表裏一体のいじめ:家庭と学校で異なる顔を持つ子供時代の実体験(いじめっ子編)
家では「いい子」学校では「問題児」だった私の過去
自分が過去に誰かを傷つけた記憶。
そして、自分が傷つけられた記憶。
その両方を抱えている人間は、一見すると矛盾しているようですが、実はそう珍しくないのかもしれません。
映画「聲の形」を観たとき、私はなぜ涙が止まらなかったのか。
そこには、かつて自分がいじめっ子であり、同時にいじめられっ子でもあったという過去が大きく影響していました。
この記事では、自身の実体験をもとに、いじめの加害者と被害者が持つ共通点と、その背景にある家庭環境についてお話ししたいと思います。
私は引きこもりや生きづらさを感じている方々にカウンセリングを行っています。
詳しくは、下記のURLをご覧ください。
1.いじめっ子だった私
・授業妨害と目立ちたい衝動
私が中学生だったころ、とにかく「目立ちたい」という欲求が強く、授業中でも大声を上げて周囲の注目を引こうとしていました。
教室から勝手に出ていき、構内をふらふらと歩き回るような行動も日常茶飯事で、そういった行動を通じて、自分の存在を誰かに認めてもらいたかったのです。
しかしその衝動は、やがて他者を傷つける行動へと変化していきました。
ある日の授業中に、後ろの席から脇をくすぐる遊びをしていました。
「やめてよ笑」
「くすぐったいよ笑」
「やめて」
「やめろって」
「やめろっていってんだろ!」
このように怒られました。
教室は静まり返り、先生に注意されました。
その時、私の鼓動が高なり、口から心臓が飛び出そうな感覚を覚えました。
注目されたいという衝動が、暴力に変わった瞬間
「恥を書かせた制裁を下さなければならない」
とにかくやり返すことばかり考えながら授業を終えた後、周りの生徒にその子を押さえつけるように命令しました。
嫌だと言えば、自分たちにも暴力が及ぶことを恐れた彼らは、その子を黒板の前に絶たせて羽交い締めにしました。
そして、その子に向かってコンパスを勢いよく投げました。
「あ、ハズれた、持ってきて」
繰り返し刺さるまで投げようとした私に、恐怖を覚えたその子は、
「ごめんやん!」
「冗談やって!」
と言いました。
服従にも近い謝罪をもらった私は、気分を良くして解放することにしました。
しかし、解放された瞬間に、その子はコンパスをグラウンドに向かって思いっきり投げました。
目が血走るほどの激高に飲み込まれた私は、その子の髪の毛をつかんでトイレに連れて行こうとしました。
「おぉおぉ、落ち着け落ち着け」
「とりあえずトイレに行こう」
「トイレでゆっくり話そう」
冷静な言葉遣いとは裏腹に、ちぎれるほどに強く引っ張る髪の毛は、反対の行動を映し出していました。
「離せや!」
「お前が最初にやってきたのが悪いんだろうが!」
そう言われたときには、すでに彼の鼻に向けて勢いよく頭突きをしていました。
血が流れているのを見て、この争いに終焉が訪れたことを察知しました。
静まり返った周囲の雰囲気、静かにうつむきながら鼻を押さえて廊下の曲がり角に消えていくその子。
何とも言えないスッキリ感と、安心感、勝利の感覚を味わいながら教室に戻りました。
勢いよく3人の先生が部屋に入ってきました。
そして、職員室の隣にある指導室に連れていかれた後、父親が学校に来ることになりました。
「自分の力を誇示したい」
という強い承認欲求と、対人関係で優位に立ちたいという歪んだ価値観。
この衝動的な怒りの根源に流れる情動は、心の飢えが原因なのです。

・逆らう者には容赦しなかった性格
ここから先は

どん底からの生存サバイバル
私がこれまで体験してきた、「実話」を語ったマガジンです。 こちらをご購入いただくと、赤裸々な内容を読むことができます。 少しでもあなたの人…
この記事が参加している募集
最後までお読みいただき、ありがとうございます。私の経験や「生きづらさ」についての発信が、少しでも誰かの力になればと願っています。頂いたサポートは執筆活動の研鑽のために大切に使わせていただきます。
