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「ゲイとして生きる」が、よく分からなかった

正直に言うと、僕は昔から、「ゲイとして、どう生きるか」みたいな話が、あまりよく分からなかった。

もちろん、悩みがゼロだったわけじゃない。学生時代には、「自分は普通じゃないのかもしれない」と思ったこともある。でも、大人になってからは、「社会に抑圧されている」「マイノリティとして戦わなければいけない」みたいな感覚を、そこまで強く持ったことがなかった。

僕の中で、ゲイというのは、かなり昔から“男が好き”という、ただの性的指向でしかなかった。それ以上でも、それ以下でもない。

だから、「ゲイだから仲良くする」「ゲイだから価値観が近い」みたいな感覚も、正直あまりない。ゲーム好き同士でも気が合わない人はいるし、同じ会社でも合わない人はいる。それと同じだ。

むしろ、僕はゲイコミュニティの中にある、「ゲイとしてこうあるべき」みたいな空気のほうが、少し苦手だった。もっと自由でいいのに、と思っていた。恋愛観も、性格も、人生観も、政治思想も、全員違って当然なのに、“ゲイ”というラベルだけで全部まとめようとする空気がある。 いや、そんな単純じゃないでしょう、と。


もちろん、ゲイ同士で飲みに行ったり、バカ話をしたりするのは楽しい。でも、だからといって必ずしも気が合うわけではない。そして、僕がゲイの友達をあまり作らなくなった理由も、そこに少し関係している。

単純に、性欲が絡むことが多いのだ。

こっちは普通に友達だと思っていても、旅行中に触ってこようとしたり、飲み帰りにキスしようとしてきたりする。そして、その誘いを断るとちょっと距離を置かれる。「あ、そういう感じなんだ……」となることが、何度かあった。

もちろん、全員ではない。でも、同性だから安心、が成立しない世界なので、距離感が曖昧になると、急に緊張感が生まれる。しかも厄介なのが、向こうは軽いノリだったりすることだ。「減るもんじゃないじゃんw」みたいな。

いや、減る。信頼が。

こっちは、「この人は友達だと思っていた」という前提で接している。だから、そこで性的な空気を出されると、関係性そのものが壊れてしまう。結果として、僕は自然と、“あまり近づきすぎないほうが楽”と思うようになった。


でも逆に、ゲイではない人たちとの関係には、そこまで壁を感じなかった。会社の同僚とも普通に飲みに行くし、近所の人とも話す。犬の散歩をしていると自然と顔見知りも増えるし、IT系のイベントで知り合った人とそのまま仲良くなることもある。僕がゲイであることを知っていても、みんな案外、普通に接してくる。むしろ、その“普通さ”が、僕には心地よかった。

以前、会社の人たちに、二次会でキャバクラへ連れて行かれたことがある。もちろん女の子に興味はない。でも、僕はああいう場が意外と嫌いじゃない。

「この人はこういう女性が好きなんだな」とか、「こういうふうに話しかけるんだな」とか。異性愛男性たちを観察していると、「なるほど、人間だなぁ」と思ってちょっと面白い。あと、僕に付いてくれた女の子の話を聞くのも、結構好きだったりする。 あ、でも、キャバクラ代だけは払いませんでした(笑)。そこは最初に、ちゃんと説明していた。

ただ、たまに、“ゲイだから特別”みたいな扱いをされることはあった。

昔、会社の社長に、突然屋上へ呼び出されたことがある。行ってみると、社長の友人たちがお茶をしていて、その場で僕は、「こいつ、ゲイなんですよ」と紹介された。 別に、悪意があったわけではないと思う。でも、あまり気分のいいものではなかった。

僕たちは、会社の多様性アピールのために生きているわけじゃない。誰かの話題作りのために、存在しているわけでもない。ただ、普通に働いて、普通に生きているだけなのに。

あと、よく言われるのが、「ゲイだから、男と女どっちの気持ちも分かるでしょ?」という言葉だ。 いや、分からない。女性として生きたことなんてない。むしろ、身体男性として、性欲に関しては異性愛男性に近い部分もあると思う。

たぶん、ゲイは、“男と女の間”なのではなく、“ゲイという、ただの一人の人間”なんだと思う。


結局、僕は、仕事して、記事を書いて、犬と散歩して、友達と笑って生きている。その中に、「男が好き」という特徴が、一つあるだけだ。

だから、“ゲイとしてどう生きるか”を考えるより、“自分としてどう生きるか”のほうが、ずっと大事だった。

属性は属性。人生そのものではない。 僕は、そのぐらいの距離感で、ちょうどよかった。

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