【茶道の正月・初釜】花びら餅の由来/師の濃茶と新たな決意
[Hatsugama: The Sacred First Tea] A Lifetime Distilled: Master, Disciple, and the Spirit of Tea
On the crisp morning of January 11th, Kagami-biraki, I stepped into the profound stillness of "Hatsugama," the year’s inaugural tea gathering, under my new master. From the symbolic sweetness of "Hanabira Mochi" to the Zen scrolls and camellias gracing the alcove—every detail bore testament to the Urasenke tradition. Above all, my heart was deeply moved by the "Koicha" (thick tea), kneaded by the master’s aged hands. In that single bowl, the entirety of a life earnestly dedicated to the Way of Tea, indeed the master's very existence, was powerfully distilled. I will convey the true essence of the master-disciple bond and the silent New Year's resolutions forged within the sacred hush of the tea room.
【茶道の正月・初釜】生涯が凝縮された一碗。師と弟子、そして茶の精神
1月11日、鏡開きの凛とした朝、私は新しい師匠のもとで、今年最初の茶会である『初釜』の静寂へと足を踏み入れました。裏千家の伝統を物語る『花びら餅』の象徴的な甘みから、床の間を飾る禅語の掛け軸と椿に至るまで、あらゆる細部がその伝統の証(あかし)でした。何より師の老いた手によって練り上げられた『濃茶』に心を打たれました。そこには真摯に歩まれた茶の湯の道、そして師匠の人生そのものが、一碗の中に凝縮(蒸留)されていたからです。師弟の絆の真髄、そして茶室の神聖な静寂の中で形作られた静かなる新年の決意をお伝えいたします。

鏡開きの朝、新たな師匠の元へ
1月11日。鏡開きとなるこの日は、初釜だった。 初釜を迎えると、いよいよ新年という気がする。
大気は初々しく凜と冷え、空は青く澄んでいる。私は新しい先生の元での初釜に参加するため、少し緊張しながら歩いていた。 静まりかえった町はどこまでものどかで、草履履きの足音と衣擦れの音がいやに目立つような気がしてしまう。
前年の11月、炉開きの折に見学に伺わせていただき、師走から正式に門人となった。 ちなみに炉開きもお正月のようなもので、初釜と併せて茶の湯の世界には二度お正月があるような感じになっている。
茶人の正月「初釜」とは
仙叟宗室から続く「儀式」としての重み
初釜の歴史は古く、17世紀に千利休の曽孫である仙叟宗室(せんそうそうしつ/千宗室)が「今日庵」を継承したことが端緒とされている。
行事というよりも、儀式といってもいいかもしれない。
暁の「若水」で点てる一服の意味
新春に初めて釜に火を入れ、元旦の早朝の水で点てたお茶を振る舞う。
水は「若水」と言い、確か4時とか、とにかく夜も明けやらぬうちにくみ上げる神聖な水のことだ。
初釜の菓子「花びら餅」の美学と難所
裏千家と宮中行事「歯固めの儀式」の繋がり
裏千家では「花びら餅」が供されるのだが、これは宮中の行事に由来する。考案したのは裏千家11代・玄々斎で、宮中の行事食「葩餅(ひしはなびら)」から着想したとされる。
いつだったか、お正月の映像で、ご皇室の方々が花びら餅をお召し上がりになるご様子を見たことがあるのだが、調べてみたところ「お祝いのおかちん」とも呼ばれ、おせち料理の一つとされてるようだ。
優雅さと裏腹な「食べにくさ」にある茶席の会話
もともとは長寿を願う「歯固めの儀式」に由来する縁起の良い菓子だそうで、実はこのことは、「花びら餅」の難所を表わしてもいる。
ちょっと(というか、だいぶ!)食べづらいのがだ。 「歯固めの儀式」に由来するのがよくわかるのは、ゴボウが挟まっていること。
いくらやわらかく炊いたところで、ゴボウはゴボウ、繊維が多くて断ち切るのは難しい。
ましてやお菓子をいただくのは「黒文字」という菓子楊枝。
なかなかお上品にいただくことができず、結局、ぱくりとかじってしまうことさえある。
「まあ、落とすより良いわよね」
などと苦笑しながらいただくのも、また茶席の風景である。

