エイミー・マン/FUJIROCK 2013
2000年3月。
思い起こすと西暦2000年という年は、世界が滅んでいたはずの次の年で、ぼくはといえばなんとまあ29歳だった。今思うと若くて羨ましい限りなんだけれど、当時のぼくはと言えば、まさか訪れるはずがないと思っていた30代を間近に控え、そうならざるを得ない自分自身を全くイメージすることができずに笑っていた。いや、正しくはひきつっていた。
上京してから10年近く、定職にもつかず遊び歩いていたころで、だが周りの友人たちはひとりずつ消えていき(職に就いたり田舎に帰ったり)、焦りや恐怖よりも孤独感を無性に感じていたのを覚えている。
世紀末と言われても全くぴんと来なかったし、何をすればいいのかも全く分からなかった。かと言ってノストラダムスを呪うこともなかったし、現実的に職に就こうとか実直に生きようとか、そういうことも全く考えていなかった。世紀末と呼ばれるものをただぼんやりと迎え、日々のカネにひたすら苦心し、薄壁アパートに備え付けられた、キシキシ音のするパイプベッドの上で時間を無駄にしていただけだった。音楽は常に鳴り響き、14インチのホコリまみれのブラウン管には、何らかの映画かダービースタリオンの育成画面のどちらかしか映っていなかった。
要するにクズである。
そんな目に余る毎日に嫌気がさしたのはぼくではなく、当時お付き合いしていた女性であった。無理やり業界のコネクションから面接の段取りを組まれ、気づくと変な会社に入社していた。正社員でいれてやる、という会社側の意向を蹴り、3ヶ月はアルバイトにしてもらった。週払いでの賃金の支払い契約も求めた。要するに必要なカネを早急に得ることと、いつでも逃げられるようにすることしか考えていなかった。どんな業種で何の仕事をさせられるのかも一切興味がなかった。
振り返るとなかなか筋金入りのクズである。
一週間働かされた最初の金曜の夜に、一人で映画館に行った。
カネが手元に入り、一人ぼっちでできるささやかな贅沢を考えたとき、それは映画館にいくことだった。映画を観たいというよりかは、映画館へ行くことに価値があったように思う。
よって適当に時間の合う映画を選択した。さまざまな映画の予告を眺め、館内がより暗くなり、それほど待ちわびていなかった本編が始まる。週末夜の映画館にしてはとても閑散としていて、あまりに人がいないので映画に集中するのに時間がかかったのを覚えている。この人数に対してスクリーンはあまりに広く、音は割れ気味に大きかった。
その時観た映画こそが「マグノリア」だった。
シンガーソングライター、Aimee Mannとの出会いでもある。
その次の日にはレコード屋に走り、彼女のアルバムを買った。だが映画で使われていた曲は入っていなかった。ぼくはあの曲が聴きたかった。どうしても今すぐ、どうしてもどうしても聴きたかった。劇中で役者たちが歌い出すあの歌を。エンドロールの上に流れるあの歌を。よって日曜にはもう一度ガラガラの映画館に赴き、古いSONY製ウォークマンを握りしめ、その瞬間にボタンを押した。
2013年7月。
12時。グリーンステージのモッシュピット内では、Aimee Mannを待つそれほど多くはないフジロッカーたちが、巨大なステージを観るともなく眺めている。ぼくはあの日のガラガラな映画館を思い出してなんだかおかしくなる。後ろを振り返ると、まるで河原で遊んでいる家族の群れや、大学生サークルがBBQでも始めるかのような牧歌的風景が広がり、だがその後ろには都会にはない重々しい緑色の森が見えた。
世紀末は何事もなく過去になり、もはや死語と化している。ぼくは一週間で逃げ出そうと思っていた会社に結局10年以上もお世話になり、この業界ではなんとか食べていけるようにはなっていた。
見上げると雲が速く流れている。また雨が降るのかな。降るのかもしれないな。「マグノリア」では劇中、常に大雨だったから、フジロックがピッタリだと思っていた。だが雨の気配はまだ訪れない。
青空がいちばん大きくみえたころ、エイミーがステージに現れた。ぼくは拍手することすら忘れて、調弦する彼女の姿をみている。
彼女がマイクに向かって何かを話す。軽やかな風がモッシュピットに吹き込む。空は相変わらずの青で、雨の気配はすっかり消えていた。彼女は何かを悟ったかのように、歌い始める。当時と何も変わらない、あの声のままに。
ぼくは気づくと泣いていた。まあ予想はしていたけれど、思っていた以上に泣いていた。
彼女の声はすべてを見透かしているようでもあり、すべてを包みこんでいるようでもある。ひとはこうやって都合よく解釈し、勝手に感動し、自分を奮い立たせたりする。そんなぼくを置いていくかのように、彼女は軽やかに、風のように歌い続ける。シンプルで飾り気のないステージが、彼女の存在をどこまでも引き立てる。彼女の眼鏡に森が映り、人々が映り、青空が映る。そしてまた次の歌が始まる。
ぼくはガラガラの映画館を思い出している。
ぼくはガラガラの映画館にいたぼくを思い出している。
ほうらおまえはいつまで経ってもそんなふうに。
Wise Upのコードが鳴る。ぼくは慌てて自分の中の大切なものをひとつひとつ確認する。なんだかたくさんある。なんだよいつの間に。伸びやかな声が森に響く。森が怯んでいるのがわかる。
終盤、気づくと雨が落ちてきていた。最後の曲を前に、雨は一層強くなる。さっきまでの青空も太陽も嘘みたいだ。でもそういうこともある。振り返ったらみんな自慢の雨具を引っ張りだしていることだろう。だがぼくは微動だにせず、彼女を見続ける。晴れていたのに、強い雨が落ちてくる。そういうこともある。
Deathlyで終演し、エイミーは小走りにステージを去っていった。ぼくは彼女が見えなくなるまで拍手をしたあと、灰色の空へ視線を移す。大粒の雨が顔にあたる。でも、映画のあのシーンみたいに苗場に蛙までは降ってこないみたいだ。残念だな。雨にあたりながらそんなふうに自分に酔っていると、肝心だった強い雨がパタッと上がり、カラッとした夏の強い日差しへと、あっというまに変貌した。
そういうこともある。
“but it did happen” -Magnolia-
Green Stage at FujiRock Festival
2013-07-27 sat
Aimee Mann -Set List-
4th of July
Disappeared
Gumby
Labrador
You Could Make A Killing
Lost In Space
That’s Just What You Are
Ray
Save Me
Wise Up
Slip And Roll
Goodbye Caroline
Deathly
