初対面でMBTIを聞くな、私はINTJ-Tだ
私は嫌いだ。
初対面で「MBTI何?」と聞いてくるやつが。
ちなみに、私はさっきまで「MPTI」と書いていた。
もうこの時点で向いていない。
名前すら正確に覚えていない人間に、いきなり四文字の人格コードを聞かないでほしい。こちらはまだあなたの名前も、声の温度も、笑うタイミングも、こちらをどういう目で見ているかも分かっていない。
なのに、いきなりMBTIである。
早い。
玄関を開けたら、もう寝室にいるくらい早い。
「MBTI何?」
やかましい。
こちらはまだ靴も脱いでいない。
この質問が現れたのは、何年前になるのだろう。
もう遠い記憶である。
ただ、こいつが人類の初対面コミュニケーションに革命を起こしたのは間違いない。
通信機器で言えば、ガラケーからスマホくらいの変化である。
それ以前、人間は血液型でやっていた。
「血液型何?」
これである。
小学生のころから、何度も聞かれた。
A型は几帳面。
B型は自己中。
O型はおおらか。
AB型は不思議ちゃん。
この雑な人間分類が、当たり前の顔をして教室や職場や飲み会を歩き回っていた。
私はO型である。
O型だと言うと、よくこう返された。
「えー、意外。B型だと思った」
舐めているのか。
自己中だと言いたいのか。
今ここで献血して本当にO型か見せてやろうか。
血液型性格診断は、だいたい失礼である。
「A型っぽいね」は、まだいい。
「ちゃんとしてそう」という含みがある。
「O型っぽいね」も、まあいい。
「おおらかそう」と言いたいのだろう。
しかし「B型っぽいね」は危ない。
使う側は軽い気持ちかもしれないが、受け取る側には「あなたは自由で個性的ですね」と「あなたは人の話を聞かなそうですね」が同時に飛んでくる。
二枚刃である。
「AB型っぽいね」も危ない。
「ミステリアス」と「変」が同じ皿に盛られている。
血液型トークは、かわいい顔をした偏見の箱詰めである。
それがMBTIの登場によって、かなり減った気がする。
「O型男子とA型女子は相性いいよね」
「私たち何位らしいよ」
「B型同士はぶつかるんだって」
そういう会話を聞く機会が減った。
血液型は古いスマホケースみたいに、いつの間にか棚の奥へ追いやられた。
そして、代わりにMBTIが来た。
四文字で来た。
なんか英語で来た。
強そうな顔をして来た。
知らない人のために簡単に言うと、MBTIとは、人の性格傾向を四つの軸で分け、全部で十六タイプに分類する性格検査である。
外向か内向か。
感覚か直観か。
思考か感情か。
判断か知覚か。
そういう組み合わせで、INTJだのENFPだのISFJだの、暗号みたいなものが出る。
最近よく見る「建築家」「運動家」「提唱者」「仲介者」みたいな呼び名は、主に十六タイプ診断系のサイトで親しみやすく付けられている名前である。
親しみやすいか?
私は覚えられない。
人類の新しい血液型のようなものなのだろう。
血液型は四種類だった。
MBTIは十六種類である。
情報量が四倍になった。
人間が急に細かくなった。
困る。
こちらはA、B、O、ABでも持て余していたのである。
そこへINTJ-Tなどと言われても、もう車の型番にしか見えない。
とはいえ、私も流行したタイミングで診断をやったことはある。
人生で二、三回はやっている。
あの質問量は何なのだ。
多い。
そして選択肢が腹立たしい。
「あなたは集団の中で率先して話す方ですか」
日による。
「計画を立てることが好きですか」
内容による。
「人の感情に敏感ですか」
相手による。
「締め切り前に焦ることが多いですか」
公募前の私にそれを聞くな。
「同意する」
いや、そこまでではない。
「やや同意する」
いや、そうとも言い切れない。
「どちらでもない」
どちらでもなくはない。
「やや同意しない」
いや、でも少しはある。
うるさい。
この時間、その問い、やかましい。
血液型はその日の気分で変わらない。
だが、MBTIはその日の私の睡眠時間、空腹、妻との会話、職場のストレス、直前に読んだ小説、天気、カフェインの量で変わる気がする。
朝なら内向。
夜なら虚無。
締め切り前なら全タイプの悪いところだけ出る。
そんなものを初対面で聞いて、何が分かるというのか。
もちろん、人気がある理由は分かる。
人間は、自分を説明する道具が好きである。
「私はこういう人間です」と言えると少し楽になる。
自分の面倒くささに名前がつく。
自分の弱点が、個人の欠陥ではなく「タイプの特徴」になる。
これは救いである。
占いもそうだ。
血液型もそうだ。
星座もそうだ。
干支もそうだ。
科学的にどこまで正しいかは別として、人は自分の輪郭を誰かに描いてほしいのである。
「あなたはこういう人です」
そう言われると、腹が立つくせに、少し見てしまう。
私も見る。
めちゃくちゃ見る。
そして腹を立てる。
SNSのプロフィールにもよく書いてある。
「ENFPです」
「INFJです」
「INTPです」
