夏を待たずに壊れたサンダル
私は1年の半分以上、具体的には4月から10月までを基本的にサンダルで過ごす、サンダルヘビーユーザー、サンダラーで、母親から「サンダル星人」と呼ばれたほどなのだが、そんな私が愛用していたNIKEのサンダルが壊れた。
買ったのは2年前で、インドネシアに連れて行かれるなどのハプニングを乗り越えながらも何とか頑張ってくれてた。しかし今朝、踵のエアーの部分が潰れるようになった。常に「フシュー。フシュー。」と言い続ける、テニプリの海堂先輩みたいになってしまった。普通の人よりもたくさん履いているため、壊れるのも無理はない。だが、シンプルに悲しい。
私は「ものが壊れる」という事象に人よりも敏感な気がする。記憶を辿れば幼稚園の頃。登園バッグにつけてたキーホルダーが壊れて大泣きしたことがあった。「形あるものはいつかは壊れる」と諭されたものの、絶えず泣き続けたのを覚えている。普段はほとんど泣かない子供だったので、周囲も驚いたであろう。
それ以降、カバンにキーホルダーはつけないようになった。壊れたら悲しいし、気づかずに落ちても凹むから。そして落としても探さないから。本当はシャチのぬいぐるみのキーホルダーなどをつけたいのだが我慢している。あとものに過剰に愛着を持たないようになった。
それでも使った期間が長いほど自然と愛着は湧いてくるもので、少なくとも私にはその傾向が強い。中学から高校にかけて使った学生カバンを大学でも使おうとして親に止められたり(なぜ使おうとしたのか)、大学に入る前に買ったカーディガンをいまだに着続けたり。
物持ちはいい方だし、多少悪くなっても捨てる踏ん切りがつかない。メルカリに出したら低評価をつけられそうだけど外には着れない、そういったものがクローゼットに溢れている。「デートに来ていけない服は全部捨てなさい」という整理術的話もあるが、その基準で捨ててしまうと着れる服はほとんどなくなる。そんな悲しいことはない。
先日もやっとの思いで踵の方が破けて中の型が飛び出ていた、えんじ色のコンバースを捨てた。「ダンスで使うかもしれないし」などと思って取っていたがダンスもやめた今、使う機会は決して来ない。そう思って別れを告げた。でもやっぱり捨てる瞬間は辛いので、コンバースと目が合わないように(コンバースに目はないのだが)、ゴミ捨て場にそっと置いた。
そして今回のサンダルである。2年にもわたる長期間を共に過ごした上に、一緒に留学に行った、という思い出もある。大学で猫に踏まれたり、フィールドワークで泥の中を歩いたりした思い出が凝縮されている。院試勉強の時も履いていたし、サンダルを履いて花火をして火傷をしたこともあった。夏の暑い日の思い出はこのサンダルと共にあった。それがとうとう限界を迎えてしまった。
でも考えてみれば一年の半分以上履く上に私ほどたくさん歩くとなると劣化も早いに決まっている。逆に「よくここまで持ったな」と感謝と共に言うべきなのかもしれない、というか言わなければならない。
ともかく、このサンダル氏にはお休みしていただかないといけないし、私は新たなるサンダルを買わないといけない。するとまた一つの問題が生じる。それは「優柔不断」である。しかしそれを話すと長くなるためまた別の機会に。
「ものが壊れる」のを縁起が悪いと取るかどうか、は心持ちとして重要だ。私は「身代わりになってくれた」と考えるようにしている。そうでないとやってられないから。ものが壊れるだけでも十分辛いのにさらに嫌なことが起こるなんて考えたくもない。だからこのサンダルも私の身代わりになってくれた、と思うようにする。
私は足が悪い(といっても捻挫しやすいという程度なのだが)ので、その厄を祓ってくれたと勝手に思い込んでおこう。
ということでここまで読んでくださり、ありがとうございました!
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