小説|たい焼きと夜の海
予備校から帰る夜道。彼は今日はじめて呼吸をした気がします。受験まで残された時間を思うと息が詰まりました。彼が渡る陸橋は海峡に沈む沈没船のようで、巨大な深海魚を思わせる大型車が生む揺れに彼の脚は震えます。
たい焼きが食べたい。そう彼は想いました。幼い頃、宿題に疲れたときはいつも祖父がたい焼きを分けてくれたのです。餡が多い頭のほうを、半分。錆びた欄干を越えて海の底へ身を投げれば、また祖父に会える気がします。
潮に似た涙を透かし彼が見る冬の夜光は月か海月か。彼は息を止めます。もう溺れる苦しみを味わわなくても済むように。陸橋から身を乗り出して、鋭い牙を剥き出しにした深海魚の大きな口へ彼は飛び込みました。
ゆるやかに夜の海底へ沈む彼。まぶたを閉じていた彼に触れたのは強面の冷たい深海魚ではありません。彼を柔らかく温かく陸橋へ押し返したのは、頭がなく、しっぽだけで器用に泳ぐ、たい焼きの群れ。

ショートショート No.335
昨日の小説
#ショートストーリー #短編小説 #物語 #読書
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