マーモットは、応募できませんでした
創作大賞の3日前。
私は、ようやく応募要項を読んだ。
どうやら私の頭の中で元気に走り回っている主人公は、まだしばらく巣穴で待ってもらうことになりそうだ。
日々を過ごしていると、
一日は「やらなければならないこと」で埋まっていく。
仕事。
家事。
支払い。
約束。
どれも大事なことだ。
だけど。
「やらなければならないこと」をこなしていっても、なんだか重い。
あ、そっか。
趣味だって、大事なことだ。
それでも。
まだ重い。
2025年の大晦日。
私は「選択を味わって育てる年にする」と、手帳に書き残していた。
少し、驚いた。
「選択をする」までは覚えていたけれど、
「育てる」という言葉がはすっかりと抜け落ちていたのだ。
当時の私は、どんなつもりで「育てる」と書いたのだろう。
この半年を振り返ってみると、私はたくさんの選択を味わっている。
大きな決断ばかりではない。
日々の小さな選択の積み重ねだ。
迷いながらも進んだこと。
立ち止まったこと。
思い切って飛び込んでみたこと。
思うように進まず、悩んだこと。
そのたびに私は、「選択を味わう」というテーマを思い出していた。
これまでの私は、
「~してみたい」と未来について語ることが多かった。
けれど今は、
「~してみたら、こうだった」と体験を通して語ることが増えている。
実際に選び、その結果として生まれた感情を受け取るようになったからだ。
嬉しい。
楽しい。
怖い。
悔しい。
以前なら避けたかった感情も、今はなるべく拒まずに感じてみようと思える。
そんな変化が少しずつ起きていた。
4月に届いたメールで「創作大賞」の事を知った。
心が煌めいたような、そんな気持ちを覚えている。
日々の生活をし、趣味もそれなりに楽しんでいた。
何か満たされない感覚がずっと傍にあった。
理由が分からないまま、私はずっとモヤモヤしていた。
それでも私は動いていた。
どうせなら陽気さを好んで楽しもう。
そう決めていたからだ。
モヤモヤを抱えながら、意識的に図書館へ向かっていた。
そこで手に取るのは、いつも似たような本だった。
言葉について書かれた本。
文章について書かれた本。
物語について書かれた本。
誰かの表現の軌跡が残された本。
私は何度も同じ棚の前に立っていた。
ふと思った。
私は何をしているんだろう。
そして、その問いは続いた。
私は何をしたいんだろう。
文章を書く時間が好きだった。
言葉を探している時間が好きだった。
考えたことや感じたことを、どうすれば誰かに届く形にできるのか。
そんなことを考えている時間が好きだった。
私が創作大賞に惹かれた理由が見つかったような気がした。
文章を書くことそのものを育てたいのだ。
その瞬間、半年間の出来事が少しだけ繋がった気がした。
大晦日に書いた「育てる」という言葉。
意味は思い出せない。
けれど今の私にはわかる。
育てるとは、大きくすることではなかった。
向き合うことだった。
好きなことに向き合うこと。
感情に向き合うこと。
選択した先で生まれた体験に向き合うこと。
私はこの半年間、選択を味わいながら、それらと向き合っていたのだと思う。
だから私は、応募する。
私が育てたいものは文章だ。
そして文章の先には、巣穴で待っている主人公のマーモットがいる。
