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君の本は燃えるか

 一冊の本を埋める。それは少女にできるせいいっぱいのことでした。頬を拭うと焼かれた家の灰が黒く擦れます。埋めなければ大切な本も燃やされてしまうから、小さな爪が剥がれそうになるほど深く、少女は裏庭を掘りました。人の想いだけは誰にも奪えない。本に記された物語の主人公の台詞をお守りのように唱えながら、穴に土をかけました。そして、駆け出します。逃げられないと分かっていました。
 歴史書も、戯曲も、辞典さえ。本という本が焼かれます。誰かのために書かれた数えきれない文字は、血のように黒い煙となって大空を覆いました。貨物列車から少女は失われてゆく人の想いを見上げます。唇を噛みました。これからどこへ連れ去られようとも、心は土深く埋められた物語の中に置いてきたのだから、大丈夫。そう考えながら少女は震える膝を抱えました。やがて、夜と霧が列車を包みます。

 戦争が終わり、幾星霜。独り生き延びた少女は、大人になりました。彼女は本を掘り返すことはできませんでした。焼け野原のどこに生まれた家があったかすらも分からないのに、一冊の本を探せるわけもありません。何も失っていない人など、ひとりとしていませんでした。人々はただ前を向いて、更地に町を興したのです。彼女もそのひとりでした。やがて彼女は結婚し、子をもうけます。男の子でした。
 人の想いだけは誰にも奪えない。少年は母親の言葉を宝物として育ちます。外で遊ぶよりも本を読むことが好きな子でした。戦いで燃え残った古い本を労るように少年は読書をします。自分も物語を書きたいと思うまで、そう時間はかかりませんでした。少年はノートとペンを持って町のどこでも物語を書きます。母親は戦争について語りたがりませんでした。だから少年は本から歴史を学び、物語にします。

 数年が経って、少年も大人になりました。彼は今日初めて出版された自分の本を撫でます。いつも物語を書いていた町はずれの木陰に彼は腰を下ろしました。青い空に澄んだ雲が流れます。人々から家も町も命も奪った戦争の物語が記された本を彼は木にもたれかかりながら読み返しました。母に捧ぐ。その献辞を誰よりも早く本人に読んでほしいと考えていた息子の切なる願いはしかし、叶いませんでした。
 彼は知りません。母親が収容所でどれほど恐ろしい目に遭ったのか。悪臭が漂う貨物列車でどうやって不安と戦ったか。燃え盛る生まれ育った町に背を向けて走るのがいかに辛かったか。けれども彼は知っています。母がなぜ本を愛していたか。母がどうして強かったのか。母がくれた宝物が何を意味するか。そして、彼は知りません。いま彼がもたれかかっている木の根もと深くに何が埋まっているのかを。






ショートショート No.396

photo by Kosuke Komaki

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小牧幸助|小説・エッセイ 牛乳を買って金曜よるに一杯やります。