【モノカキングダム2025王者受賞作】「はい」と言えた日に。――発語のなかった彼と私の、6年間のちいさな実験の記録。
こんにちは、子もサポです。
日々、お子さんの発達や特性に向き合っている方、そして園や学校の現場で子どもたちの歩みに寄り添っているみなさん、今日もお疲れ様です。
私たちは普段、福祉の視点(生活)と教育の視点(学び)を組み合わせながら、お一人おひとりの丁寧なお話をもとに、そのご家庭に合わせたオーダーメイドの支援や工夫の候補を一緒に考えていく活動をしています。
今回は、私が以前、別のアカウントで綴ったある男の子との6年間の記録を、この「子もサポ」の場所でもご紹介させてください。
「私の関わり方はこれで合っているのだろうか」「この子のために、いま何ができるのだろう」と、先の見えないトンネルの中にいるような気持ちになっている方の心が、少しでも軽くなるきっかけになれば幸いです。
大きな劇的な変化ではなく、毎日の暮らしの中で「ちいさな実験」をくり返していくことの愛おしさが、いま一生懸命に向き合っているあなたの心に、そっと届きますように。
「はい」と言えた日に。
「あいっ!」
本当は「はい」と言わせたい。 小学校では朝の会で出席と体調確認のため、名前を呼ばれたら返事をする。 だから、まずは「はい」を覚えてほしかった。 でも、これでいい。 初めて自分の声を出しただけで、十分だった。
数年前、友人の教員から電話があった。 「見てほしい子がいるんだよね」 その一言で、学校が回っていないことはだいたいわかった。 詳しい説明より、声の奥の疲れのほうが正直だった。
数日後、彼に会いに行った。 入学してからずっと、彼だけ授業がなく、手が空いた先生が交代でついているらしかった。 状況を聞いただけで、現場が限界なのはわかった。
その日は全校集会。 初めて会うのに「一緒に行きますね」と言った私を、専科の先生はやや心配そうに見ていた。 廊下に並ぶとき、先生が彼の手を取ろうとした。 私はそっと止めて、彼に言った。 「学校の中では、手は繋ぎません。自分で歩きます。」
彼は、何事もない顔で私の横を歩いた。 先生がとても驚いていた。 その横顔を見た瞬間、この子は“できない子”じゃない。 “させてもらえていない子”だと思った。
それから、彼との6年間が始まった。 彼は知的障害を伴う自閉症で、発語はなかった。 名前を呼んでも振り向かず、鉛筆も持てない。 それでも、こちらを見る目だけはまっすぐだった。
初めて会った時の彼は、一日中おなじ絵カードを並べていた。 一時間目も五時間目も、ずっと。 「仕方ない」の空気に閉じ込められていた。 私はまず、それをやめた。
国語の時間には国語の教科書を出す。 ノートも出す。 私が「こくご」と書き、彼がそれをなぞる。 ただの線だったものに、少しずつ音と意味が宿りはじめた。
算数の時間には算数の教科書を出す。 切り替えを自分でできるようになった頃、 彼はもう“授業の中のひとり”になっていた。
周りの子ども達はやさしかった。 一緒に遊ぶのは簡単じゃない。 でも誰も彼を置いていかない。 体育で困っていると、担任が子どもたちと“特別ルール”を考えてくれた。 担任が, そういう空気をつくるのが上手な人だった。 助けることを強制せず、ただ一緒にいられる教室。 彼はそこで、じわじわと育っていった。
少しずつ、言葉を真似するようになった。 意味はついていないけれど、彼なりに一生懸命だった。 その最初の声が、例の「あいっ!」だった。
学校で発した最初の音。 彼の世界の学校やクラスメイトに色がついた瞬間だった。
毎日がちいさな実験みたいだった。 今日は教科書を自分で出せるか、明日は席に座りつづけられるか。 一歩進んで一歩戻る、をくり返しながら、気づけば“あの頃とは違う彼”になっていた。
子どもは、振り返ってみて初めて成長が見えることがある。 彼の場合は、それがとてもゆっくりで、そしてとても美しかった。
そのゆっくりな歩みが、一つの区切りを迎える。 卒業式。
名前を呼ばれた彼は、はっきりと言った。
「はい」
その「はい、」は、たぶん世界でいちばん静かで、 世界でいちばん強かった。
誰かの啜り泣く声が聞こえた。 体育館の空気が、ふっと揺れた気がした。
彼は、私たちのあいから卒業した。 寄りかかる日々からも、支えられっぱなしの時間からも。 そして彼自身の声で、世界に返事を返した。
私はあの日の「あいっ!」を、これからも忘れない。 彼が最初にくれた、小さくて、不器用で、でもたしかな “あい” だった。
このエッセイ『「はい」と言えた日に。』は、note内の私設コンテスト「モノカキングダム2025」(テーマ:あい)にて、大変ありがたいことに王者に選んでいただいた作品です。別の個人アカウント(なつき希)で投稿していたものですが、彼との大切な日々の中で私が学んだ「関わり方の原点」が詰まっているため、こちらの「子もサポ」アカウントにも大切に転載いたしました。読んでくださったすべてのみなさんに、心から感謝申し上げます。
ゆっくりと、でも確かに色づいていく世界
あらためてこの日々を振り返ると、私にとっても毎日が予測のつかない「ちいさな実験」の連続だったなと感じます。
学校や家庭で、どうしても大人が先回りして手を出してしまったり、「この子はこれが苦手だから、最初からやらなくていいや」と環境を固定してしまったりすることって、悪気はなくても起こりがちです。でも、周りの大人が「国語の時間には、みんなと同じように教科書を開いてみる」というような、ほんの少しの環境調整や工夫を試してみるだけで、子どもは「あ、僕もここにいていいんだ」「みんなと同じことをやっているんだ」と、自分の役割や居場所を肌で感じ取っていくことがあります。
劇的な変化を起こすような魔法はありません。 周りの子どもたちが自然と〝特別ルール〟を作ってくれたように、担任の先生がただ一緒にいられる優しい空気を作ってくれたように。そうした日常の些細な環境調整の積み重ねが、彼のなかにじわじわと「安心感」を育て、やがて自分の声で世界へ返事をする力へとつながっていったのだと思います。
暮らしの中で「ちいさな実験」をくり返しているあなたへ
いま、育てにくさに悩む親御さんや、お子さんの発達や特性に向き合っている方も、きっとたくさんいらっしゃると思います。言葉にならないしんどさを抱えながら、「これで合っているのかな」と手探りで進む毎日は、本当にエネルギーが必要なことです。
子どもの育ちは、本当にゆっくりです。 時には、昨日できたことが今日できなくなって、一歩進んで一歩戻るをくり返す日もあるかもしれません。
でも、それで大丈夫です。そのゆっくりとした歩みの中にこそ、見落としてしまいそうなほど小さな、でもとても美しい変化が隠れています。まずは大人が肩の力を少しだけ抜いて、「今日はこれが試せたから十分かな」と、目の前の小さな事実をそっと受け止めてみることから始めてみませんか。
一人で抱え込まず、その「ちいさな実験」を一緒に振り返り、暮らしやすい形を少しずつ組み立てていくお手伝いを、私たち「子もサポ」も全力でさせていただきたいと思っています。