「ESFJの友達ほしい」
何なのだ。
人類補完計画か。
昔は「O型です」「双子座です」くらいで済んでいた。
今は四文字で自己紹介が始まる。
しかも、会話の中で突然出てくる。
「ねえ、MBTI何?」
「私ENFPなんだけど」
「え、建築家っぽい」
「じゃあ私と相性いいかも」
しるか。
血液型ならまだピンとくる。
「O型なんだ」と言われれば、こちらも「へえ」と言える。
本当は何も分かっていないが、分かった顔はできる。
だがMBTIは分からない。
INTJと言われても、こちらの頭の中には銀色のロボットが立っている。
ENFPと言われても、空港のコードかと思う。
ISFJと言われると、何かの省庁の外郭団体に見える。
初対面でこれを聞いてくる人は、たぶん悪気はない。
会話の入り口なのだろう。
共通言語なのだろう。
それは分かる。
でも、私は思う。
初対面で人を箱に入れるな。
まだ箱のサイズも測っていないだろう。
私は段ボールではない。
しかも、その箱に入れたあと、こちらの行動を全部それで説明しようとしてくる。
「やっぱINTJってそうだよね」
やっぱ、ではない。
たまたまである。
「建築家っぽい」
何を見て言っているのだ。
私は建物を一棟も建てたことがない。
積み木ですら危うい。
「論理型だもんね」
そのわりに、私はよく感情で死んでいる。
「一人が好きそう」
好きだが、決めつけられると腹が立つ。
面倒くさい。
自分でも分かっている。
しかし、ここで一つ白状しなければならない。
私の診断結果は、INTJ-Tである。
建築家である。
出た。
一番言いそうなやつが、一番それっぽいやつを引いている。
悔しい。
診断結果には、こう書いてある。
「先見の明を持ち、かつ実用主義的であるというレアな気質」
うるせえ。
急に褒めるな。
もっとやれ。
「分析が得意で、周りの世界を理解するよう努めている」
分かる。
いや、分かるな。
「システムやアイデアを改善したいという欲求がある」
ある。
仕事でも創作でも、すぐに構造を見ようとする。
面倒くさい人間である。
「戦略的な思考で人生に臨み、数歩先を見据える」
数歩先を見据えた結果、足元の段差でつまずくのが私である。
そして人間関係の項目に入ると、急に刺してくる。
「感情的な表現や社交辞令に困惑することがある」
ある。
「単刀直入なコミュニケーションや論理的な議論を好む」
ある。
「飄々としている、距離を置いていると思われることがある」
ある。
やめろ。
当てるな。
腹が立つ。
これは診断に負けた気がする。
こちらはMBTIを嫌っているのに、向こうは淡々とこちらの嫌なところを並べてくる。
しかも、それっぽい。
これがずるい。
人は、自分に当てはまっているように見える文章を、つい信用してしまう。
「あなたは独立心が強いが、内心では理解されたいと思っている」
誰でもそうだろ。
「完璧を求める一方で、自分に厳しすぎることがあります」
だいたいの人がそうだろ。
「理性的に見られますが、実は深い感情を持っています」
全員そうであれ。
でも読んでしまう。
そして少し当たっている気がする。
悔しい。
これは占いと同じ快感である。
広い網を投げられているのに、自分だけ捕まった気がしてしまう。
さらに腹が立つのが、キャリアパスである。
「あなたに向いている職業」
うるせえ。
こんなもので人生を決めるんじゃない。
建築家。
戦略家。
研究者。
システムアナリスト。
コンサルタント。
やかましい。
私は小説を書いている。
しかも登場人物に名前をつけないタイプの面倒くさい小説を書いている。
システム改善どころか、読者の心にわざと未処理のエラーを残そうとしている。
キャリアパスに「一回戦で負けてもM-1に出ようとする公務員」はあるのか。
ないだろう。
では黙っていてほしい。
恋愛の項目も腹が立つ。
「INTJは恋愛においても慎重で、深い知的なつながりを求める傾向があります」
うるさい。
かっこよく言うな。
要するに面倒くさいだけである。
「感情表現が苦手なため、相手に冷たく見えることがあります」
知っている。
何度も言われている。
「パートナーには誠実さと自立を求めます」
そうかもしれない。
でも、それを診断に言われると腹が立つ。
なぜなら、こちらは自分の欠点を美しい言葉に変換されているからである。
「感情表現が苦手」
違う。
たまに言うべきことを言わずに関係を腐らせる。
「自立を求める」
違う。
相手に依存されたら逃げたくなるくせに、自分は理解されたい。
「知的なつながりを求める」
違う。
めちゃくちゃ面倒な話をしても逃げない人を探している。
言い換えが上手すぎる。
MBTIの文章は、短所を就活の面接みたいに言ってくる。
「こだわりが強い」は「高い基準を持つ」。
「協調性がない」は「独立心が旺盛」。
「感じが悪い」は「単刀直入」。
ずるい。
全部、少し良く聞こえる。
友情の項目もそうである。
「少数の信頼できる友人を大切にします」
友達が少ないだけでは?
