丈夫かなって、心配になるのよ」
「確かに、普通のお店だったらお客さんが買うって言ってきたら売りますもんね」
高齢のお客さんの中には、同じものを何度も買ってしまう人もいるという。お母さんは、お客さんが何をどれだけ買って行ったか気をつけるようになったと話してくれた。
「どうしてもお客さんたちも年をとっていくからね。私たちだって、もう70は超えてるし。じゅうぶん高齢者なんだけどね」
年齢を感じさせないテキパキとした仕事ぶりではあるが、店も町も、確実に年を重ねていた。
買い物という行為そのものが、人と人との関係で成り立っていることを改めて感じた。
名古屋市内を巡るあいだ、僕は、お店があることで人が行き交い、会話が生まれ、ときには町のことを知るきっかけにもなることを感じてきた。
ここでも、かしわやさんを通じて常連さんたちの輪に自然と混ざり楽しい時間を過ごすことができた。
たとえ小さな営みであっても、それがなければ町の温度は少しずつ失われてしまうだろう。
名古屋市内を巡る仕事が一段落してからも、折に触れて八勝センターを訪れた。
昼ごはんを食べに、常連さんたちとお喋りしに。あるときは出張前に、ホテルで食べるご飯を買いに。
そんなある日、お母さんがふとこう言った。
「大家さんがね、『好きなだけ続けていいよ』って言ってくれたの」
その言葉を聞いて、かしわやさんがまだ続くことに心からほっとした。
月給3万円の時代に開いた希望のお店

常連さんの話によると、八勝センターができるまでは、このあたりの人たちは2キロほど離れた瑞穂通りや新瑞橋の方まで買い物に出かけていたそうだ。
八勝センターは昭和43年にオープン。最盛期には17軒ものお店が入っていたという。
お父さんは、もともと技術を身につけようと冷蔵庫の会社に就職したが、実際は配送ばかりで、その機会に恵まれなかった。
そこで家族が営んでいた鶏肉工場に転職し、お母さんと出会った。
「鶏肉のことは覚えたからこの娘と結婚する」と社長に言い、24歳のときに商売を始める決意をしたという。
「あの頃は、梁がむき出しになったような建物ばかりだったからね。これからの商売にはいかんと思ってぼうぼう探したけど、ここは高かったよ」
その頃の給料は月2〜3万円。だいたい20〜30万円あれば店を構えられた時代に、八勝センタービルに入るには、その倍以上の80万円が必要だったという。
しっくりくる物件がない中、オープンを控えた八勝センタービルのことを知り、「ここしかない」と入居を決めた。
当時、住居を併設した4階建てのビルに、空調設備が整った近代的な物件だった。
お父さんは、足りない分を社長に借り、商売を始めたそうだ。
その後、組合でお金を出し合って自動ドア化したことからも、当時の八勝センターの賑わいがうかがえる。
25年ほど前、うどん屋さんやお惣菜屋さんが閉店し、「ここではもう食べ物が買えない」とお客さんに言われるようになった。そこで、要望に応えてお弁当を作り始めた。
お雛さまやお彼岸、クリスマスなど季節の行事に合わせて、ちらし寿司やぼた餅も作るようになり、行事のたびに楽しみが増えていった。
かしわやさんは、自宅のある中川区からここまで通い、朝6時前から仕込みを続けている。
年々鶏肉の売上は減っていったが、病院の職員さんなど、まとまった注文もあり、お弁当とお惣菜があったからこそ、今まで続けてこられたそうだ。
長く続いた日々の積み重ねの中で、かしわやさんの営みは、少しずつ確かな形になっていった。
八勝センターとの別れ

