銭湯がなくなる時、写真は何を遺したか。
「塩尻より北に向かう時は、寄っていってくださいよ。これからは、ここが関所のようなものですから素通りはできません」
「はい。もちろんです。ちゃんとあの二枚の写真が残っているか、見に寄らないといけませんしね」
僕は声を弾ませながら応えると、四代目はにこやかに頷いた。
「あの二枚は家宝として、責任を持って守ります」
写真展を終えたばかりの、まだ夏の暑さが残る玄関先で、笑顔を交わしながら別れを惜しんだ。
左側を見ると、閉業したあの日と同じように、銭湯の入り口はシャッターで閉ざされている。
6月末、95年の歴史に幕を下ろしたあの日。再びここで四代目やお母さん、桑の湯の皆さんと顔を合わせる日が来るなんて、夢にも思わなかった。
次に訪れる頃「桑の湯」は、すでに四代目やお母さんの手を離れ、別の会社に継承されているはずだ。
銭湯が残るということは望ましい。だが、街の人々が大切にしてきた“桑の湯の温度”は、果たして残っていくだろうか……。
塩尻の街を一周し、来年の今ごろの景色を思い描きながら帰路についた。
まだ届けたい温もりがあった
「このまま写真を渡すだけではもったいない」
閉業までの数日間に撮影した写真を選んでいると、写っている皆さんの表情が語りかけてくるようだった。
慌ただしく、複雑な心境の中で、どうしてこんなにも生き生きとした表情を見せることができたのだろう。そこには、桑の湯を大切にしてきた人たちの想いが確かに宿っていた。

閉業を控えた中で、桑の湯の皆さんとお客さんたちがゆっくり言葉を交わし、感謝やねぎらいを伝え合う時間があっただろうか。
「もっとできることがある」
そんな思いが、心の片隅に芽生えた。
四代目やお母さん、常連さんたちが写真を囲んで笑い合い、桑の湯で、温かく賑やかに過ごす光景がはっきりと思い描かれた。
「今なら、この写真を使ってそれができるかもしれない」——後継者が決まってしまえば、こうした時間はもう持てないだろう。
だからこそ、“今”しかない。
ちょうど、写真の受け渡しについてスタッフの方とやりとりをしていた。
「さらなる負担をかけてしまう」
そんな葛藤はあったが、思い切って写真展の話をしてみた。
「ぜひやりましょう」
と、返事が返ってきた。
四代目もお母さんも、写真展の意味をすぐに理解してくださり、こうして2週にわたる週末、計4日間で日程が決まった。
写真展のタイトルは『つなぐ』に決まり、桑の湯らしい企画を用意することになった。
「また桑の湯に行ける」
期待が膨らむ半面、準備を進めながらも、ふと手が止まる。静まり返った脱衣場、沈黙の時間が頭をよぎった。
「誰も来なかったら、どうやって責任を取ればいいのか……」
プリンターから吐き出されたばかりの写真を手に取り、そこに写る人や景色を見つめながら、この場所で見てきたものと何度も向き合った。
再びあの煙突を
待ちわびたこの日。
起伏の激しい国道を北上していくと、見慣れた街並みの中に煙突が視界に入った。
変わらぬ姿に、ほっとしたような、そわそわしたような感情が入り混じり胸を満たしていた。
駐車場に車を停める。
手近にあった荷物を抱え、僕は玄関のチャイムを押していた。
「ようこそ」
四代目とお母さんの顔。
そこはもう、親戚の家のような安心感に満ちていた。
すでに取材に来てくださっていたテレビ局や新聞社の皆さんと挨拶を済ませ、一番気がかりだった釜場へと急ぐ。
釜場見学ツアーの進め方について、まだ四代目と詰めきれていなかったからだ。

「あれ……お湯、張ってある?」
閉業から2ヶ月。
湯船には、柔らかな光を受けて、浴室の景色を静かに映す水面があった。
「釜場も、お客様に安全に見ていただけるようにできます」
お客さんが怪我をしないよう、閉業後の釜場を念入りに整えてくれた四代目の心遣いが、その言葉の奥に見えた。

