【短編私小説】オンリー・ボーイ【創作大賞2026|エッセイ部門】
あらすじ
大人になっても、ただの少年。
深夜に目が覚めるたび、夢に現れるのは大学時代に片思いしていたあの子だった。言葉すら交わせぬまま目覚めるたびに、キャンパスでの4年間が頭をよぎる。
「大学デビュー」を夢見て飛び込んだ先で待っていたのは、自らの幼さとの戦いだった。部活にゼミ、青春を謳歌するチャンスをことごとく逃してきた「ぼく」は、30代になった今、苦笑いとともに過去を振り返る。
空回りを繰り返しながらも、当時のぼくはそれに気づかなかった。
気づいた時には、青春はとうに終わっていた。
「普通」というレールから外れた筆者が描く、自嘲と戒めの短編私小説。
※このお話は、実話をもとにしたフィクションです。登場する人物・団体名・学校名はすべて架空のものであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
「またや…」
深夜2時ごろ、目を覚ましたぼくはこうつぶやいた。トイレで起きるのはほぼ毎日のことだが、この言葉はそのせいではない。今までも幾度となく、ぼくの夢に現れては話しかけてくることもなければ、近づくこともなく去っていったある人物に対してのものだ。
この人物はぼくが大学生のころ、一方的に好意を抱いていた人だった。卒業から10年近く経つのに彼女が出てくるのは今も未練があるからだろう。彼女はぼくのことなど忘れているはずなのに。
彼女はゼミの同級生で、出会って間もない頃にキャンパスの中に一人腰かけていたぼくに声を掛けてくれた。その日から、彼女の親しみやすさと明るさに惹かれていき、それは好意に変わっていった。
そんな彼女のことが忘れられず、今でも夢の中にしばしば登場する。目が覚めるたび、話をすることができなかった失望感に襲われる。
その日は街のどこかで出会えないかと期待してしまう。今はどこにいるかもわからない。それでも、どこかで会えるのではないか。1億円を当てるよりも非現実的だが、街を歩きながらそんな妄想にふけったりする。
30代になった今、彼女への好意が成就しなかった後悔も含め、無性に大学時代のぼくをぶん殴りたくなる。「若気の至り」では済まされないくらい、周りを顧みなかったぼくの振る舞いによって多くの関係を壊してしまったことに、今さら気がついてしまったのだ。
ぼくは大学に入るまで、ろくに人付き合いというものをしてこなかった。多くの人と出会ったことで、「やっと居場所ができた」と勘違いしていた。自分だけの場所ではないのに、ぼくが主人公だと信じてやまなかった。「大人になる」というイメージをはっきりさせるべき時期なのに、ぼくにはそんなものがないに等しかった。
蝶で例えると、周りの同級生を脱皮途中のさなぎとすれば、ぼくに至っては孵化する前の卵だ。空をはばたくイメージすらできていなければ、外の世界のことすらも知らない。
後悔先に立たず。過去を振り返っても仕方がないとはわかっている。それでも、振り返らなければ自分が見えない人もいる。振り返りもせず人生を走り抜けていける人を、今のぼくは羨ましいとは思わない。
夢に登場する彼女も、今では結婚して家庭を築いていることだろう。ぼくのことを気にかける暇などもちろんない。それでも、「あの時の」彼女にまた会いたいと願う自分が心の奥底にいる。
第一章:ここが桃源郷!のはずだった

あれは今から10年以上前のこと、大学に入学した時のことだった。
ぼくが入学したのは「生駒大学」という大学である。「イコ大」とか「コマ大」と呼ばれているが、関東に同じ略称の大学があるので関西圏では「イコ大」呼びがポピュラーだ。だが、関西では知名度を高めつつあり、志望者数も近年で国内有数のものとなっていた。
そんなイコ大は自宅から1時間半を要する。キャンパスまでは最寄りの駅からさらに15分ほど歩かねばならず、夏場の通学は地獄そのもの。入学から間もないころはすべての風景が真新しく見えたが、慣れてくるうちに疲れが上回るようになった。高校では陸上部で鍛錬に明け暮れていたが、週5日の通学ともなると体力があっても身体に堪えるものだ。
誰もが一度は、環境が変わると「自分を変えたい」という願望を抱くだろう。高校時代に友達がいなかったぼくも密かに「大学デビュー」を目論んでいたようだ。しかし、入学してから2ヶ月は孤独な日々が続き、不安な時間を過ごした。適応力のなさに悩み、中退が頭によぎったくらいだった。
「これじゃ高校の二の舞やないか」
「どうして周りの子たちはいとも簡単に友達を作れるんや…?」
入学して間もないのに、なぜすんなりと適応できるのか。不思議で不思議でたまらなかった。この時点ですでに殻を破っている周りの同級生に対し、殻に閉じこもったままのぼく。今考えると、この明暗が彼らとの決定的な違いだったのだろう。
環境が変わったのに一人ぼっちのままではいけない。そんな危機感から新入生を勧誘していたサークルのブースに足を運んだ。その中でアウトドアを楽しんでいるというサークルに目が留まり、新歓に参加する流れとなった。グループごとにバーベキューを囲み、先輩方が各グループを回っていくというものだ。
「何を言うてんねん!」
「俺も俺も!」
誰かと仲良くできると胸を膨らませながら参加したが、見事にテンションと距離感を間違え「かかって」しまった。当時は自覚が一切なかったが、「大学生は目立ったもの勝ち」などと思い込んでおり、誰よりも声を張り上げた。
しかし、これが裏目に出てしまった。新歓が終わった直後は勇気を振り絞って交流したことに対する自己陶酔感に満ち溢れていたが、今その時のことを振り返ってみると完全なる「黒歴史」である。この後、正式にその部活に入部することになったのだが、陰では「別にこんなヤツいらんのに…?」と言われていただろう。
同級生たちは表向きだとぼくにも優しく接してくれたが、入部した当初から会話がかみ合わないと感じていただろう。ぼくはとにかく孤独を埋めるため、高校時代の過ちを繰り返さないために必死だった。場を盛り上げようと、みんなに気に入られようと自分に嘘をつき続け、自分が主役だと信じてやまなかった。
特に、酒の席では自覚なき粗相が相次いだ。周りはコールに合わせて一気飲みをしては、他の部員がへべれけになる様を楽しんでいる。だが、ぼくはそのターゲットとして目立てないことにヘソを曲げることもままあり、それで翌日の朝にグループLINEで謝罪することもあった。
