みんなー!コンテンツ観てる時、「感想の言語化」って頭の中でしてる!?ぼくはしちゃうんだ、貧しいよな。
今週はそれはまぁお芝居観た。
6本観た。観劇おじさんだ。
話題の舞台は観たいし、出演者や関係者の方に声をかけていただいた公演はなるべく観にいくようにしている。
(演劇はすぐ終わっちゃうから、そして見逃したらもう永劫ナマでは見れなくなるから、そんな脅迫力があるから逆に演劇が一番観に行ける。絶対好きな『教皇選挙』が見放題に追加されてしばらく経つのにまだ見れてない。絶対好きだろうから万全な状態で観たいという心が、逆に視聴を遠ざけている。でもそんな"万全”、一生こねぇぞ、光一。左ききのエレン、アニメ化おめでとうございます)
そして、観た舞台の感想はSNSに上げるようにしてる。
席一個埋めて観た訳ですし、自分が公演してる時はやっぱり感想は欲しいので、書くようにしてるんだ、感想。
その感想を、不特定多数が見られるインターネッツに放流するからには、やはり示したい……!鋭い物語への洞察力!細やかな部分を拾い上げる言語化力!
最近ピッコマでカイジを読んでいるため、感染っているッ!!福本節!!圧倒的!!
ざわ……。
この現代社会に生きていてぼくもきっちり、一匹の承認欲求のバケモンですので、作品の感想を綴る時でさえ、「その感想テキストが他者からどう見られるか」を気にしている。
やっぱり、「さすがの感性!そして、さすがの言語化力!」って言われたいという気持ちがある。一匹のバケモンなので。
しかし近頃、数年にわたってもてはやされすぎた「言語化」への崇拝とも言えるワッショイムードに疑問を投げかける言説が盛り上がりつつあるのを感じる。
たしかに、その感覚はわかる。
「言語化すごっ!」とか「解像度たかっ!」って言われると、そこでコミュニケーション終了、というか、「あなた細かいサイドですね」って線を引かれてる気持ちにもなるから、たまにあんまり気持ちよくないこともある。特に、「よしコイツとは!深い議論するぞ!さぁとことんやり合おうぜ!」って意気込んでる時に、「解像度高いな〜」って言われえると「えぇ!お前がそれ言う!?降りないでおくれよっ!」って、肩透かしされたような、残念な気持ちになる。
だから、「言語化崇拝」への疑問、わかりつつ、それでもやっぱり思われたい……!言われたい……!「言語化力高いね〜〜〜」と。
まぁぼくは元々好きだしね、現象や感情に言葉を当てはめていくことが。
それはいいとして、これはあんまり良くないな〜と思っているのが、近頃のぼくは、「もうコンテンツ視聴中から、感想の言語化を始めている」のである!
目の前のシーンやお芝居を見つめながら頭の中で「いいね〜!今の!なるほどね、テーマ見えてきた〜。今のシーン、そのテーマ性が結構表れてた箇所だと思うから、感想投稿には入れ込むか〜〜〜!あ、いい比喩表現も思いついたゾ〜〜〜!」って思ってるのである!
正直、上の表現、あんま誇張してない。
ひどい時は文章の推敲まで始めている。
いや観てるよ?ちゃんと?
なんならぼくはコンテンツ記憶力いいしねっ!セリフ覚えたりシーン再現とかできるタイプですからっ!
でもそれは、気の利いた感想を書くために観ている最中から目の前の作品を構造、要素分解して、それを観た時の自分の心の反応すら俯瞰して客観化してるから、つまり情報として脳内で瞬時に整理しているから、覚えられるというのもあると思う。
謎の自負だが、きっちりした観客ではあると思う。
感想投稿にも「我ながら良いこと書くやん」って思うことだってある。
(だからわざわざメンションつけてストーリー投稿するのだ)
「感想嬉しいです〜〜〜!」って言ってもらえることもある。
そんな投稿、自分の公演に対してやられても、ぼくは嬉しいと感じると思う!