「ここがセンターです」
取材に来ていた記者さんの助けも借りながら、展示の準備は急ピッチで進んだ。
写真一枚一枚に、僕たちの想いが宿っていくようだった。
「これ着てください」
展示に目処がつくと、四代目が桑の湯オリジナルのTシャツを手にしていた。
こうして僕は、桑の湯の温度を伝えるスタッフの一人として過ごすことになった。

脱衣場には、スタッフの方々の写真と合わせて100枚を超える写真が集まった。
"開店"前、マスキングテープで簡単に写真を留めただけの会場で、しばらく四代目とお母さんが語らっている。
その様子を眺めながら、ふと、あの日の記憶を辿った。
(閉業時の出来事を記した記事が、こちらにあります。長文ですが、ご関心があればご覧ください)
写真展『つなぐ』でつながる温度
「2ヶ月ぶりです」
写真展開催にあわせ、四代目がいつもより早い午前11時にシャッターを開けた。
いつも通り四代目が暖簾をかけ、TVカメラに向かって笑顔を見せていた。
紙面向けに、閉業直後に撮った記念写真の前で撮影を済ませた。
写真展当日、お昼前にもかかわらず、脱衣場にはすでに5〜6人のお客さんがいた。中には、開いているのを見て「お風呂に入れるのか」と、尋ねてくる方もいた。
その頃には、桑の湯と家族のように付き合いを続けてきた丸文さんや、ご近所の方々に加え、安曇野から駆けつけてくださったお客さん、僕の知人の姿もあった。
TV局2社、新聞社の3社が集まり、脱衣場の格子天井は、あちこちから明るい声を跳ね返していた。

ふと耳をすますと、お客さんがTV局のインタビューに答える声が聞こえてきた。
「ここが好きだった」——その一言に、たくさんの想いが伝わってきた。
「本当に懐かしい。これをなくすなんてもったいない」
お母さんたちは、ついこの前のことなのにと、写真を一枚一枚見ながら会話を楽しんでいるようだった。
「せっかくなんで、写真の前で記念に撮りませんか?」
僕もその輪に加わり、何度も記念写真に収まった。

「これ、自分でやっていたことが写真にしてもらえると、こんなに良くなるなんて!」
四代目は、マッチの写真を指しながら、お客さんと話していた。
「この二枚が、桑の湯を象徴しているんです。ぜひ、両方見てください」
記念写真がある男湯側と行き来しながら、お客さんに向かって話している。
あの釜場での日々と同じように、たった一本のマッチが脱衣場の熱源になっていたのだ。
「実はですね、マッチの火を撮らせて欲しいと言われまして。意味がわからないまま、釜場で向き合って撮ってもらったのです。でも、これが桑の湯の源なんです!」
その勢いのまま、テレビ局の人にも写真の話をしていたところ、
「お二人は本当に仲がいいんですね。見ていてよく伝わります」
と、言われて、四代目と顔を見合わせた。
写真がつなぐ、新たな扉
「はい、それでは釜場見学ツアー始まります。どうぞ浴室の方からご案内します!」

お客さんたちは浴室を抜け、四代目が開店準備中に行き来した扉をくぐり、釜場へと向かう。
その出口には土間があり、釜場との間にある式台に、少し窮屈ではあったがなんとか身を寄せて見学していた。
「狭くて申し訳ありませんが、どうぞ、そこまででお願いします」
四代目はそう前置きして、何度も傷を負ってきた釜場の仕事について語りはじめた。
番台の方を見ると、ぽつぽつと新しいお客さんも入ってきている。
「良かったら、釜場見学ツアーやってますからどうぞ」
番台さんが声をかけ、釜場へと案内した。
先に釜場にいたお客さんたちは、あとからやってきた人に気がつくと、譲り合いながら貴重な釜場の様子を楽しんでいた。