しかし、他の部員は意に介していなかったようで、「え、そうだっけ?」と見て見ぬふりを決め込もうとしていたようだ。もうこの時点から部内では浮いた存在となっていたことは明らかだったが、ぼくはそんなことに一切気がついていない。
一方、部活でコミュニケーションを築くことができても、キャンパスで孤立しては意味がない。そこで、1回生向けの必修ゼミを受けていた同級生がいる輪に半ば強引に入っていった。その中にはどちらかというと真面目な子が多く、ゲームやアニメ、マンガの会話がメインだった。それらに疎かったぼくは知ったかぶりをして、知っている話題には少し早口かつ前のめりに入ろうとしたが、ほとんどは流された。
だがその中に、一人だけぼくと話が合う子がいた。
「野球好きなん?どこのファン?」
「アベノミクスはうんたらかんたら…」
小柄でマメな体つきから「マメ兄」と呼ばれている彼は、学業も優秀で聡明な学生だった。さらに、高校野球観戦が趣味で時事問題にも明るかった。そんな彼とはいつしか一緒に食事に行くこともあれば、甲子園球場へ野球観戦にも行くような関係になった。
そんなマメ兄を通じて、他の同級生とも仲良くなった。ぼくらを入れた5人ほどで何回か旅行をするなど、彼らのおかげで学生生活を少しだけ味わうことができた。
・・・
ずっと一人ぼっちだったぼくにとって、大学はオシャレを勉強する場にもなった。高校とは違って、私服でキャンパスライフを送るためそのセンス次第で異性からの見方も大きく変わる。
「ダッサイ服やなあ。ちょっとは勉強せなアカンで~」
入学した当初、ぼくのファッションセンスというのはお世辞にもいいものとは言えなかった。さすがに服は自分で選んでいたが、学部のある同級生からは一蹴され、そこから自分なりのファッションを勉強するようになった。「陽キャ」と言われる学生の足元には遠く及ばなかったが、悪目立ちしない程度の服装は会得できたはずだ。
「今日のズボンええやん!」
「このリュックかわいい。どこで買ったん?」
今までのぼくからすれば、同級生からそんな言葉をかけてもらうことなど想像できなかった。特に、異性からこんな声を掛けてもらうとは思ってもみなかったことで、つかの間の有頂天を味わったものだ。
だが、当時のぼくの最も悪かったところが「すぐに調子に乗る」ことだった。とりわけ、異性から褒められることが少なかったぼくにとって、名前を呼ばれただけでも「この子は俺を好いているのか??」とウキウキしたものだ。
そのうぬぼれ具合とくれば相当なもので、一度優しくしてもらった異性には恋愛感情に近いものを抱いてしまう。人並みに恋愛を経験していれば大したことではないのに、ぼくにとっては盆と正月が一緒に来たようなイベントだったのだ。
マメ兄をはじめとした友人たちとは、卒業した今も大型連休の際には酒を酌み交わすなど、数は少なくてもつながりが続いていることは大変ありがたい。しかし、当時のぼくにはそのありがたさを噛み締める余裕など微塵もなかった。
第二章:戦力外、されど無自覚

「最後になったのはコンちゃんか。誰が取る?」
2回生の夏休み。部活では秋に3回生の先輩方が引退するため、ぼくらの代が最上級生となる。班での活動が多いため、新しい班を構成するための「ドラフト」が行われていた。各班の次期班長がそれぞれの学年で班員にしたいメンバーを順番に指名していくのだが、「コンちゃん」と呼ばれていたぼくの名前は最後まで呼ばれることがなかった。
思い返せば、この時点で「戦力外通告」を受けたようなものである。ドラフト指名を受ける前に戦力外とはこれ如何にと不思議な気分だった。彼らは遠回しに「お前なんか退部してしまえ」というメッセージを発していたのかもしれない。ドラフトが終わり、いらない子として扱われたように感じたぼくは急に怒りがこみ上げ、部室の中にあったゴミ箱を蹴飛ばした。
「何してんの!」
同期の「やっちゃん」が声を張り上げてなだめる。やっちゃんは同期の中でもお姉さん的存在で優しい性格だが、彼女があんな大声を出したのは初めてかもしれない。彼女以外の部員はぼくのことを「なんだコイツ…」と蔑むように、横目で部室を出ていった。この中に同情してくれる人は誰一人なく、ぼくの孤独感は一層深まっていくのであった。
しかし、こんな状況に陥るのも無理はなかった。入部した時から奇怪な目で見られていたとはつゆ知らず、感情の赴くまま周囲に迷惑をかけるようなことばかりしていたのだから。さらに、組織の厄介なところで悪評に限って流行り病のようなスピードで広がっていく。
では、ぼくはなぜこれほどまでに部内からの評価を下げ続けてしまったのか。思い当たるエピソードは山ほどあり、そこからぼく自身がどれほど周回遅れなキャンパスライフを送っていたかということがよくわかるだろう。
・・・
まずは入部当初のことである。同じ班になった同級生どうしでゲームセンターに行った時のことだ。そこで動体視力を測るゲームをプレイすることになり、4人いたメンバーでスコアを争うことになった。高校までゴリゴリの体育会系だったぼくは、この時点で負けることなど微塵も考えていなかった。
しかし、フタを開けてみると見事なまでに大惨敗。「自分が勝つ」と信じてやまなかったぼくは人生で一二を争うほどの大癇癪を起こしてしまったのである。ぼく以外の3人は苦笑いしながらなだめていたが、内心では「コイツに近づいちゃいけない」と感じていたことだろう。
カバンを叩きつけ、奇声を上げる。同級生たちも驚いただろうが、周りにいた見ず知らずの人たちはそれ以上に驚いたことだろう。恐らく、ぼくのことをきちがいだと思った人も多いはずだ。あまりの暴れっぷりにカバンの中の水筒を破壊し、高校時代からの付き合いだったその水筒はこの日限りの命となってしまった。
そして、「事件」はこれだけに留まらない。みんなと別れた後、癇癪を起こしたことを激しく後悔したぼくは4人が参加するグループLINEに長々と謝罪の文章を送った。
——お疲れ様です。本日は皆さんにお見苦しいところを見せてしまい、誠に申し訳ございませんでした。せっかくの楽しい場をぶち壊し、大いに反省しております。自分の感情で皆さんを不安にさせ、周りの人も驚かせてしまった。私はなんと愚かな人間なのでしょう。(以下略)
