転んだ
転んだ。
文字どおり転んだ。アスファルトで。スーパーでバナナと玉ねぎを買って帰る途中の道だった。車に道を譲ってもらい「お、それなら急がなきゃだわ」と小走りしようとしたその一歩目でつまずいて転んだ。ほんの一瞬でズァッと手を地面に打ち付け、うーわやったわと思った。じんとした右の手のひらを恐る恐る見てみる。擦りむいて皮が二箇所めくれ、そこからやんわりと血が流れていた。やっていた。うーわ。
道を譲ってくれた車の前で転んだので恥ずかしさもあってすぐに起き上がり逃げるようにその場を立ち去ろうとした。するとその車が三回ほどクラクションを鳴らした。なんだなんだ!と歪んだ顔で振り向くと、転んだ拍子にイヤホンと鍵を道に落としていたことに気がついた。うーわ。戻って取りに行かなきゃじゃん。なんて恥ずかしいこと。小走りで──今度は転ばないように現場に戻りそそくさとそれらを拾い上げ、また逃げるように踵を返してその場を去った。
一分もしないうちに、腰や膝、それから肘にも多少の痛みを感じ始めた。どんな転び方をしたんだという感じだが、思い返せば確かにそれだけの勢いがあった。あーあ、やっちゃったなぁ。今日は母の日で、最高の日にしようと意気込んでいたのに。一日のテンションを不意にするほどに落ち込みそうになった瞬間があったが、いーやいかん!と持ち直した。最近僕は、むやみに落ち込まないことを心がけているのだ。妻に写真付きで転んだことをLINEで伝える。絵文字を使ってポップに仕上げた。合格である。
帰りのバスの中でも手のひらはじんじんと疼いた。血を落とさないように手のひらを上向きにし、それでいてバナナとたまねぎの入ったエコバッグも指先にかけ、なんでもないような顔をしてバスの時間を過ごした。家の最寄りのバス停で降りたときその手のひらに風を受け、またじんじんと皮膚が疼いた。
家までの道を歩きながら、久しぶりに転んだなと思った。アスファルトの感触がまるで懐かしかった。それだけじゃない。転んだことの恥ずかしさも、やったわ感も、じんじんという痛みも、全部が懐かしかった。大人になったらあまり転ばなくなる。それは転ぶ痛みを知っていて、転びたくないと注意を払うからだ。そんな大人が今回は注意不足で転んだわけだが、おかげで小学生くらいの感覚を一瞬取り戻せた。取り戻して何になるでもないが。
あとまぁ、ちょうどいい頃合いだったのだと思う。「大人になったらあまり転ばなくなる」とは書いたが、転んでいなかっただけで、思えば運動能力は随分と低下している節があった。例えばこの数年は、何かにつまずくことが多くなっていたことを実は自覚していた。その末ついに転んだわけだが、30代も半ばに入ってきてしまうと今度は転びやすい大人になってきたのだと、そういうふうなことが分かった。これが40代、50代と歳を重ねていくにつれ、さらに転びやすくなっていくだろうことは想像に容易い。だから今、このタイミングで転んだことで、これからの道の歩き方を考え直すきっかけになった。
「気をつけよーっと。」
おおげさに足を上げながら残りの帰り道を歩いた。
そういえばこれは余談なんだけれども、道を譲ってくれたり物を落としたことに気づかせてくれたり…と親切だった車の運転手の人にお礼の一つも言えなかったなぁ。いい大人なのに、いい大人がして然るべきことをできないことが時々あるなと思い、すこし反省した。
運転手さん、ありがとうございました。優しいあの人にいいことが起こっていますように。絆創膏を貼った手のひらを見ながらぼけっと思う。僕の傷も早く治りますように。ついでに願う。