「番台にも入れますので」
釜場見学を終え、満足そうなお客さんたちに向けて、僕が声をかける。
「え、番台に上がっていいんですか?」
予想外の展開に声をあげる人もいた。番台さんと二人で「どうぞ、どうぞ」と、声を揃えると、ほとんどの人が男湯側に備え付けられた階段を使って、番台へと入っていった。
番台は、畳半畳ほどの小さな空間だった。
左手には牛乳を冷やす冷蔵庫とレトロな小引き出し。正面には可愛らしいサイズのちゃぶ台がある。
「脚はのばせるようになっているんですよ」
「わぁ、なんか居心地がとてもいいですね」
ちゃぶ台の下は、掘りごたつになっている。お客さんたちは思わず笑顔を見せ、それぞれの時間を楽しんでいた。
「良かったらこれを」
番台さんは気を利かせて、仕事用の半纏を手渡す。
お客さんは、袖を通すと一瞬背筋が伸び、キリッとした表情を浮かべ「こんな経験ができるなんてっ」と、声をあげていた。
あの番台から見えた脱衣場には、写真を見つめる人々、飲み干した牛乳瓶を軽く洗っていく姿、談笑する常連さん――どれも、かつての桑の湯と何ひとつ変わらない、あたたかな風景が広がっていた。
それこそが、僕が写真展を通して届けたかった、“桑の湯の温度”だった。
時間を決めて数回の予定だった釜場見学ツアーや番台体験は、いつの間にか『随時開催』へと変わっていた。
時には、番台体験中にお客さんが牛乳を買いにくることもあった。
「これで大丈夫ですか?」
緊張しながら牛乳を取り出し渡す人も、笑顔で買いにくるお客さんも、何気ないやりとりの中で「桑の湯の仕事」を実感していた。
「あっ、ちょっと案内お願いしますね」
お客さんが数人集まると、四代目は小走りで釜場に向かっていく。
釜の前に立つ四代目の目が輝き、額には汗が光っていた。
「暑いところですみません」
一言添えて、仕事の説明が始まり、お客さんからの質問に答えていく。
釜場は、閉業後もメンテナンスのため決まった時間に火を入れ続けているので、現役時代そのままの雰囲気と、ほんのりとした熱気を保っていた。

「なんだか、話しているこっちが嬉しくなっちゃって。『聞いて、聞いて』という感じになっていないか心配です」
営業中のようにいつもの中庭で一息ついた四代目は、照れくさそうに話してくれた。
「こんな言葉はおかしいかもしれませんが、やっぱり火をつけるのが好きなんだというのか、釜の前に向かって火を見ていると落ち着くと言えばいいのか」
今までほとんど人目に触れることのなかった、薄暗い釜場での仕事。
その様子を、お客さんの目の前で再現できていること。
写真はあくまできっかけであり、こうした機会、目の前に起こっている反応こそが、欲しかった結果だったのだ。
桑の湯に集う、変わらぬ笑顔


ソファには、いつもの常連さんが座っていた。
「こんにちは」
「こんにちは。お久しぶりです」
お互いに再会を喜んだ。
「実はね、最終日に写真撮らせてもらってたでしょう?あの時、最初、目を合わせたらいけない人かと思ってました」
常連さんに聞こえるように、番台さんに向かって話した。
「えー、なにそれ、ひどいなあ」
常連さんも、番台さんに聞こえるように笑って返した。
「あぁ、もうここまできたらお風呂入りたくなっちゃうよ」
「水張ってあるんですよ。常連さんなら入ってもらっても大丈夫かもー」
「え?本当に?タオル持ってこようかな」
「いいですよー。でも、常連さんに全部持っていかれてしまいます」
交わした言葉や笑いが、波紋となって広がり桑の湯を満たしていった。
常連さんは、何度も脱衣場にきてはソファに腰掛けていった。
昼食を食べに出る僕たちにも、付き合ってくれたのだった。
学生さんも、何度も足を運んでくれた。
あのときの続きが、自然に始まったかのようだ。
学生さんもさっそく番台に入り、仕事半纏を羽織りそこからの景色をじっくり眺めていた。