一旦は立ち退きの話もなくなり、まだまだ先のことだと思っていたが、出張前にお弁当を買い物に行くと「もう来年はやらないかも」と、お母さんに伝えられた。
お父さんは来年80歳を迎え、腰の調子もあり、無理をさせたくない様子だ。
「常連さん達にはやめないように言われているけど」
「そうですよね……」
「ほら、毎年漬ける梅干しも、もう漬ける準備していないの」
まだちゃんと決まっていない様子だったので、それ以上閉店の話題はせず、お弁当を持って出掛けた。
その後、都合がつかずなかなか八勝センターに行く時間が取れなかったが、久しぶりに自由な時間ができた。
「八勝センターに行かなくては」
なんとなく訪ねてみると「もう来週お店を閉じることになったよ」と伝えられた。
驚きもあったが、今日ここに来ることができた巡り合わせに感謝する気持ちの方が強かった。
カレンダーを確認してみると、閉店の前日と当日は都合がつきそうだった。
ショーケースには、『3月25日に閉店します』という挨拶の張り紙がしてあった。
「みんな、張り紙に"もとい"と書くようにって。そう書けばまだ間に合うって言っていくの。今から半年、一年延ばしてもね……」
「……」
「もといって、あんまり使わないね、皆、好き勝手いうわ」
返事に困る僕を察してか、笑って話してくれた。
「始めるよりやめる時の方が難しいわ」
帰り際お母さんが、ぽつりとつぶやくように言った。返す言葉が見当たらなかった。
翌週、落ち着いた時間帯を見計らって少し遅めに八勝センターに向かった。
気がつかなかったが、お隣のペットさんも最近お店を閉じたようだ。
いつも並んでいた色とりどりのお惣菜はほとんどなく、お弁当も売り切れてしまっていた。
「今日は、作っても作っても追いつかないぐらい売れてしまって」
お母さんは、申し訳なさそうに言うと、残った混ぜご飯を茶碗に盛りテーブルに出してくれた。
「おっ!にいちゃんきてくれたか」
お父さんは僕に気がつくと、玉子焼きを作りながら声をかけてくれた。

娘さんも買い出しにでかけ、忙しいかしわやさんを手伝っている。
野菜なども売り切れてしまったため、不足分はスーパーで買い足し、お客さんの要望に応えようとしていた。


ペットさんといつもの席に座っていると、「明日は仕事で来られないから」とお別れの挨拶に訪ねてくる人もいた。
「子どもの頃ここへ来ると、かしわやさんが僕たちに必ず声をかけてくれて、それがとっても嬉しかったです」
挨拶をしにきたお客さんは、腰掛けていたペットさんとも顔見知りようで、二人で色々と思い出話をしている。
そのお客さんが帰ったあと、ペットさんはしばらく黙ったまま、店内をゆっくりと見回していた。
何かを噛みしめるような表情で立ち上がると、ごく軽く僕にも会釈をして特に何を言うでもなく帰っていった。

最終日は、巻き寿司を作るそうだ。
「明日も忙しそうなので、お昼過ぎに取りに来ますね」
僕も注文したかったが、忙しいのもわかっていたので迷っていた。すると常連さんが「お願いしちゃいなよ」と背中を押してくれたので、巻き寿司の注文を入れておいた。
「お弁当はもう残っていないかもしれないけど……」
「巻き寿司の注文をさせてもらったので、僕の分は気にしないでくださいね」
かしわやさんの最後の日

翌日のお昼過ぎ、八勝センターを訪ねた。
休憩所では、お母さんと、かつて八勝センターで商売をしていた漬物屋さんが巻き寿司を作っている。通路にはお客さんから届いたメッセージやお花、お酒などが飾られていた。
かしわやさんのご家族も揃って手伝いに来ていて、店内はとても明るい雰囲気だった。
本当は、朝一番に来ていれば、もう少し長くこの空気に触れていられたのかもしれない。そんな気持ちがほんの少しだけ胸をよぎった。
お弁当はなかったが、お父さんが僕のために残しておいてくれた骨付きの鶏もも肉とご飯をいただいた。
いつもの席は使えないので、ダンボールを借り、空き店舗のスペースでありがたくほおばった。
ご飯を食べ終えると、息子さんが八勝センターの中を案内してくれた。
「僕たちが子どもの頃、幼稚園や学校に送ってもらって、終わったらバスでここまで来て。ここにも子どもがたくさんいたから、みんなで遊んでいましたね。それはそれで楽しかったです」
正面の一番目立つ場所には薬屋さん、乾物屋さん、お花屋さん。かしわやさんのお隣は手芸屋さんで、休憩所に使っていた場所は八百屋さんだった。
その他、お寿司屋さんに、魚屋さん、豆腐屋さん。
早い段階で八勝センターを出ていた角のうどん屋さんは、守山の方で「香流庵」というお店をやっているそうで、八勝センターの話をすればわかるかもしれないとのこと。
一時は、お惣菜屋さんがゲームコーナーを管理していたこともあったという。
さっと見て回れるほどだったが、活気があった頃はひと通りなんでも揃っていたようだ。
いつもより多くの人が訪れていたせいか、お店がなくなったまま時が経過していた薄暗い通路側にも、まるで在りし日のようにたくさんの人が行き交っていた様子が目に浮かんだ。

