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意味の中でしか生きられないと、いつか答えに窮してしまう日がくる

「これって、何か意味あるんですか?」

以前、アルバイトのスタッフに問われたことがある。作業のやり方を教えていたときに、とある工程について聞かれたのだった。

僕は一瞬止まってしまい、そして困ってしまった。その工程に意味があるかどうかなんて、まるで考えたことがなかったからだ。

彼は答えを待つ顔をしている。僕は止まった思考を揺り動かすように意識を戻した。そして例の工程に意味があるかどうかを考えてみる。そのときは結果的に "ある" ような気がしたので、自分が思うその工程の意味を彼に説明してみた。腑に落ちていないような表情をしていたものの一応という具合に「なるほど」と彼は言った。
会話はそれで仕舞いになったが、そのことがきっかけになり、僕は「意味」ということについて大した意味もなく考え続けたのだった。


意味を問われる場面がある。

この作業に意味はあるのか。
君がやっている活動に意味はあるのか。
お金を稼ぐ意味は? 結婚する意味は? 生きている意味は?

そのたびに、意味かぁ、と思う。

意味は分かると気持ちがいい。意味があると分かれば安心できる。意味を見出すことで自分の選んだ道を認められるようになったりもする。分かる。めちゃくちゃ理解できる。

でも、意味かぁ、と思う。もっと言えば「あってもいいけど、なくてもよくないか?」と思うのだ。もちろん、冒頭に書いた仕事のようなものにおいては、意味があったほうがいい場合もあるだろう。けれど全部が全部「意味があるべきだ」とは到底思えないでいる。

意味を問われるということに関して、ことさら "無意味を非とする前提" でやられるのが、しんどい。「意味なんてないこともある」というのがこちらの前提だから、最初からずれている状態で意味というものを説明しようと試みなければならない、というそれ自体に大きな面倒くささを感じてしまう。説明しようったって説明しようがないことだってあって、どうしろって言うんだ。とそう思うのである。




「コスパ」「タイパ」などの考え方が台頭して久しい。新しい言葉というのは時代のムードを纏うようにして生まれてくるが、これらは現代を本当によく表した言葉だなとつくづく思う。自分が差し出すものと引き換えの対価とが見合ってないと嫌、なのだ。そりゃあ嫌だろうとは思う。お金も時間も有限だからだ。

けれどその結果、人は意味ばかりを探すようになってしまったのではないか。

何かにお金をかける意味、時間をかける意味。意味がないならそれをやる意味なんてない、と言わんばかりに意味を求めている。そしてその意味というものを、当然あったほうがいいものとして扱っている。

しかし、そうではない。あったほうがいい場合もあるが、同様になくても困らない場合もあること。そもそも存在しない場合もあり得ること。人はその事実を頭の片隅にでも置いておく必要があると思う。意味の中でしか生きられないと、いつか答えに窮してしまう日がくる。なぜか。日々は、ひいては人生は、意味のないことや説明のつかない出来事がたびたび起こるからだ。


意味がないということを、恐れずに迎え入れる。自分の人生に余白を作るための鍵かもしれない。大切にしていきたいと思う。

そして、いつもと毛色の違う文章を書いてみたわけだけれど、「その意味は?」などと思わずにそっと閉じてくれたならばありがたい。本当に、特に大きな意味も持たせぬまま書き終え、投稿し、僕はこれから眠ります。おやすみなさい。

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