「いよぉ!五代目っ!」
僕がかけ声をあげたら、見守っていた四代目からも「頼むよっ」と、声がかかった。
「そうそう、夕方から釜に火を入れるから見ていって」
「え?本当ですか?」
釜場は少し暗かったが、学生さんもその様子をしっかり撮影できたようだ。
「せっかくですから夕食もここで食べましょうか」
四代目が提案すると、すぐに席を用意して、食器やお茶、料理を手分けして脱衣場に運んだ。
「ずっとお話しだけしていた『すいとん汁』も食べていただこうと思って作っておきました。昔はよくこれを食べたんですが、今の人は知らないですよね」
テーブルには、お母さんが作ってくれた煮物や漬物などが色とりどりに並んだ。
「たくさん食べてくださいね。この前はトマトをたくさん食べていただいたので、あんずをシロップに漬けておきました」
素朴な色合いのテーブルに、瑞々しい黄色の果実が宝石のように光っている。
「私はあまり甘くしないようにと、お医者さまに言われていますけれど」
お母さんは、大きな器からあんずを小皿に取り分けて勧めてくれた。

「脱衣場で食事なんて凄い絵面ですね!営業中にはこんなことできませんでしたから」
四代目はそう言うと、今日一日のできごとを振り返り、笑い声と共に何気ない話しに花を咲かせた。
まるで、閉業前に過ごした居間が、そのままここに再現されたようだ。
「あっ、すみません……」
遅くに訪ねてきたお客さんは、目の前の光景に一瞬立ち止まる。
「気になさらず、どうぞどうぞ」
四代目はすぐに立ち上がり、脱衣場の輪に向かって手を差し出した。
カメラ越しに何度も見ていた“変わらぬ迎え方”だ。
「せっかくですから遠慮なく入っていってください。母ちゃん、お箸と取り皿持ってきてくれる?」
四代目の言葉に、お客さんもその輪に加わってくれた。
こういった何気ない一場面ごとに、"桑の湯の温度"が息づいていた。
夜、学生さんを車で寮まで送っていくと、思っていた以上に距離があった。
桑の湯が閉業した日は雨だった。自転車で来ていた彼らの身体は、冷えなかっただろうか。
きっと、あの日、冷たい雨に打たれた身体には、寮までの道のりがいつもより長く感じられただろう。
短い期間だったが、そんな彼らとの出会いも、僕に温かな記憶を遺してくれた。
「残ったらどうしよう」と、心配していた牛乳は、初日が終わった段階で足りなくなる心配に変わっていた。
「私たちは、足りなくなる心配の方が常にありますから、次週からは数を増やしましょう」
四代目は番台さんと話し合って、数を増やすことに決めた。
最初70本だった牛乳は、100本に増やし、途中でパックの飲み物を追加したぐらいだった。
松本から通っていたお客さん、元スタッフの皆さんなど、たくさんの方が訪ね、四代目やお母さんたちと語らっていく様子を見て、準備中に感じていた不安も消えていった。
カメラを持っているお客さんには、記念写真を撮ってもらえるようにお願いもした。
四代目とお母さんと一緒に写してもらった写真は、僕にとって貴重な一枚だ。
毎日があっという間だったが、最後の日は、僕の感覚を置き去りにするように、時間が足早に駆け抜けていった。
決まった時間にしか銭湯に出てこなかったお母さんが、積極的に脱衣場に顔を出し、お客さんたちをもてなし、会話を交わしながら、目の前の光景を慈しむように過ごしていた。