こんな文章を延々と打ち、最終的には画面に収まりきらないくらいの文章になってしまった。みんなからのリアクションとしては「ドンマイ」といったものがほとんどではあったが、そこから話が広がることは当然としてなかった。内容が内容なので、ネタにしようにも笑えないのは明らかだろう。
想像にはなるが、この日の大癇癪が瞬く間に部内に広がったのだと思う。「あいつはマジで危ない」「近づかないでおこう」、そんな評判が先輩の耳にも届いてしまったとすれば、可愛がられなくなるのも仕方がない話だ。
この日の大癇癪が尾を引いたのか、2回生に進級した際の新体制でもぼくの肩身は狭いままだった。先輩から一目置かれていた同期には、会計補佐や事務補佐といった役職が与えられるが、案の定ぼくには何の役職も与えられなかった。
役職が与えられた同期はいわば「幹部候補」として部の中心を背負うことになるが、ぼくを含めた役職がない数人は「パンピー」と呼ばれる。その中の数人は「パンピーいじり」をよくされていたが、ぼくに対してはそれすらなかった。あいつにパンピーいじりをしようもんなら大噴火を起こす。そんな懸念から要注意人物として徹底的にマークをされていたようで、「触れてはいけない部員」としての色がより濃くなっていったのかもしれない。
このようなエピソードから、うわべでは優しく接してくれている同期や先輩も、ぼくがいないところで陰口を叩いていたのではないかと疑心暗鬼になるのはおかしいだろうか。そんな疑いがさらに深まってしまった出来事が一つある。
・・・
所属していたアウトドアサークルでは週に一回、木曜日に「部会」が行われ、そこで合宿の打ち合わせなどを行う。しかし、授業の合間に部室に出入りする部員も多く、役職を持つ先輩方は事務作業などのため毎日のように出入りしていた。
一方のぼくは部室に行っても特段やることがないのだが、一度部会がない日に部室へものを取りに行く用事があった。部室に入る際はノックをして「失礼します。お疲れ様です」と言って入室するのだが、誰かしらが「おつかれ~」と出迎えてくれることがほとんどだ。
その日も「失礼します。お疲れ様です」と部室に入り、中では10人前後はいようかという同期と先輩がゲームキューブのスマブラで対戦していた。皆がスマブラに夢中だったと信じたいのだが、誰からのリアクションもない。誰一人ぼくを一瞥することもなく、テレビの画面にくぎ付けだった。
ただならぬ雰囲気を感じたぼくは、早めに用事を終わらせて部室を後にする。「失礼しました。お疲れ様です」。やはり誰からの返事もない。とても悲しくなった。同時にやり場のない怒りもこみ上げた。悲しみと怒りが入り混じった感情、そのやり場をどこに向ければよいかまったくわからない。
「誰も相手にしてくれへんのか。気分悪いわ」
その後、帰りの電車の中でTwitterを更新し、このように怒りをあらわにしてしまった。誰かを名指しするわけではなかったのだが、入部時から同期のリーダー的存在となっていた「まる」が反応した。
「どうしたんや?」
彼はあの時部室にいた一人で、なんとなくぼくが疎外感を感じていたことを察していたのかもしれない。高校時代、生徒会に所属していたというまるは責任感を感じたのだろう。ぼくのことを放っておけなかったのか、そんなリプライをくれたのだ。
「もう落ち着いたから気にせんとって!」
ぼくはこう返した。時間が経つと怒りが鎮まり、冷静になると激しく後悔と自責の念を感じるのは今も昔も変わっていない。もっとさかのぼると小学生、いや保育園に通っていたころからそうだ。「自分はこの部活の中で一目置かれている」、そんな根拠もない過信からいざ存在そのものを否定されるような出来事があると、どうしても我慢できなかった。
・・・
だが、そんな過信に至ったきっかけとなった出来事がある。それが毎年秋に開催される部活対抗の運動会だった。1回生の時、徒競走の選手として推薦されたぼくはざっと30人は出場していたであろう選手の頂点に立ったのだ。徒競走は男女別に分かれていたが、同じ部で運動神経のよさに定評があった同期も女子部門のチャンピオンに輝き、我がアウトドアサークルは男女アベック優勝を果たした。
「コンちゃんおめでとう!」
「いやいや、そっちこそおめでとう!」
このように、女子部門チャンピオンの同期とハイタッチを交わしたことは今でも鮮明に覚えている。この時、別途選出されるMVPにも選ばれたぼくは有頂天となり、我が名は他の部にも轟くだろうと信じてやまなかった。ここからスーパースターとして崇拝される。ひれ伏せ下民ども。これくらい調子に乗っていると、後から痛い目を見ることぐらいわからなかったのだろうか。
だがこの栄光は長くは続かず、この数日後に「パンピー」の宣告が下ってしまった。運動会の前からあらかじめ決まっていたことなのだろうが、「俺はMVPやぞ!?何たる仕打ちか?」と悲しみ憤ったのは未だに忘れることはできない。
ぼくの代には部員が17人ほどいた。その中で役職持ちになれるのは10人ほどなので、役職を持たない部員が出るのも当然のことだ。大学生ゆえにある程度キャラが立っていれば役職持ちになれるだろうと信じていたぼくだったが、先輩方はそれ以上に各部員と円滑なコミュニケーションを図れるかどうかを見ていた。
サークル間では「目立ったもの勝ち」という雰囲気があり、ぶっ飛んでいるヤツほど部の内外で目立つことができるものだと思い込んでいたぼくは情けなかった。目立つために恥を忍んで突飛な行動を取ったこともあったが、それは先輩や同期が求めていたものではなかったようだった。
・・・
先輩や同期だけでなく、後輩からの信頼もゼロだったようだ。話は一気に進んで部活を引退した3回生の冬。一年間の班活動を共にした1回生から3回生で集まり食事をした時のことだった。酒も進んで班長として引っ張ってくれた「大将」がこんなことを切り出した。
「この中で一番好きな3回生を指名しよう」
班員の3人の女子にそう提案したのだ。そんなもん、真面目で優しくて面白い俺に決まっとるやろ。アホらしいこと聞くなや大将。みんな俺のこと慕ってくれてるんやから、答えは明白やろ。さあさあ、3人とも俺を指さすに違いn…
「せーの!」
「おい、コンちゃん…笑」
