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書くのに疲れたら読むnote

こんにちは!

「なんか最近、書くのつまんないな」

そんなとき、ありますよねー。

いろいろ原因は考えられますけど、そのひとつとして、創作するとき「ちゃんとしすぎちゃう」というのがありそうに思っています。

タイトルは読まれるものにしなきゃいけない。冒頭で離脱されないようにしなきゃいけない。結論は先に。一文は短く、みたいなね。

いや、どれも大事なんです。めっちゃ大事。

私もプロのクリエイターなんで、好きに創ってばかりはいられないってことは、身にしみてわかってるつもりです。

お客さんがいる。締切がある。コスト削減が要る。売上目標がある。

「楽しいから創りました」だけじゃ通らない場面が、世の中にはたくさんあります。十年間以上ゲームクリエイターやってたら、そりゃもう、うんざりするくらいに。

だから、創作の技巧やノウハウを学ぶことは、ぜんぜん悪いことじゃないと思ってますよ。むしろ、ちゃんと届けたいなら、学んだほうがいい。

ただ、ずっとそれだけだと、ちょっと息が詰まるんですよね。

書く前から「これは読まれるか?」と考えて、一文書くたびに「これは役に立つか?」と悩んで、投稿する前に「これは私のブランディングに合っているか?」とかためらってみたり。

気づけば、文章を書くことが、義務みたいになってる。「えー、私がこの文章を書く理由は三点ありまして……」みたいな顔で、パソコンの前に座っている。スマホを握っている。

そういう気構えが必要な場面もあるんですけど、毎回それじゃ疲れます。

で、最近思うんです。

鼻歌みたいに書いたって、いいじゃん、と。

鼻歌って、ふしぎなもんですよね。

誰かに聴かせるために歌っているわけじゃない。かといって「自分を癒やすぞ」と思って歌ってるわけでもない。ただ、なんとなく上機嫌だから歌う。

天気がいいとか、コーヒーがおいしいとか、仕事がひと区切りついたとか、理由はあるのかもしれないけど、本人もそこまで考えていない。気づいたら、ふんふん歌ってる。

あれって、すごく自由な表現だと思うんですよね。

うまく歌おうとしていない。意味を伝えようとしていない。評価されようとしていない。役に立とうとしていない。でも、だからこそ、なんかいい。

創るという行為にも、そういうものがあっていいと思います。

誰かに読ませるためでもない。自分のためでさえない。ただ、心のどこかが少し上機嫌で、自然と出てきた文を書いてみる。

「今日は道端のタンポポにアリが登ってた」とか。
「冷蔵庫に入っているハーゲンダッツに救われてる」とか。
「夕方のスーパーの惣菜コーナーこそ、人生の縮図である」とか。

役に立たない。結論もない。でも、ちょっと書きたくなった。たまには、それでいいじゃん、と思うんです。

神経科学者のアンジャン・チャタジーの書籍『なぜ人はアートを楽しむように進化したのか』に、こんな一節があります。

大事なのは、特定の文化環境にあるアートが厳密に定められたルールに従うのか、それとも多様で予測不可能であるのかという点だ。つまるところ、アートはわれわれの自由の指標なのだ。

アンジャン・チャタジー『なぜ人はアートを楽しむように進化したのか』草思社

この「アートはわれわれの自由の指標なのだ」という言葉が、かなり好きです。文章も、同じです。

もちろん、文章にはルールがあります。読みやすさも大事です。伝わる構成も大事です。読者のことを考えるのも大事です。

でも、文章がルールに従うだけのものになったら、ちょっと寂しい。

「読まれる文章の型」だけで書く。「バズるテーマ」だけで書く。「こうすればスキが増える」だけで書く。

そりゃたしかに効率いいかもしれないけど、だんだん、自分の中の自由な範囲が狭くなっていく感じがします。

子どもの頃って、もっと勝手気ままに創っていたと思うんです。

ノートの端にマッチョなアンパンマンを描いたり、誰にも見せないキャラの設定資料を作ったり、石ころに名前をつけたり。

そこには、マーケティングも、ターゲットも、設計意図もありません。ただ「なんかついやっちゃう」があるだけ。

私は、そういう自由に創る楽しみを、大切にして生きてます。

じつをいえば、この文章のテーマも、さっき風呂掃除をしながら鼻歌を歌っているときに思いついて、だいぶ気ままに書いてます。

仕事では、好き勝手できないことのほうが多いです。クリエイターである以前に、会社員ですからね。でも、だからこそ、なおさら大切にしている。

意味が薄くてもいい。オチが弱くてもいい。誰の悩みも解決しなくていい。読み終わったあとに「で?」と思われても、まあいっか。書いた本人すら「なんでこんなこと書いたんだ」と思うくらいで、ちょうどいい。

だから、ちゃんと書くことに疲れた人は、いったん、あえて、ちゃんとしない文を書く時間をとってみてはいかがでしょう。

読者のためでもなく。自分を救うためでもなく。成長するためでもなく。実績を作るためでもなく。ただ、ふんふんと出てきたものを書いてみちゃう。

そういう文章は、たしかに広く読まれないかもしれません。

でも、書いているあいだ、自分の中にまだどこまでも広がる自由が残っていることを思い出せる。それだけで、十分じゃないでしょうか。

鼻歌みたいに書いたって、いいじゃん!

たぶん創作って、そういうところから、また楽しくなるので。

ではまた!


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小牧幸助|小説・エッセイ 牛乳を買って金曜よるに一杯やります。