同じ光と安心の笑顔
三月下旬に母から子宛の荷物が届いた。
一体なんだろうと開封すると、そこには鯉のぼりの人形、母が描いた絵手紙、きらきらと上品に光る小さな羽織ものと、それから何かの裏側に張り付けられた付箋が入っていた。付箋は母から子へ向けた手紙だった。
「◯◯(子)へ
初節句おめでとう。この陣羽織はこうめいパパが初節句で着たものです。◯◯にも着てもらえたら嬉しいです。」
付箋の手紙を裏返すとそれは写真で、写っていたのは幼い頃の自分だった。嬉しそうな、そしてどこか誇らしげなそんな表情をしている。その僕が着ていたのが、まさに僕たちの眼前に届いた陣羽織だった。
34年の歳月を経て自分が着ていたものと同じ陣羽織がわが子に届いたという劇的な展開に驚いたのはさることながら、間抜けにもその陣羽織の状態のあまりの良さの方に更に驚いてしまった。それは大切に守ろうと思われていなければ維持できない明るさを放っており、色褪せたような雰囲気を微塵も感じさせぬまま今もなお煌々とそこにあった。まるで光だった。
傍に置いた写真をもう一度眺める。当時の自分のはち切れんばかりの笑顔が眩しく写っていた。
写真を撮るようになって久しい。これまでは妻のことを撮り続けてきて、子が産まれて以降は子のことや、妻と子のことを撮り続けている。
いろんな表情を撮るわけだが、ことさら「笑った顔」というのは、写った者の感情のバリエーションが特に多様だ。楽しいから笑っているときもあれば、うれしくて笑っているときもある。あきれていたり、寂しかったり、懐かしかったりと、そういう感情を伴い笑っていることもあるだろう。
もうひとつ特筆すべきは、この「笑った顔」には、その者が誰かに対して抱いている感情が付随していることもあるという点だ。例えば僕が妻と子の写真を撮ったとき、笑っている子の目線の先には妻がいて、そこには「信頼」のような感情が付随していたりすることもままある。
写真は関係性を写すとよく言われる。往々にして「撮影者と被写体との間の関係性」という文脈だが、実際はそれだけでなく、そこに写っている者どうしの関係性であったり、もっと言えばその近辺に写っている物との関係性も写したりする。そして「笑った顔」というのは、その関係性が分かりやすく露出するものだ。
母の小包に入っていた1歳にも満たない自分の写真、あのはち切れんばかりの笑顔。この笑顔が表している感情のことを、僕は知っている。「安心」である。
この人は自分に危害を加えたりしないという安心。心の内を思い切り表出しても大丈夫だという安心。たとえ自分がこのまま後ろの方向に頭から倒れ込もうとしてもすんでのところで支えてくれるだろうという安心。以前、そういった表情を子が自分にも見せてくれたとき、僕はたいそう感動したものだ。
昨晩、子が寝ている時間に、妻と話し合いになった。
対話の中で妻に指摘されたことがある。それは、落ち込んでいるときの僕のことを子が伺うように見つめているというものだった。僕はまったく気がついていなかった。そのときの子の表情を想像したら、身体の内側にある何かがきつく縛られるように苦しくなった。
最近の自分が、落ち込んでいたり、気分が上がらなかったり、イライラしていたりした、その自覚はあった。妻がそれらを察知し、気を回している瞬間があることにも気がついていた。でも正直な話をすると「仕方がないじゃないか」と思っていた。落ち込んでしまっているのだから、そしてこの落ち込みをどうコントロールすればいいのか到底分からないでいるのだから、仕方ないじゃないか、と。
けれど、仕方なくないのだと思い直した。なぜなら、子も同じようにそのことを察知しており慮るような表情で僕のことを見つめ始めているわけで、これでは子の「安心」の感情が揺らいでしまうと考えたからだ。もちろんそれは妻に関しても同様で、僕は、妻にも子にも、自分に対して「安心」していてほしいと思った。
だから、やっぱり仕方なくないのである。自分の感情をコントロールしたり、自分の心を元の穏やかな場所に帰すための練習をしよう。今朝、自分を戒めた。
陣羽織の話に戻す。
節句というのは、無病息災や成長を祈るための年中行事だという。34年前の端午の節句の日、陣羽織を着て周囲の人間からの健やかな未来への祈りを受けた僕は、今年35歳になる。おかげさまで大きな怪我や病気もなくここまで来た。身体は健康である。あとは心の部分だ。特効薬はないだろうが、少しずつ自分の性質を理解していき、「こうなったときはこうやって戻す」の引き出しを徐々に増やしていく他ない。心が安定している穏やかな夫、父でありたいと思う。
来月、あのとき僕が着たのと同じ陣羽織を子が着る。母が大切に守り抜き僕たちに引き継いだその光は、必ずや子の健やかな成長に一役も二役も買ってくれることだろう。どうしてそう思えるのか。それは、当時の僕が一身に受けた「この子の未来を照らさん」とするたくさんの祈りが、そこに今もなお込められているに違いないからだ。
そして僕は父として、この陣羽織に負けないくらいの明るさで、子のことをずっとずっと照らしていきたい。僕が、妻が、僕と妻が、明るく笑っていられれば、子はまぶしいと目を細めながらもはち切れんばかりの安心の笑顔を見せてくれるはずだから。