「明日は日曜日だから普段からお休みで、もうこれからは、ここに来ても閉まっているからね」
賑やかな店内で、お母さんが物忘れをするお客さんに向かって、丁寧に説明する場面もあった。
夕方が近づき、ペットさんや常連さんたちの声が聞こえてくると、いつもの雰囲気に戻っていた。
「明日から行く場所がないから、ふらふら歩くしかないわ」
「ペットさんはどうかしちゃったのかって言われちゃうね」
「これからは、ペットさんに集まればいいね」
「じゃあ、僕もここを通ったらお菓子持ってペットさんを訪ねればいいの?」
「いいよ。来てくれたら開けるから」
「そうそう、お兄ちゃん、ペットさんは普通のお家になったからお菓子は大事っ。忘れたらだめだよ!」
お母さんは閉店後もこちらに用事があるようで、八勝センターを通じたお付き合いは、これからも形を変えて続いていくようだった。
注文の巻き寿司も全部行き渡り、常連さん達もお店を出ていくと閉店の時間がきた。
八勝センターは、水を打ったように静けさに包まれた。
特に伝えていなかったが、そろそろ写真を撮ろうかと自然にそういう流れになった。
まずは閉店を見守った家族の皆さんと。そして、初めて訪れた日に思い浮かんだ通り、かしわやさんのお二人を撮った。
暫くして、出張帰りに八勝センターがあった通りを車で走ると、もう建物はなく、まるでそこに何かがあったことすら忘れさせるように、ただぽっかりと空いていた。

便利さのその先にあるもの
八勝センターとかしわやさんを巡る体験は、多くの気づきを与えてくれました。
「買い物難民」という言葉を耳にすることが増えましたが、かしわやさんの閉店によって、日々の買い物に困る人もいることでしょう。
店での買い物という行為が単なる物の交換にとどまらず、人と人との温かい関係性の上に成り立っていること。
そして、地域に根ざした小さなお店の存在が、過疎化や高齢化が進む中で、人々の暮らしを支え、気づかぬうちに町の輪郭を形づくっていたことを改めて感じました。
けれど、そうした店が減ることで人々は自然な会話の場を失い、外に出る機会も減り、地域の活力も少しずつ失われていくでしょう。その流れは決して他人事ではありません。
僕自身も、便利さに惹かれてチェーン店やネットで買い物をしています。でも、利益や効率を追い求めた先に、ほんとうの「豊かさ」があるのか――そう考えるようにもなりました。
「クック瑞穂さんも、瑞穂通三丁目市場さんも、もう両方閉じてしまうから」
お父さんから聞いた通り、同時期に近くの市場も姿を消していきました。

南区鳴浜町 2022年12月閉店

あれ以来、市場を訪ねる機会は減ってしまいましたが、また元気な市場に足を運んでみたいと思います。
この記事のもくじ
八勝センターの皆さま、本当にありがとうございました。

エビス 大黒市場 昭和27〜
かつてはふたつの市場がつながっていたとお肉屋さんに教えてもらった
最近、新しいお店が入ったと聞いた
この市場のような営みが、あなたの身近にも、まだどこかに残っているとしたら――どうか、見過ごさずに耳を澄ませてみてください。
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創作大賞2025入選作を含む『未来に手紙を出す旅』シリーズは、撮影済みの記録を随時更新しながら、ひとつのページにまとめています。
👤 撮影者プロフィール・お問い合わせ
ふだん商業カメラマンとして働きながら、
「だれかの記憶をそっと残すこと」を、自分なりの仕事として続けています。
皇室行事の撮影を経験したのち、
“未来の当たり前にしたいこと”では、社員に読ませたい記事として SHARPさまにも選出いただきました。
なぜ今もカメラを提げて走り続けているのか。
その理由と、これまでの記録、撮影のご依頼については、以下のプロフィールにまとめています。
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