投票数は大将が1票、もう一人の同期だった「ジュリー」が2票だった。ジュリーは一言で言えば「コミュ力お化け」で、男女分け隔てなく仲良くできる男だった。2票を獲得できたのも、高いコミュニケーション能力を評価されたのだろう。入部当初はそんな彼にジェラシーを燃やしていたが、いつの間にか親交が深まっており、ぼくもジュリーの虜になっていたようだ。
方や一票も入らなかったぼくは、苦笑いを浮かべるしかなかった。この時のぼくには敗因すらわかっていない。真面目で優しければ嫌われることはないんじゃないのか。そう思い込んでいたようだが、女心が一切わからないぼくの見当は大きく外れてしまった。
思えば当時のぼくは「こうすれば相手も面白いと思うだろう」という自己満足なジョークや小ボケで褒められようとしていた。しかし、それらのほとんどは相手のストライクゾーンを大きく外しており、「笑わせる」のではなく「笑われる」ものでしかなかったのだ。
「おもんないなあ。とりあえず笑っとくか」
「笑っとけばコイツの機嫌取れるっしょ」
思えば先輩として最低限の振る舞いはしていたつもりであったが、コミュニケーションが得意な大将やジュリーに比べると物足りなかった。とりわけ女子が相手となれば、向こうの気持ちを考えながら接することが何より求められる。一つ下の代だけならばまだしも、二つ下の代からも総スカンを食らってしまっては、いよいよもって部内にぼくの居場所はない。
解散した後、グループLINEに送られてきた大将からの「コンちゃんドンマイ」という言葉があまりにも空しく感じた。これは本心ではなく、口だけの慰めだったことは今になればよくわかる。大将をはじめ、他の班員も「そりゃそうやろ」と嘲笑されていたのは間違いなかっただろう。大将以外の班員から慰めの言葉はなかったという事実が何よりの証拠だ。
・・・
周りとの協調性が求められるキャンパスライフだが、ぼくは勉学そっちのけで「周りからどう見られるか」ということばかりを気にしていた。特に、高校卒業まで同年代の異性とろくに交流したことがなかったぼくは、何よりも「女子ウケ」を気にしていた。とにかく女子から嫌われることは命を取られるよりも怖かった。
部活の同期には憤るぼくをなだめてくれたやっちゃんをはじめ、3人の女子がいた。一人は運動会でぼくとともに活躍した運動神経抜群の子、もう一人は不思議な雰囲気をまとった宇宙人キャラの子だった。三者三様の個性を持つ同期の女子たちだったが、それぞれに魅力的なところがあったので、「部の同期」を超えた深い関係を密かに期待していた。
とりわけ宇宙人キャラの子とは1回生の時に同じ班で活動したが、地元が近くて天然なところも少し似ていたため親近感を感じていた。そのキャラクターから部内外の人気も高く、色んな人から気に入られていた。正直に言えば、彼女こそが初恋の人だと思ったこともあるのだが、当然ながら彼女はぼくだけの存在ではない。
キャンパスでは部活以外でも、多くの女子がぼくみたいな冴えない男子にも優しくしてくれる。一度でも優しく接してくれた子がいると、次に会う時からはその子を直視できなかった。初心な男子のあるあるだとは思うが、優しくしてくれた子を好きになるというのは中学か高校くらいまでにすべきだろうか。この大人気なさには我ながらため息を禁じ得ない。
・・・
ある日、同期LINEに「今から部室行くわ!」とメッセージを送った。既読はついた。しかし、返事はなかった。
ぼくの協調性のなさを象徴していたのがグループLINEでの振る舞いだ。LINEそのものは高3のころに誕生したのだが、友達が皆無だったぼくがクラスのグループLINEに招待されることなど当然ない。アプリをインストールしたのは高校卒業直後のことだ。当時は迷惑メールの温床だという噂からインストールを頑なに拒んでいたが、「みんなやっている」という理由から結局は折れてしまった。
一対一のやり取りならまだしも、グループLINEともなれば「既読スルー」なんかに対する風当たりは非常に激しい。インストール直後に招待された小学校の同級生LINEでそれをやらかし、陰でさんざん言われたことがあった。それ以来、既読スルーも含めてグループLINEでの言動には細心の注意を払ったつもりだった。
しかし、のちに参加した部活のグループLINEではそうはいかなかった。さすがに先輩が参加している全体LINEでは控えたが、同期LINEでは目立つ必要がないところで目立ち、主張すべき状況でダンマリを決め込むといった暴れようだった。
特段変なことを言ったつもりのない業務連絡的なメッセージにもリアクションをする者はいなくなった。ぼくほど「グループLINEで自分が発言すると会話が止まる」というありがちな現象を体験した人はいないだろうという自信がある。
もしかすると、ぼく抜きのグループLINEが作られていたのかもしれない。そんなことを勘ぐってしまうくらいにみんなのリアクションが悪かったので、同期たちの不人情さにいら立つこともあった。だが、その原因を作っているのはぼく自身であることには気がついていない。グループLINEは、ぼくの孤立を文字という形で淡々と記録し続けていた。
部活での孤立はぼくの立ち振る舞いそのものに染み付いてしまった。そんな勘違いは部活だけでなく、2回生の秋から始まった専門のゼミにも響いたのであった。
第三章:勘違いの春

「おっす! コンちゃん!」
三回生からスタートした専門のゼミにも慣れてきたころ、彼女は教室に入ると毎回のようにぼくを見るなりこうあいさつしてくれた。彼女はゼミのメンバーに対して分け隔てなく明るく振る舞ってはいたが、こうやって明るくあいさつしてもらえるととても嬉しかった。
・・・
彼女と知り合ったのは、二回生の秋に実施されたゼミ選考に合格した後のこと。隣にいた友人から「ねっち」と呼ばれていた。後から彼女の親友である「エリコ」にあだ名の由来を教えてもらったが、ぼくらより一つ年上で「お姉ちゃん」「姉さん」の言い方が何度も派生して、この名に行き着いたらしい。
専門のゼミは学科の垣根を超え、各ゼミで20人ほどのメンバーを募る。入ったゼミは毎年学部の中でも一二を争う倍率の高さを誇る。ぼくは合格した仲間を見て「多士済済のメンツだ」と察した。サークルの幹部をしていたりとコミュニケーション能力に長けている学生ばかりで、ぼくは一抹の劣等感を感じていた。
