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大阪市の神社と狛犬 ㉒住吉区 ⑥保利神社~金属類回収を免れた青銅狛犬~

大阪市住吉区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。住吉区は、大阪市の最南部に位置し、大和川を隔てた南は堺市になります。この辺りは、古代には「すみのえ」と呼ばれた海に面した地域で、海上安全の守護神として名高い住吉大社とともに栄えてきました。また、大阪と泉州・紀州を結ぶ紀州街道や熊野街道などの交通の要衝でもありました。

住吉区には由緒ある古い神社がいくつもあります。今回は、長居公園の南側の住宅地に鎮座する保利神社に参拝します。

保利神社

■所在地 〒558-0004 大阪市住吉区長居東1-14-17
■主祭神 速素盞嗚尊 
■由緒  創建の年代は不詳だが、室町時代に周防守某なるものがこの地に城を築いたとき、城の守護神として速素盞嗚尊を勧請したといわれている。
当初は「牛頭天王社」と称していたが、明治5年(1872)に村社に列し、「素盞嗚尊神社」と改称された。さらに明治40年(1907)には、吉山神社を合祀して、「祇園社」と改めた。明治44年(1911)には、村名「堀村」の「堀」を万葉仮名で表記した「保利神社」と改称された。

保利神社由緒書

狛犬1

■奉献年 昭和四年六月吉日建之(1929)大阪行幸記念
■作者  鋳物師 長谷川攝津大掾清定
■材質  青銅製
■設置  拝殿前

拝殿と狛犬
拝殿前青銅狛犬
拝殿前青銅狛犬
拝殿前青銅狛犬
拝殿前青銅狛犬
拝殿前青銅狛犬(吽形)

拝殿前で祭神を守護するのは、勇壮な青銅狛犬である。台座に「昭和四年六月吉日建之」「大阪行幸記念」という文字が刻まれている。この年(1929)昭和天皇は、和歌山および大阪・神戸への行幸をされている。

狛犬は青銅製で、当代の鋳物師いもじ、長谷川攝津大掾清定の作である。「攝津大掾せっつのだいじょう」というのは、律令制が崩壊した中世以降、職人、芸能人などが受ける名誉号となり、近世では多様な職人や芸能人に宮中や宮家から与えられた。鋳物師の家系でも代々引き継がれた。

狛犬は顔を少し参拝者側に向ける。何事も聞き逃さないぞというかのように両耳を立てている。口を開ける阿形はやや穏やかに見えるが、吽形は、閉じた口から牙と歯並びが見え、何よりも目が鋭い。釣り上がった眉の上には、大きな角が見える。
首の下には、鈴などがつき模様が刻まれた飾り帯をつけている。これは中国獅子の意匠を取り入れたのだろう。

狛犬2

■奉献年 不明
■作者  不明
■材質  花崗岩
■設置  境内社・吉山神社前

境内社 吉山神社
境内社 吉山神社狛犬(阿形)
境内社 吉山神社狛犬(吽形)

保利神社の社殿の両側には、吉山神社と保利稲荷神社の二社が祀られている。境内社の吉山神社は、明治40年(1907)に、大字前堀村にあった村社・吉山神社を合祀したものだ。祭神は大巳貴命。
奉献年は不明だが、比較的新しいものであることは間違いない。平成の初め頃か。

狛犬3

■奉献年 平成二年十一月吉日
■作者  不明
■材質  花崗岩
■設置  東側入口鳥居左右

保利神社・東側入口
保利神社・東側入口鳥居横の狛犬
保利神社・東側入口鳥居横の狛犬(阿形)
保利神社・東側入口鳥居横の狛犬(吽形)

こちらも花崗岩製の狛犬。よく見かけるタイプである。「奉献」と彫られた第二台座と狛犬とでは雰囲気が異なる。尻尾側の面を見ると、「文政十三 寅正月吉日」と書かれている。文政13年は1830年だ。これは先代狛犬が奉献された年である。

保利神社・東側入口鳥居横 先代狛犬の台座銘

別の面にはこんな石板がはめ込まれていた。

保利神社・東側入口鳥居横 先代狛犬の台座にはめ込まれた石板

「御大典記念として再建す 平成二年十一月吉日」

「御大典」とは、新天皇が即位したときに行われる一連の儀式のこと。ここは現在の上皇が天皇として即位したときの御大典の行事である。なお平成2年は、西暦1990年になる。

〈境内の力石〉

保利神社の社殿南側に力石が並んでいる。力石は、江戸時代から明治時代にかけて、力試しに用いられた大きな石である。ここには明治時代の力石が6個あった。石に名前がついてるのがおもしろい。


保利神社はここまで。
文政の浪速狛犬には出会えなかったが、拝殿前の青銅狛犬が、戦時中の金属類回収令を免れて無事に生き残ってくれたのがうれしかった。
なお保利神社に参拝される方は、住宅街の中の迷路のような道の先にこの神社があるのでご注意を。

次回は大依羅おおよさみ神社に参拝する予定です。







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