【閲覧注意】アルコール依存症:動かなくなった指が教えてくれたこと
罪人としての再出発:私が選んだ償いの道

アルコール依存症は「孤独な病気」とも言われます。一人で飲む日々の中で、誰にも理解されず、ただ静かに心と身体を蝕んでいく——。
私もまさにその中にいました。家族との衝突、心の暴走、そして深い後悔。この記事では、私自身の体験を通じて、アルコール依存症のリアルな苦しみと向き合う覚悟を綴ります。過去の傷を癒やすには、まず自分自身と向き合う勇気が必要なことをお伝えします。

私は、引きこもりや生きづらさを抱えている方々のお悩み相談を行っています。
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1. 飲酒のスタイルが物語る、心の孤独
私は、みんなでワイワイ酒を飲むことができない人間です。むしろ、そうした場が怖いとすら感じることがあります。なぜなら本当の自分が出ることを恐れているからです。人といると気を遣い、楽しむどころか自分を保つことさえ難しい。むしろ、深酒をしながら"生きる意味と生きない意味"を天秤にかけて、どちらを選択するかをよく考えました。だからこそ、酒を飲むなら一人で静かにと、自然とそういうスタイルに落ち着きました。

しかし、これは単なる性格の問題ではなく、深い孤独と関係していたのかもしれません。本当の自分とは、暴力的で支配的、何より誰よりも甘えん坊な自分を自分自身が恐れていました。ですので、誰にも本音を話せず、自分の感情を押し殺して生きてきました。
2. アルコール依存症と家族の崩壊のはじまり
ある時期から、夜になると眠れなくなりました。私のお酒の飲み方はちょっと特徴的で、アルコール度数9%のストロングゼロ、500mlを時計を見ながら飲みます。急性アルコール中毒の状態で意識を失うために、どれぐらいのスピードで飲まなければならないかを管理していたのです。しかしある時、いつもと同じ量を同じペースで飲んでいても酔いが回りにくくなりました。意識を失うことができず、すぐさま抜け出すアルコールの離脱症状でムズムズが止まらず、一秒たりともじっとしていることができなくなりました。

寝た記憶がない生活が1週間ほど続いた時、私の精神は少しずつおかしくなっていきました。父親は設計事務所を経営しており、家にはロープがたくさんありました。それを部屋の懸垂スタンドにかけておいて、いつでも実行できる準備をしていました。部屋の前に「生んでくれてありがとう」と記した小さな紙を置いて、いつも通りお酒を飲んでいました。心配した親が部屋に入ってきました。自分で気づいてほしいと言う心の奥底のメッセージを残しておきながら、入ってきた母親が「あの手紙はどういう意味?」と聞いてきました。「眠れないだけだ」と答えると、「でもこれ以上お酒増やしたら体が壊れるんじゃないの?」と質問してきました。そこで初めて親に怒りを表現しました。
ドライバーやレンチを壁に投げ、「何も解決できないなら心配したふりをするな!親の演技をするな!」と大声を出しました。自分でも驚くほどの衝動であり、反抗期もなかった優しい子供の変貌に非常に恐れていました。
親に暴力を振るう成人した大人の子供は、いちど暴力で物事が解決してしまうと、その手段を常習化してしまいます。これは味をしめたと思ってやるよりも、ストレスの解消方法と感情表現のやり方がわかっていないことが大きな問題です。大人である本人の自助努力が求められるわけですが、結果的にそのようになってしまったのは幼少期から、子供の感情を抑圧する接し方をしていたのが原因です。
アルコール依存症真っ盛りの頃から、私はずいぶんと知識を蓄えていたので、そういった事はそれ以降使用しませんでした。しかし、豹変した私にトラウマを覚えたのか、父親が優しく許可を取りながら部屋にある工具を全て回収し、2階の台所にあった包丁は姿を消していました。
それまで問題が表面化していなかったのは、私が「一人で飲む」ことに徹していたからかもしれません。子供の頃から親に上半身の裸ですら見られることを拒絶していた私は、どこかで「家族に裸を見せられるほど信頼していない」と思っていたのかもしれません。それは今現在も同じく続いています。そのことから、シラフの私は本当の私ではないと常に思っており、酔っ払った時が本当の私だと思っていたため、人の前で飲もうとしませんでした。
3. 心の限界を超えた日
・ここからが怪我の画像の説明部分です。
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どん底からの生存サバイバル
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