そんな顔合わせの帰り道、そのねっちも合わせて数人で雑談しながら歩いていた。場が温まってきたところで、小学校からの腐れ縁である喜多本がこう切り出した。
「コイツ、小学校から一緒やねん」
「コミュ障すぎて人の名前も呼ばれへんねん」
彼はかなりのおしゃべりで、余計なことを言い出すのが玉にキズだ。口には出さずとも「余計なこと言うなよ」と思ったが、それに同調したねっちは「確かにコミュ障顔やもんな~」と冷やかした。
彼女としては場を和ませるために放った言葉だったのかもしれない。しかし、ぼくは正直カチンときた。当時のぼくに「コミュ障」だという自覚がなかったのもあるが、「初対面なのに失礼なヤツやな」という直感が働いた。
デリカシーがないゆえの発言なのだろうか。後々ケンカすることがあるのかもしれない。そんな不安が頭をよぎった。しかし、こればかりはぼくのコミュ障っぷりをネタにした喜多本を恨むべきか。苦笑いで乗り切ったが、これからのゼミでの活動を考えると前途多難な船出に思えた。
・・・
ここで、そんな喜多本についても話しておこう。彼はぼくとは水と油のような関係で、幼いころからぼくの言葉じりを捉えてはそれを否定するようなヤツだった。中学と高校では部活も種目も同じ、極めつきは同じ大学の同じ学科とゼミを選んだというところだ。
「俺らの友情はまだまだ続きそうやな笑」
選考結果が発表された際、喜多本からのLINEでぼくがそのゼミに合格したことを知った。特別仲がいいわけではなかったが、大学生活を通じてその関係も少しだけ柔らかくなっていたようだ。お互いが多少は大人になったということだろうか。
結果を改めて確認するためにキャンパス1階のホールへと向かい、合格者名簿に目を通す。一枚の紙にぼくの名前と喜多本の名前がしっかりと刻まれていた。真逆の性格なのに、なぜここまでお互いを引き寄せるのか。この時は嬉しさと不安が複雑に絡み合い、素直に喜ぶことができなかったのをよく覚えている。
ぼくは人の名前を呼ぶのもままならないほどのコミュ障なのに対し、喜多本は元気ハツラツな快男児だった。明るい性格から友人も多く、クラスや部活でムードメーカーとしての役割を担っていた。一方で、思ったことをオブラートに包まず単刀直入に言うなど、人の好き嫌いも非常にはっきりとしていた。
また、彼には読書好きな一面もあった。朝通学路を歩いていると、前方に文庫本か小説だかを片手に歩く彼の後ろ姿を何度か見かけたことがある。その反面、理屈っぽいところも見られた。特に、自分が気に入らない人や価値観が合わない人に対し、高圧的にねじ伏せようとする場面もあった。
一度Twitterでマメ兄が24時間テレビに苦言を呈した時、喜多本が「それは違うやろ」と返信して突っかかることがあった。ぼくは「他所でやれ」と仲裁しようとしたが、これはすぐに収束したようだ。
ぼくとは対照的で激しいところもあった喜多本だが、ゼミの適応に思いのほか難儀しなかったのは彼のおかげだと言えるだろう。もし彼がいなければますます孤立していたかもしれないし、お互いに別々のゼミに行っていたらぼくは肩身の狭い思いをしていたのかもしれない。
・・・
専門ゼミが本格的に始動した三回生の春、この時期から一年後の就活解禁に向けたインターンシップの選考が始まる。ゴールデンウィークを間近に控えた4月の終わりごろ、その手続きのため1限の授業を中抜けせざるを得なかった。出席登録だけを済ませ、友人たちに平謝りして教室を出た。
書類を提出する窓口が10時に空くため、1時間近い空白の時間ができる。それまでキャンパスのロビーで時間を潰すことにした。その時間でこの後の授業で必要となる資料を進めようと思っていた。そんな時、隣の席に人の気配を感じた。
「コンちゃん、おはよう! 何してんの~?」
ねっちがやって来た。一対一でゆっくり話すのは初顔合わせの時以来だろうか。ほとんど会話を交わしたことがないにも関わらず、ためらいもせずぼくに話しかけてくれたのは嬉しかった。その分、女子とのコミュニケーションに乏しいぼくは緊張を隠せなかった。
「こ、この後インターンの書類出しに行くねん。それまで授業の準備してるとこ」
「そうなんや~ わたしはさ、乗り換え忘れて難波まで行っちゃって1限欠席なっちゃってん。へへへ」
ここから彼女の独壇場が始まった。彼女も口から生まれてきたかと疑うレベルのおしゃべりであり、喋り出すともう止まらない。矢継ぎ早に言葉を紡ぎ、相槌を打つ暇さえ与えない。サッカーでいえばメッシ擁するバルセロナのようなパスサッカーを彷彿とさせ、ぼくの支配率は20%にも満たなかっただろう。
寝過ごし談義の後はようやく本題に突入したようで、就活のことやバイトの話に進んだ。緊張のあまり詳しい内容を覚えていないが、彼女が浪人している時にぼくが働いていた弁当屋チェーンに行っていたこともわかった。のり弁当をよく買っていたそうだ。
そして、名残惜しくも時間が来た。彼女は「コンちゃん頑張れよ」と送り出してくれたが、ぼくから「あんたも頑張れよ」みたいなことを言えていれば満点だっただろう。授業のプリントを埋めることはできなかったが、幸せな暇つぶしとなった。
この時、初対面で感じた疑念はほぼ晴れた。おしゃべりで余計なことを言うリスクこそあるが、別に悪意があるようには見えない。異性の顔を直視できないほどの奥手ではあるが、ちらっと見た感じ素朴な美人だ。華美な化粧をしているわけではないが、それがぼくの中で好印象だったのだろう。
この日を境にねっちへの評価は急上昇した。それは最早、「恋心」と言わずして何と言うのか。自分に優しく接してくれた異性に対して恋心を抱いたことは数知れないが、彼女へのその感情はぼくが経験した中でも一二を争うものだった。いつしか、「同じゼミの同期」を超える関係に発展することを期待するぼくがいた。
・・・
ねっちはぼくから見ると太陽のような存在だった。誰に対しても対等に接し、場を温める雰囲気をまとっていた。ときおり関西屈指の進学校を卒業した頭のよさを見せながらも、ゼミの中ではムードメーカーっぷりを発揮する。そんな彼女はゼミの同期だけに留まらず、先輩たちにも可愛がられるようになっていた。
また、学科には男子の友人もいたようだが、「今まで恋愛した経験がない」とも話していた。それが本当だったのか定かではないが、これを聞いたぼくは「チャンスだ」と思ってしまった。彼女のハートを射止めるほどの度胸もないのに、思い上がりも甚だしい。「恋愛の経験がない」という共通点から、勝手に強いシンパシーを感じてしまったのだ。