床の間が語る新春の寿ぎ
東大寺別当の掛物と「青松多寿色」の禅語
いよいよ初釜。
まずは待合代わりのお部屋で、昆布茶をいただいた。
通常は白湯が供されるのだが、先生はあえて昆布茶にしたようだ。
初釜は正式なお茶事なので、客が心身を清めると共に温まることができるよう、提供される。
まだ炭の入る前の茶室は、それはもう寒いのだから。
型どおりに茶室に入り、まずは床の間を拝見した。 掛け軸は、東大寺の第219世別当(東大寺の最高の位の僧侶)上野道善師によるお筆だ。
「青松多寿色(せいしょう じゅしょく おおし)」
青々とした松はそのままでめでたい色をしている、という意味が込められている。

炭飾りが示す「茶の湯の始まり」
真ん中に炭飾り、向かって右には鏡餅、左には万年青(おもと)。 あとで先生が「炭がないとお茶は始まらないから」と仰ったのが印象的だった。
床柱には白玉椿と乙女椿、そして老梅。
お道具はいずれも初釜らしく華やかなもので統一されていた。


総勢9人、みな着物でうち揃い正座をする。最初、賑やかだったのに誰からともなく声を潜め、しだいに厳かな雰囲気になった。
障子から差し込む日射しがやわらかい。
張り詰めた空気をごく静かな音で破ったのは、先生だった。

師の点前と濃茶の甘み|継承される「心」
老いの中に宿る規範と、解き放たれた過去の師への想い
茶道口をあけ、一礼し、お炭を手にお入りになる。
いよいよお点前の始まりだ。 ふだん、私たち門人をご指導くださる先生が、今日は、みずから炭点前をし、お濃茶を点ててくださる。
歳を重ね、手指が少し不自由で、お膝もあまりよくない。
それでもこうして私たちのために規範を見せてくださる。
そのお姿に、言葉にならない想いがひたひたと忍び寄ってきた。

涙が出るほど甘かった一服
前のお師匠様を忘れられず、何年も新しい師匠につけなかった。
やっとあきらめがついて、新たな先生のところに通い始めたけれど、私はどこかでまだ前の師匠のことを引きずっていたのかも知れない。
先生が点ててくださった濃茶がまわってきた。
押しいただいて、一口含む。ぽってりとやわらかくなめらかで、そして、甘かった。 わけもなく泣きそうになった。
鏡開きの決意|新たな師と共に歩む道
お濃茶をいただいた後は、座の雰囲気もほどけてきて、どことなく無礼講な感じになってきた。 大きな声で騒ぐわけではないけれど、誰もが華やいだ気持ちであれやこれやとおしゃべりに興じる。 順に薄茶(うすちゃ)をいただきながら、まるで女学生みたい。どんなに歳を重ねても、こういう時の女性はかわいさを取り戻す。
最後に、あらためてひとりひとり先生にご挨拶する段になった。 私は、四番目。 両手をついて、まっすぐに先生を見て言った。
「昨年は、先生とのお出会いに恵まれ、大変ありがたいことでした。新たな歳を迎え、こうして初釜を寿ぐことができ光栄です。 あらためまして、何卒ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」
言い終えてから、深々と頭を下げた。
顔を上げると、先生が目を細めてこちらを見ている。
伝わった、と、そう思えるお顔だった。



著者:石川 真理子(Mariko Ishikawa)
武家の家系に生まれ、明治生まれの祖母より武家伝来の教えを受けて育つ。 ベストセラー『女子の武士道』(致知出版社)、『女子の教養』(同)など著書多数。 米沢藩士・仙台藩士の末裔であり、和の美学と精神性を現代に伝える活動を行っている。
いいなと思ったら応援しよう!
みなさまからいただくサポートは、主に史料や文献の購入、史跡や人物の取材の際に大切に使わせていただき、素晴らしい日本の歴史と伝統の継承に尽力いたします。