「表面的な付き合いを好みません」
飲み会でうまく振る舞えないだけでは?
「深い会話を求めます」
初対面で赤べこの話をして引かれるだけでは?
やめろ。
私をきれいに包むな。
親子関係の項目まである。
「子どもに自立心を育てようとします」
怖い。
乳児にPDCAを回しそうで怖い。
「感情的な甘やかしより、合理的な助言を重視します」
やめろ。
子どもが泣いているときに、「まず問題を整理しよう」と言う父親になってしまう。
それは地獄である。
MBTIは、読み物としては面白い。
そこは認める。
かなり面白い。
自分の嫌なところを、少しマシな言葉で見せてくれる。
他人の嫌なところを、少し理解できるような気にさせてくれる。
会話のきっかけにもなる。
ただし、初対面で聞いてくるな。
やるなとは言わない。
好きにやればいい。
プロフィールに書くのも自由である。
自分の説明書として持っておくのもいい。
ただ、会ってすぐにこちらへ突きつけるな。
やかましい。
こちらはまだ、あなたの目が笑うときに細くなるのか、話を聞いているふりをするときにどこを見るのか、沈黙を怖がるタイプなのか、そういうことを見ている途中なのである。
四文字で済ませないでほしい。
人間は、そんなに親切な梱包では届かない。
とはいえ。
ここまで文句を言っておいて、私は最後に自分の相性を探したくなっている。
終わっている。
人間は矛盾の生き物である。
私はINTJ-T。
建築家。
O型。
双子座。
未年。
どうだ。
情報量が多い。
もはや占い界の全部盛りである。
ラーメンなら器からはみ出している。
この条件で、私と相性のいい人はいるのだろうか。
本気で考えてみた。
まず、血液型は科学的にはほぼ当てにならない。
星座も、干支も、科学的な相性判定として使うには厳しい。
MBTIも、人生を決める診断ではない。
つまり、全部ふわふわである。
ふわふわの上にふわふわを重ねている。
綿あめの上に雲を置いている。
だが、だからこそ楽しい。
では、私の相性ベストスリーを発表する。
第三位。
「ENFPっぽいけど、MBTIを聞いてこない人」
明るい。
こちらの面倒くささを面白がってくれる。
こちらが暗い話をしても、勝手に窓を開けてくれる。
ただし、初対面で「MBTI何?」と聞いてきた瞬間に失格である。
惜しい。
第二位。
「INFJっぽいけど、こちらを診断結果で裁かない人」
分かろうとしてくれる。
でも、分かった気になりすぎない。
こちらが黙っていても、黙っている理由を勝手に決めつけない。
かなりよい。
ただし、「あなたって本当はこうだよね」と言い出した瞬間に危ない。
その言葉で何人も私の中から退場している。
第一位。
「MBTIも血液型も星座も干支も、全部遊びとして扱える人」
結局これである。
「INTJ-Tで、O型で、双子座で、未年です」と言ったときに、
「情報が多いね」
と笑ってくれる人。
それでいて、こちらを四文字にも、血液型にも、星座にも、干支にも閉じ込めない人。
「建築家なんだ」と言いながら、私が何も建てられないことを面白がってくれる人。
「O型なんだ」と言いながら、私が全然おおらかではないことを許してくれる人。
「双子座なんだ」と言いながら、私の中に何人も面倒な私がいることを、まあそういう日もあるかと流してくれる人。
「未年なんだ」と言いながら、羊のわりにかなり攻撃的ですねと笑ってくれる人。
この人である。
つまり、相性がいい人とは、診断結果が合う人ではない。
診断結果でこちらを雑に分かった気にならない人である。
MBTIは会話の入り口にはなる。
血液型も、星座も、干支も、遊びとしては楽しい。
でも、それで相手を分かったことにしてはいけない。
人間は、もっと面倒で、もっと矛盾していて、もっと日によって違う。
私はINTJ-Tである。
O型である。
双子座である。
未年である。
そして、そういうものを初対面で聞かれるのが嫌いな人間である。
でも、相性のいい人は探している。
どう?
私と相性いい人、いる?