ゼミが始動してから数ヶ月、各ゼミ生とSNSでつながるようになった。ある日のゼミ飲み会の後、酔った勢いそのままにゼミの同期を次々にフォローした。もちろんねっちもその一人だったのだが、SNSで誰かをフォローする時は必ず不安が付きまとう。
「フォローが返ってこなかったらどうしよう…」
「『誰ですか?』って怪しまれたらどうしよう…」
他のゼミ生はそうでもなかったのに、彼女をフォローした時に感じた緊張感は特別だった。酔いと緊張を覚ますため、大汗をかきながら部屋の中で全力のシャドーピッチングを繰り返した。この時、近くに家族がいたらぼくの居場所はなくなっていただろう。
翌朝、ねっちからのフォローが返ってきたことに気がついた。他のゼミ生もほとんどがフォローを返してくれたようで、安堵したことをよく覚えている。「みんなともっと仲良くなりたい」。そんな思いから、彼女をはじめとしたゼミ生に気に入られようと毎週木曜のゼミの後は特に投稿の頻度を増やした記憶がある。
特に、ねっちから反応をもらうために「ツッコミ待ち」のような投稿が多かった。例えば、彼女は底が厚い靴を履くことが多く階段でよく躓いていたのだが、ぼくが同じように躓いたときは「誰かさんみたいに階段でこけそうになったわ~」とつぶやく。しかし、彼女からの反応はない。こんなことを繰り返すうちに、彼女はぼくに対して愛想を尽かしたことは容易に想像できる。
そして、このSNSでの振る舞いがエスカレートし、ぼくは大学生活で一番とも言えるほどの黒歴史を残してしまったのである。
・・・
——遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます! みんなからこれほどお祝いされているのはねっちくらいしかいないでしょう! 俺もこれくらい祝ってもらいたかったなあ~ 歳は違うけど、ゼミを盛り上げてくれてありがたいです。これからもお互いに頑張ろう!
あれは夏休みが明けたある日のことだっただろうか。彼女が誕生日を迎えた日の深夜だった。Twitterで多くのゼミ生が彼女を祝福していたので、「自分も祝わないと失礼だ」と思い立ってこのメッセージを送った。あまりの怪文書ぶりに誰もツッコまなかったのが不幸中の幸いだったが、後からぼくは顔から火が出るほど恥ずかしくなった。
実際に送ったメッセージを断片的な記憶をもとに綴ってみたが、改めて読んでみると昨今話題の「おじさん構文」が頭をよぎる。あれほどの絵文字はトッピングしていないが、好意を寄せる異性に対する文章としては気味が悪い。なんだか上から目線にも見えるし、ぼくの異常なほどの奥手っぷりが一目でわかる文章だ。
また、正直すぎる性格からナチュラルに失礼なことを言うのもぼくの悪いところだ。「歳は違うけど…」なんぞ失礼千万である。他のゼミ生が「ババア」といじっていたこともあるのだが、それは理由にならない。ここにぼくが集団に上手くなじむことができない理由が詰まっている。
案の定、彼女からどんなリアクションが来るか不安でたまらなかったぼくは一睡もできなかった。翌朝、彼女からは謝意の返信をもらい、後日のゼミで会った時も「ありがとう」と言ってくれた。しかし、向こうは気持ち悪さと同時に、恐怖も感じていたのではないだろうか。
彼女はこの後も変わらぬ態度でぼくに接してくれた。一方で、ぼく自身ゼミ生から距離を取られているようにも感じていた。もしこれが本当だとすれば、部活同様にぼくの悪評が知らない間に広まっていたことも考えられる。
協調性のなさと空気を読めない性格。これがゼミでも足を引っ張ってしまった。集団行動が得意だという自覚は微塵もなかったが、無理に馴染もうとしたことが裏目に出たのだろう。「みんなに気に入られたい」、そんな思いが空回りしてかえって悪目立ちしてしまったのだ。
さらに、ねっちに関しては親友であるエリコの存在も大きかった。彼女はねっちとニコイチ的な存在としていつも一緒で、姉妹のような関係だった。彼女たちが日常会話の中で、お互いにぼくの奇怪な言動の数々を共有していたのかもしれない。エリコもぼくには親切に接してくれたのでそんなことは信じたくないが、非常に親しい関係だったのでその可能性も排除できない。
・・・
そんなことはつゆ知らず、ぼくからねっちへの片思いは卒業間際まで途切れなかった。彼女からのアタックを待っていた一方、ぼくからアタックを仕掛けることはない。お互いに就活などで忙しくなったこともあり、3回生の冬ごろから4回生の春になるまで会話を交わす機会も少なくなっていた。
その間、彼女はキャンパスの中でぼくを見かけても、いつものようにあいさつしてくることはなかった。考えてみると、ゼミの中で浮き始めたという悪い予感が的中していたのだろう。彼女も就活を控えてピリついていたのかもしれないが、ぼくは少し存在を否定されたような気分に陥った。
そんな寂しさも相まって、SNSでのツッコミ待ちツイートに拍車がかかっていったが、彼女からは当然何の反応もない。今までもSNSでやり取りすること自体少なかったのだから仕方がない。そう自分を納得させる間もなく、スマホに手を伸ばして新しいツイートを次々に投稿する。もはや病気だ。
「もう二度と口をきいてもらえないかもしれない」。そんな不安に苛まれると同時に、自分から話しかける度胸もない己に対する腹立たしさも覚えた。仮に勇気を出して彼女に話したとしても、反応がなかったらぼくはもう大学にすら通えないかもしれない。そんなことばかり頭をよぎる。
新年度一発目のゼミで再会した時、ようやく近況報告程度の会話ができた。教室の前で一人待っているぼくに「久しぶり~!」と元気に声を掛けてくれた時、安心のあまり涙が出そうになった。この後も会話の機会は減ったが、一時のような「塩対応」を取られることも少なくなり、わずかばかりの期待に胸を躍らせるぼくがいた。
・・・
しかし、彼女はぼくから確実に離れていったようだった。彼女のことが気になっているということを喜多本を含めた数人にそれとなく話してはいたが、幸か不幸かそのことを言いふらす者は誰もいなかった。ぼくの立ち位置的に誰にも取り合ってもらえなかったのか、大したネタにならないと判断されたのか。はたまた笑えない話だと封印されたのか。