「週二回とかで続けてもよかったかもしれないね」
「母ちゃん、それはもう言ったらだめだ」
ふと、お母さんがつぶやくと四代目が優しく制していた。
シャッターがしまる時
最終日の夕方、学生さんが塩尻駅に着いたと連絡をくれた。
それだけで、空気がふっと和らいだ。
四代目が暖簾を外すと、いつものように、シャッターが音を立ててゆっくりとおりていく。
「さあ、写真を外さないといけませんね」
僕が撮った写真は、そこに写っている人たちの元へ届けられる予定だ。
駆けつけてくれた学生さんも、いつもの常連さんも、片付けを手伝ってくれた。
写っている写真は、そのまま持って帰ってもらうことにした。
「これ、今から引っ越しなどあって荷物を増やすみたいで申し訳ないですが」
特大の記念写真とマッチの写真は、四代目に譲ることにした。
「これは二枚一対で、『桑の湯』の家宝にします」
最後の最後、一緒に作った写真として手元に残しておいてもらえるなんて、これ以上嬉しいことはない。
脱衣場での食事も終わり、写真展開催前と同じ状態に戻った。
「きっと、ここが再開する時は、この姿ではなくなるはずですから本当に記念になりました」
四代目が、元通りになった脱衣場を見渡してつぶやいた。
番台のカレンダーは、閉業したあの日から、6月のまま止まっていた。

桑の湯をあとにして
カメラマンとして、喜ばれ、役立つために、考え抜いて始めた「最後の記念写真」。
大きな節目を迎える人たちに向けて、「せめて一枚でも記念になるような写真を届け、喜んでいただく」という目標は、おかげさまで概ね達成できたと考えています。
もうひとつ、皆さんが大切にしてこられたものを未来に届けるという目標は、写真展という形ではありましたが、その道筋を残すことができたと確信しています。
翌週末、「もう塩尻に行かなくてもいい」と、気づいたとき、重なるはずのなかった別々の時間が、それぞれ元の流れに戻っていくように感じました。
わかってはいても、カメラマンとして、なぜだか割り切れないような、ぽっかりとした気持ちになってしまいました。
塩尻での出来事は、現実に起きていたことだったのだろうかと感じ、スマホを手にしていました。
「なんか塩尻ロスです」
と常連さんにメッセージを送ると、
「こちらは皆、駒田ロスです」と、温かい言葉が返ってきました。
ここで出会った皆さんが、関わってきた仕事や環境を心から大切にしているからこそ、大変な時であっても、僕の申し出を受け入れてくださったことは間違いありません。
たった一枚の普通の写真が、過ぎ去った時間の中に置き去りにしてきたものを拾い上げ、新しい何かを生み出す。そんな力が確かにあるのだと、桑の湯の撮影を通して実感しました。
桑の湯が閉業して1年が経ち、銭湯は、後継者の方が新しい「桑の湯」として、再オープンされています。
大きな節目を迎える人たちを訪ねて、写真を撮り、届ける旅はまだ続いています。
四代目が言う通り、僕にとって、ここが何度も立ち返る"関所"になるはずです。
そろそろ、お母さんのカレーライスや漬物を食べに行きたいと思います。
この記事のもくじ
桑の湯の皆さま、本当にありがとうございました。
あの湯気の奥に浮かんでいた、たくさんの笑顔とまなざしが、どこかで誰かの記憶に宿り続けてくれたらと思います。
【掲載・放送】
掲載
2024/8/24
中日新聞・信濃毎日新聞
2024/8/25
市民タイムス
放送
2024/8/24
NBS長野放送 ニュース
2024/8/30
テレビ信州 ゆうがたGet!every.
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最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この『未来にあてた、普通の写真』シリーズは、ありがたいことに創作大賞2025に入選しました。
この記事で描いた「大切に想う心(Why)」を、プロとしてどう守り、どう届けているのか。
その「実践の現場(How)」を、高橋尚子さんの聖火リレー撮影秘話(無料記事)にまとめました。
さらに、それら全ての行動の指針となっている「"納品"の思考法」全体をまとめた有料記事(800円)もご用意しています。