でも、果たしてそれが豊かな鑑賞に仕方かと言われえると、疑問だよね。
もうぼくは、「なんかい〜〜〜ね〜〜〜。なんか好きだね〜〜〜」と、ぼんやりと作品を眺めることができないと思う。
なぜいいと思うのか、なぜ好きだと感じるのか、分析して考察して、そこに言葉を当てはめる作業を、もう観ている内から始めてしまう。
「感想を言葉で言いたくない」って感想すら、言語化だと思うし、そこには「普段はあんなに言葉を尽くせるワタクシが『言語化』を放棄しましたわ〜〜〜!そこを加味して受け取ってくださいませ〜〜〜!」という意味が内包されてると思う。意地悪すぎ?でもさ、言語化に自信ない人は、「感想を言葉で言いたくない」ってわざわざ言わないと思うんだよね。
この前、映画館で『もののけ姫』がやってたので観た(ニートか?)。
久々に観てもやはり素晴らしいッ!アニメーションの喜びに溢れているよねっ!美麗な作画とかエフェクトってんじゃなくて、演技、お芝居としてのアニメーション?が本当に面白いんだよ!細かいキャラクターの仕草に人間が出ているってえいうか!アニメって演技なんだぁって思ったよ!あと改めてさぁ!「日本神話的なるもの」をエンタメに落とし込む才能として、宮崎駿、高畑勲っていう2大巨匠が長年君臨していた日本って、児童文学アニメの舌の肥え方やばいと思うんだよね!すでに血肉なった知識を、アニメに落とし込んでる感じあるよな。あの教養って、どうやったら身につくんだろうね。やっぱり新海誠とか、細田守も国民的なアニメ作家になるためって意識があるかどうかはわからないけど、近年の作品に神話とか古典モチーフを入れ込もうとしてるけど、どこか借り物っぽく感じちゃうのは、ぼくたちがジブリという驚異的なレベルの児童文学的映画に慣れ親しんでいるというある種異常な環境で育ったからだよね。あと大人になってみると、ジコ坊一派の存在が物語をうまい具合に複雑にするのにいい働きしてるな〜ってことに気づくよね。あのストーリーに朝廷とかが絡んでるの、子供の頃は気づけなかったなぁ。その歴史知識がなくても「なんか一筋縄ではいかなそうなクセ者」として認識できるジコ坊のキャラデザってすごいよね。あと、結局ラスト文明社会側に残ることを選択するアシタカと、結局人間を許せず山に残るサンっていうのは、宮崎監督がトトロの時から抱えてる「自然を描いたアニメで、逆に子供をテレビの前に縛り付けている」という自己矛盾意識そのもので、やっぱりあの人は自分を作品の中に昇華する作家なんだと思ったよね〜。直近のプロフェッショナルでも言ってた作品を作る時の「脳が開く」って状態って………………(まだまだ続く)
そりゃ面白かった、楽しんだ、『もののけ姫』。
でも、大人になってなまじ知識と言語化力を手にしたぼくの頭の中は、観ている最中から上のようなテキストで溢れている。
楽しんだけど、同時に疲れもしたし、今回の視聴で記憶も鮮明になったから、もうしばらく観なくて大丈夫かなって感じである。
でも、こんなぼくにも、幼少期があった。イノセンスな。
その頃、金曜ロードショーでやってた時にVHSに録画したCMもカットされていないガビガビ画質の『もののけ姫』を繰り返し観てた!(中井貴一のミキプルーンのCMとか、サンゲツのカーテンのCMが入っていた気がするよ)
なんか好きで!気に入ってて!繰り返し観てた!
子供って気に入ったやつ何度も見るよね。ぼくもそれをしてた!
それから四半世紀くらい経って、大人になったぼくは4Kリマスター版の『もののけ姫』を、映画館の大スクリーンとハイレゾ音響の中観た訳で、それはそれは楽しんだが、一回でお腹いっぱいである。
どちらの方が豊かな見方であろうか。
あんまり今を卑下して、感傷的になるべきでもないと思う。
幼少の時の見方の方が、そりゃもちろんテキトーだったと思うし。気に入ったシーンだけ見たりね。そりゃ今の方が、大人として然るべき見方ではあると思う。
たくさんのコンテンツに触れてきて培った自分の感想言語化力に、いくばくかのプライドだって持ち合わせている。
でも、幼少期の自分がそうであった様に、「なんかいいな〜〜〜」って感覚的にコンテンツに触れている期間って、大事なんだろうなって、思ったのであった。
だから、もし将来子供が、気に入った絵本とか動画を、繰り返し読んだり見てたりしたとしても「どうしてそんなに何回も見てるのー?どこが好きなのー?」なんてことを聞いたりするのはやめよう!と思うぼくであった。
いいじゃんね。気に入ってるんだから。
飽きるまで見たらいいよ。染み込むまで読んだらいいよ。
時間がたっぷりあると思えるうちは。
親とか周囲の大人がそんな無粋な介入をしなくたって、すぐに時間が足りなくなって、「まだ知らない作品を読んだり見たりしなきゃ!」とか「流行りの作品は抑えておかなきゃ!」っていう、つまらぬ感覚に囚われてしまうことになるんだから。
一瞬だけよ、「なんか好き」、っていう感情で、どっぷり浸れるのは。
だから今のうちに思う存分浸りな、その自分の気持ちに言葉を当てはめたりせずに……。
ふふふ。
よーし、心構えだけできたぞー!子供の親になった時のー!