当然のことではあるが、彼女は常にぼくのことを考えているわけがない。単にぼくが一方的に片思いをしているにすぎず、彼女から見たぼくはただの「ゼミの同期」でしかない。向こうには向こうの学生生活があるし、ぼくと彼女の間で温度差が生じているのは明らかだったことだろう。
それを象徴していたのが、卒業研究の発表をしていた時だった。ぼくが前に立って発表をしている最中、たまたま爆睡している彼女が視界に入った。これで一抹の不安は確信に変わった。バイトや卒業研究で多忙だったのかもしれないが、発表している立場からすれば正直悔しかった。発表を聞いてもらえていない悔しさではなく、ぼくには興味がないという思い込みからの悔しさだった。
そんな中で迎えた卒業式の日。式の終わりに教授を加えたゼミのメンバーでささやかなパーティーが開かれた。これでゼミ生同士が集まるのは最後、みんなで酒を酌み交わしながらこれまでの思い出を語らい合った。深く話をしたことがないゼミ生とも思い出話に花を咲かせ、彼らとももう少し仲良くなりたかったと物寂しい思いに駆られたものだ。
その中で、ゼミ長を務めた喜多本は教授からの労いの言葉に涙していた。熱い男でもある一方で涙もろい一面があるのが喜多本という男だ。卒業後はそれぞれ違う道を歩む。皆が優秀な学生だったことから、名前を知らない人はいない大企業に入社する者も数人いる。春から関西を離れる子もいるようで、彼らとはこれが今生の別れになるかもしれない。
「コンちゃん、写真撮ろうや」
宴もたけなわとなったところで、会場の外でねっちに声を掛けられた。どうやら女性陣は各ゼミ生とのツーショット写真を撮影して回っていたようで、ぼくにもその番が回ってきた。嫌われていたらそんな風に声はかけてくれないはずだ。本人にとっては単なる記録であっても、ぼくにとっては喜ばしい言葉だった。
「みんなありがとう! これで終わらないようにしよう!」
その日の深夜、喜多本がゼミのグループLINEに送った言葉だ。ここで築いた関係は卒業後も続く。恐らく、そんなメッセージが込められていたのだろう。
第四章:受け身の代償

卒業後、部活の同期とは頻繁に食事をしたりしていたが、数年が経ってからようやく孤立していたことに気がついた。同期に会うたび、鈍感なぼくでもわかるくらいの疎外感を感じてしまい、やっちゃんの結婚式を最後に何も言わず同期LINEを退会した。しかし、そんなぼくを引き留める者は誰一人なく、これがある意味答え合わせとなってしまった。
一方で、ゼミの同期で集まることは一度もなかった。一部のゼミ生と食事に行ったり、仕事帰りに街中でばったり出会うことはあったが、ねっちはおろか喜多本にも会う機会はない。喜多本は卒業後何年か後に結婚したと人づてに聞いたが、ねっちに関してはSNSでのつながりも切れてしまった。
卒業から10年近く経った今、付き合いがあるのはマメ兄を含めた5人だけとなった。大学生時代と比べると大半の人と疎遠にはなったが、この5人と今でもつながりがあるのは本当にありがたいことだ。彼らとのつながりはできるだけ長い間、大切にしたいと思わずにはいられない。
そんな中、ぼくは卒業式の日に撮影したねっちとの写真を未だに保存している。カメラロールを下の方までスクロールすると、他の同級生と撮った写真をよそに、その写真だけが大きく表示される。彼女は今どうしているのだろう。結婚して家庭を築いているのか、新たな出会いを求めて頑張っているのか、ぼくが知る由もない。
カメラロールの中では、若き日のぼくと彼女が笑みを浮かべている。この日から10年近い月日が経ったが、ぼくの中の彼女は今でもあの時と同じ太陽のような存在であることは変わらない。しかし、これはぼく自身がその日から大して変われていないことの証でもあるだろう。向こうはぼくのことを忘れているのだろうけど、ぼくが彼女に抱いた思いは完全に消えたとは言えない。
振り返ると、あの時彼女に対して何かアクションを起こしていればよかった。受け身な性格と傷つく恐怖から身動きできずにいたけれど、失恋したとしてもそれが青春の一ページとなっていたはずだ。何か失敗することを恐れるあまりに、行動を起こすことができなかったのは当時のぼくが犯した最大の失敗だったと言える。
そんな中、仮に彼女と結ばれたとしてぼくたちはどうなっていたか。当時はそんなことをほとんど考えていなかった。最初のうちはお互いが初恋となるため二人の時間を謳歌しているのだろうが、時間が経つと多少のすれ違いが生じることは想像に難くない。初心なぼくが憶測だけで生意気に語るのもおこがましいが、長く付き合っていればお互いに失望することもある。それが受け入れられるか、受け入れられないかでそこからの関係も変わったことだろう。
当時のぼくは、とにかく彼女をぼくだけのものにしたかったとも言える。想像力が欠如していたことは明らかで、もし付き合うことができたとしても恋人という関係になった時点で目標を見失い、長く続きはしなかったのではないか。大学生当時のぼくにはそんなことすらわからなかったが、30歳を超えてようやく内面が大人になった今、やっとそんなことがわかってきた。
とは言え、この4年間のキャンパスライフはぼくにとって最初で最後のチャンスだった。卒業後は異性とプライベートで交流する機会は全くのゼロとなり、年々増していく孤独感と闘う毎日だ。一人でいるのは好きだが、時には誰かと笑い合いたい。人肌に触れる時間も恋しい。一人の男性として大切なものを失っているも同然であり、順調に人生を進めている人に比べるとそこに至ることすら叶わない。
「普通」の恋愛について考えた時、男から好意を伝えるのが当然であり常識だとされている。しかし、ぼくはそんな度胸を持ち合わせておらず、失敗を恐れるあまり身動きが取れずにいた。「男らしさ」とよく言われるが、当時のぼくにそんなものはなかった。
また、周りの目を気にしすぎて自分を縛りつけてしまうところもあった。ぼくは「いじられキャラ」と言うには少々過激な扱いを受けることが多かった。中学生時代、好きでもない同級生の地味な女の子が好きだという根も葉もない話を学年中に吹聴され、辟易した過去もある。この時の思い出を引きずっていたのか、異性に好意があることを言いふらされるのが嫌だったのかもしれない。
