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アセミック一文字詩と「呪」──意味のない文字に意味を見る


アセミック一文字詩、番外編。


以前、アセミック一文字詩と「呪」の関係についてAIと対話したことがありました。

また、コメント欄でも護符や霊符の話題がのぼったので、今回はその方向で少し遊んでみることにしました。



まずは、以前つくったこちらのデジタル呪符をベースに、AIに益子文字バージョンへ変換してもらいました。

(なんでオリジナル呪符なんて作ってるんだ、というツッコミは無しの方向で)

────できたのが、こちら。





……それっぽいですね(笑)

文字の組み合わせで、いろいろ楽しめそうです。


シンプルな一文字版も作ってもらいました。


そして、呪術ファンタジー風・益子文字。

ドン!


デン!


ゴゴゴゴ…!

この溢れ出る強キャラ感。

くらえ!


来たれ!




どうでしょう。

アセミック。
つまり、特定の意味を持たない。

それなのに、何かありそうに見える。
意味がないはずなのに、意味を探してしまう。
虚っぽなのに、なぜか感じてしまう。
名もなき線なのに、そこに何かを見出そうとしてしまう。


──僕の好きな陰陽ファンタジーライトノベル『東京レイヴンズ』に、こんなやりとりがあります。

呪術の神髄が何だかご存知だろうか?
答えは、「嘘」です
よって、「真実」は慎重に扱う必要がある
皆が思う以上に、用心深く

               ──土御門夜光


呪術の神髄が「嘘」。

とてもおもしろい言葉です。

護符や呪符は、ある意味では「そこに何かがある」と思わせるものです。

紙に線があり、記号があり、見慣れない文字のようなものがある。
ただそれだけなのに、人はそこに力を感じてしまう。


嘘かもしれないのに。


けれど、同じ『東京レイヴンズ』では、飛車丸がこう返します。

呪術の神髄が「嘘」?
まったく。いかにもあなたらしい。
けど、私はそうは思いません。
なるほど「嘘」は呪術の華ですが、華にはそれを支える根があります。
信じる心。
それなくして、いかなる「嘘」が輝きましょうや

                  ──飛車丸

この言葉も、また好きです。

「嘘」は華。
けれど、それを支える根は、信じる心。

つまり、呪とは単なる嘘ではない。
そこに何かがあると信じる心によって、はじめて立ち上がるもの。

見えないものを見ようとする。
名のないものに名を与えようとする。
何もないはずの場所に、気配を感じてしまう。

その心の動きこそが、呪の根なのだと思います。


小説『陰陽師』で、安倍晴明は「呪」について語ります。

呪とは、ものの根本的なありようを決めることばである。
この世で一番短い呪は「名前」である。
目に見えぬものさえ、名という呪で縛ることができる、と。

これは、とても深い話です。

人間は、言葉を得てから、世界に名前をつけてきました。

空。
海。
花。
鳥。
わたし。
あなた。
神。
悪。
愛。
呪い。

名付けることで、世界は輪郭を持ちます。
名付けることで、見えなかったものが見えるようになります。
けれど同時に、名付けることで、もののあり方は固定されてしまう。

名前を与えることは、理解することでもある。
けれど、縛ることでもある。

良くも悪くも、僕たちは言葉に縛られています。

新しい言葉が増える。
新しい名前が増える。
新しい分類が増える。
新しい意味が増える。

便利になっていく。
説明できることは増えていく。

けれどその一方で、名付けられる前にあったはずの、もっと曖昧で、もっと生々しくて、もっと心の奥に近いものからは、少しずつ離れていくような気もします。


僕がやっているアセミック一文字詩は、たぶん、その逆方向の遊びです。

意味のある文字を書くのではなく、
意味になりきる前のかたちを書く。

読める文字ではなく、
読もうとしてしまう線を書く。

名付けられたものではなく、
名付けられる直前の心の震えを描く。

それは、言葉になりきる前のしるし。

心の中にあるけれど、まだ名前になっていないもの。
意味ではないのに、なぜかこちらを見てくるもの。
虚でありながら、どこか呪の気配を帯びるもの。

それが、僕にとってのアセミック一文字詩です。


余談ですが、フースラーの発声論を読むと、人間は文明や言語の中で、もともと備えていた野生的な声の機能から遠ざかっていったのではないか、という視点が見えてきます。



それに倣うなら、アセミック一文字詩は、言語に縛られる前の「野生の文字」を探る試みなのかもしれません。

声になる前の声。
言葉になる前の言葉。
名前になる前の心。

それを一文字のかたちとして、そっと浮かび上がらせる。



──ところで。
厳密に言えば、無題シリーズにも「無題」という名がついています。

つまり、「無題」という呪がかかっている。

名付けないために「無題」と名付ける。
意味を外すために、意味を持つ言葉を置く。

この矛盾もまた、おもしろいところです。

完全に言語以前へ戻ることはできない。
僕たちは、どうしたって言葉の中にいる。

けれど、だからこそ、虚空の深淵──そのほとりに立つ。
意味の境界に、ただ立つ。


そこから、線を一筋。



アセミック一文字詩は、何かを説明するための文字ではありません。

けれど、何もないわけではない。

意味はない。
けれど、気配はある。

読めない。
けれど、感じる。

名はない。
けれど、心が反応する。

その瞬間、文字はまだ言葉ではなく、けれどすでに「詩」であり、「呪」を帯びはじめているのかもしれません。



人の心とは何か。

そう問いたくなったら、ぜひアセミック一文字詩──「益子文字」を観てください。

そこには意味がない。
けれど、意味を探してしまうあなたの心が映ります。



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