少ないほうが、私には豊かだった
私のミニマリズムは、「好きなものだけで暮らす」こと
私のバッグの中には、いつも決まって1枚のハンカチが入っている。
洗い替えの予備もなければ、気分で選ぶバリエーションもない。持っているのは、シュニール織でふっくらと織り上げられた、ピンク地に可愛らしい小花が散りばめられたフェイラーのハンカチ。ただ1枚だけだ。
「1枚しか持っていないの?」
そう聞かれると、相手は決まって少し驚く。
ミニマリストと聞くと、モノトーンや無地のシンプルなものに囲まれた、どこか無機質な暮らしを想像する人も多いのかもしれない。
けれど、私が目指しているミニマリズムは、そういうものではない。
私にとってミニマリズムとは、不要なものを減らして、本当に好きなものだけを残すことだ。
何も持たないことが目的なのではない。
むしろ、減らした先に残るものは、できるだけ「これが好き」と胸を張って言えるものがいい。
このハンカチは、新潟に住む大切な友達がプレゼントしてくれたものだ。
手渡されたときのあたたかな笑顔も、「似合うと思って」という言葉も、今でも覚えている。
だから私は、このハンカチが好きだ。
たった1枚だからこそ、雑には扱わない。
たくさんのハンカチを引き出しの中に眠らせていた頃よりも、私は今の暮らしのほうがずっと豊かだと思っている。
そして、ハンカチだけではない。
私が普段履いている靴も、1足だけだ。
古民家を買ったとき、玄関には下駄箱を作らなかった。
だから、私が家にいるときの玄関には、いつも1足の靴だけが置かれている。
なんだか少しおかしな玄関だ。
たくさんの靴が並んでいて、「今日はどれを履こうかな」と選ぶこともない。
出かけるときは、その1足を履く。
帰ってきたら、そこに脱ぐ。
それだけ。
でも、不思議なくらい困らない。
むしろ、玄関にたった1足しかないことで、気分が軽くなった。
「靴をたくさん持たない」ということよりも、「この靴が好きだから、これを大切に履きたい」という気持ちのほうが強い。
夏のワンピースも、3着で暮らしている。
毎日着替えて、毎日洗濯する。
最初は「洗濯機を毎日回すなら、2着あれば十分じゃない?」と思っていた。
実際、理屈の上では2着で生きていける。
けれど、人間は機械ではない。
体調を崩す日もあるし、疲れて洗濯をする気力がない日だってある。
「今日は洗濯を休みたい」と思った日に、着る服がなくなる暮らしは、私には少し厳しかった。
だから3着。
たった1着増えただけだけれど、この1着があることで、暮らしに少し余白ができた。
私にとっての「ちょうどいい」は、必ずしも「限界まで減らすこと」ではない。
2着で暮らせるから2着にするのではなく、3着あれば無理なく気持ちよく暮らせるなら、3着がいい。
ミニマリズムは、我慢大会ではないと思う。
不要なものは、できるだけ減らしたい。
使っていないもの、なんとなく持っているもの、「いつか使うかもしれない」と理由をつけてしまい込んでいるもの。
そういうものは、少しずつ手放していきたい。
でも、減らすことそのものを目的にはしたくない。
100個持っているものを50個にすることよりも、50個になったとき、その50個を全部「好き」と言えることのほうが、私には大切だ。
たとえば、1枚しかないハンカチ。
毎日履く1足の靴。
夏を一緒に過ごす3着のワンピース。
どれも、数だけを見れば少ない。
けれど、私にとっては「少ない」のではなく、「これでいい」と思えるものたちだ。
そして、「これでいい」は、たぶん「これがいい」に近い。
ものが少なくなるほど、一つひとつの存在が大きくなる。
毎朝手に取るハンカチの柔らかさ。
玄関で待っている一足の靴。
洗濯物を取り込むときに並ぶ、3着のワンピース。
たくさんの中から選ぶのではなく、好きなものを繰り返し使う。
使い込むほど愛着が湧き、手入れをするほど大切になる。
私は、そんな暮らしが好きなのだと思う。
だから、これからも不要なものは減らしていきたい。
けれど、何もない部屋を作りたいわけではない。
何も持たない人になりたいわけでもない。
減らして、減らして、その先に残ったものが、全部お気に入りだったらいい。
古民家の玄関には、今日も一足の靴がある。
クローゼットには、夏のワンピースが3着。
バッグの中には、友達からもらったピンクの小花柄のハンカチが1枚。
たったそれだけなのに、私はちゃんと満たされている。
たくさんのものに囲まれる豊かさもある。
けれど私は、少ないものを何度も大切に使いながら、「やっぱりこれが好きだな」と思える毎日を選びたい。
私のミニマリズムは、ものを減らすことではない。
好きなものを、好きなまま大切にするために、余計なものを減らしていくこと。
そして、最後に残ったものを、今日も愛おしく使うこと。
それが、今の私にとっての「豊かに暮らす」ということなのだ。