部活にしてもゼミにしてもそうだ。好意があることが広まれば集団の中での人間関係に影響を与えることも十分に考えられる。「周りに迷惑をかけたくない」という気持ちが、図らずも自分を縛っていたのだろうか。
そんな懸念があったのは確かだが、人生で最も充実した時間にするチャンスをフイにしてしまったのは悔やんでも悔やみきれない。「覆水盆に返らず」。「何もせずに失敗するよりも、チャレンジして失敗するほうがいい」。周りに委ねてばかりのキャンパスライフを送ったあの時の自分に言葉をかけられるなら、そんな言葉をかけてあげたい。
エピローグ
夢から覚めて朝になり、ぼくは現実に引き戻された。夢の中で嬉しい出来事があると目が覚めてがっかりすることも多いが、会話すら交わせなかったのでただただ失望感に苛まれる。日常を過ごすうえでは何の支障にもならないが、一日中寝ぼけた感じが抜けないのは確かだ。恐らく、夢の内容を反芻して目の前のことに集中できずにいるのだろう。
「おっすコンちゃん! 久しぶりやな、何してんの?」
街へ繰り出すとどこかで彼女がこう声を掛けてくれるのではないか。そんなありもしない期待をしてしまうが、向こうからぼくに気づくことなど天地がひっくり返ってもあり得ない話だ。ぼくのほうが気づいたとしても、緊張と人違いへの不安から声など掛けられるはずもない。
そんな未練がましい夢をよく見るぼくだが、ようやくさなぎから「脱皮」しつつあるように感じている。空を自由に羽ばたけるくらいに羽根が乾くまでまだ時間はかかりそうだが、外の世界がいかに厳しいかということくらいはわかってきた。それは自分が思っていたよりも壮絶で、知りたくないことばかりの世界である。安住の地だと思っていた場所が息苦しくて、そこから逃れて心地よい居場所を探し続けているところだ。
安心できるはずの場所に留まる力すらない。ぼくに襲い掛かったのはそんな自己嫌悪だった。羽ばたくにはまだ未熟だというのに、周りに負けたくないという気持ちから完璧ばかり求めて自分を追い込んでしまった。だが、そこで生じた自己嫌悪から「ぼくが今どこにいるのか」という事実に目を向けることができるようになった。
だが、空を羽ばたくことができたとしても、「飛び方が違う」と口うるさく言う者もいるだろう。さらに、羽根の模様を揶揄する者もいる。ぼくは今まで虐げられたり、笑われてばかりだった。自分の中では普通だと思っていても、周りには変わっていたり遅れているように見えていたようだ。周りの「普通」と乖離しているというコンプレックス、これによって本来の目的を見失い身の丈に合わない振る舞いをしていた。
空を羽ばたくまでに時間がかかる人はぼく以外にもいる。そんなことはわかっているのに、悲劇の渦中にいるのは自分だけだと思い込んでしまう。自分自身を慰めるも貶すもぼく次第だが、過去の過ちを大げさに考えてしまうところはぼくが空を羽ばたくために乗り越えるべき壁だと言えるだろう。
「普通」にすら達することができないというコンプレックスは大学を卒業してから現在に至るまで続く。仕事でも失敗を繰り返し、会社の人間関係にも適応できず出世への道も絶ってしまった。このコンプレックスに至ったのは他でもない「過信」と言えるだろう。
ぼくは過去の自分が嫌いだ。キャンパスライフでの過信は「若気の至り」という言葉で片付けられるほど簡単な話ではない。落ち着きがなく早とちりばかりして周りを困らせ、自覚がないままに周りの人から愛想を尽かされてしまった。周囲と比較して自分を大きく見せようと虚勢を張ってばかりで、自分の立ち位置を一切理解できていなかったぼく自身のことが嫌いで仕方がない。
「何でもできる」と自信を持つことは大事だが、できてもいないものを小さく見積もると大変な目に遭う。特に、周りに期待するあまり自分は受け身で何もしないというのは後から痛い目を見るだろう。ぼくも「恋愛経験がない」という共通点から、相手がぼくに好意を抱いてアプローチしてくるのではないかと勝手に期待していた。しかし、受け身で願いが成就するほどこの世界は甘くない。
この一生はマラソンのようなものでもあると考えているが、足を前に踏み出さない限りゴールに近づくことは当然できない。若き日のぼくは、通りかかった誰かに手を引いてもらうことで歩みを進めようとしていた卑怯者のようだった。たとえ自分で足を踏み出したとしても、明後日の方向に走り出して道中に立ちはだかる目の前の試練から逃げようとしていた。
ゴールに至るまでは、数えきれないほどたくさんの失敗を経験する。成功の倍はあろうかという失敗を経験してきたぼくは、いつの間にか「喜怒哀楽」の「喜」と「楽」を失ってしまったようだ。一喜一憂してばかりではいつか足許をすくわれる。喜びを大きく上回る悔しい出来事から「ぬか喜び」に変わることもある。言い方を換えれば「気を引き締める」ことができるようになったのだが、逆に感情をあらわにすることを許さないぼくもいる。
そして、涙を流すことすらできなくなった。子どものころ、ぼくは毎日のように悔し涙を流すほどの泣き虫だった。しかし、いつの間にか「泣くのは負けだ」と泣くこと自体を封じ込めてしまった。もう悔し涙は流したくない。そんな気持ちは人一倍強いのだが、泣くことは必ずしも自分の惨めさを露呈するものではない。涙を流せるほど喜ぶことができる景色に出会うまで、まだまだ走り続けなければならないのだ。
心の底から喜ぶことができるのはいつになるのか。また、涙を流せるようになるのはまだ先なのか。周りと比べれば周回遅れにはなってしまったが、少しずつ「脱皮」というゴールに向かって前に進んではいる。安易な決めつけは過信のもとだが、ぼくはそう信じている。
「いちいち過去を振り返ってどないすんねん。未来のことだけ考えろ」
今でも父からこう言われる。過去の失敗を繰り返さないという意気込みは大事だが、ぼくは後悔するだけでそのまま自己嫌悪に陥ることも多かった。脱皮した先に考えないといけないのは、父の言う通り未来のぼく自身のあり方ではないだろうか。目標を叶えたからそれで終わらないのがこの人生であるということを、ここで戒めておきたい。
最後になるが、この作品が当時のぼくのことを知る人の目に入らないことを祈るばかりである。
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