9歳の娘には、友達がいない
「さぁ、学校に行く時間だよ。」
アレクサの声で、私たちは家を出る。
毎朝、私と娘は手を繋いで小学校まで歩く。
私たちの前を、黄色いランドセルカバーをつけた一年生が三人並んで歩いていく。公園では、中学生の女の子たちが待ち合わせをして、「おはよう」と声を掛け合っていた。
5分ほどの道のり。
「昨日は雨が降ったから、ミミズが散歩をしてるかもしれないよ。」
「ミミズはおいしい土が好きだねぇ。」
「ミミズはグルメだからなぁ。」
昨日の夜に読んだ、絵本の話をしながら歩く。
校門の前で「すみれ、行ってらっしゃい」と言ってハイタッチをした。
娘は「行ってきます」と言って校舎へ向かう。
黄色いランドセルカバーの一年生たちを、一人、追い越して歩いていく。
姿が見えなくなるまで、つい目で追いかけてしまう。
いつの間にか、こんなに大きくなっていた。
娘を送り届けると、私は掃除機をかける。
洗面所では、かけてあったタオルで鏡の水滴をさっと拭き、そのまま洗濯機へ放り込む。
朝9時。
私はコーヒーを飲みながらMacBookを開いた。
「今日は何をお手伝いしましょうか?」
♪LINE〜
画面の端でiPhoneが光る。
「久しぶりにみんなでランチにでも行かない?」
私はiPhoneを伏せた。
キーボードに指を戻した。
私は年に1回くらい、幼稚園の頃からのママ友二人からランチのお誘いを受ける。
幼稚園の頃は園バスで毎日顔を合わせていた。
二人は私を名前で呼ぶ。「すみれちゃんママ」ではない。
初めてそう呼ばれた時、私は訂正しなかった。
ママ友の「友」って、なんだろう。
小学生になってからはすっかり会うこともなくなった。
徒歩5分ほどの距離に住んでいるというのに。
同じクラスにでもなれば、参観日で顔を合わせるのかもしれない。
けれど、娘が二人の子どもたちと同じ教室で授業を受けることはない。
数日後、近所のショッピングモールで待ち合わせた。
少し早く着きすぎたからスタバを覗くことにした。
ここのスタバはちょっと奥まった場所にある。
私の買い物ルートにはない場所だけれど、いつも覗くことにしている。
店長の姿を探した。
見当たらなかった。
「今日出勤?」とLINEしようかと、カバンに手が伸びた。
でも、そのまま手を引っ込めた。
私は待ち合わせ場所に戻り、二人に小さく手を振った。
3階にあるフードコートのボックス席。
おしゃれなカフェより、ここのざわつきの方が心地よい。
サブウェイのサンドウィッチを頬張りながら、ママ友たちの話を聞いていた。
「一緒に登校してるあの子、ちょっと揉めてるらしいよ」
「なんで?」
「ディズニーランドに行ったお土産を一人だけもらえなかったらしいのよ」
「あぁ、あの鉛筆?」
「それをなんでうちの子はもらえないのかって親同士で揉めたらしくて」
「あー、やりそう」
私のわからない話が続く。
手の中のサンドウィッチはもうなくなっていた。
包み紙だけが、正確な直線を描いて折りたたまれていく。
娘のお迎えまで、あと何分だろう。
「あ、そういえばすみれちゃん、うちの子と同じ折り紙クラブに入ったんだね。うちの子が言ってたよ」
「え?そうなんだ。」
4年生になったらクラブ活動が始まるのは知っていたけれど、何クラブに入ったのかは知らなかった。自分で決められたのかな。
「すみれちゃんは最近何をして遊んでるの?」
「トモダチコレクションしてるかなぁ」
「いいなぁ!買ったんだ!!うちの子はシールばっかり買うから全然お金貯められなくて、いまだに無料の体験版やってるよ」
「わかるー。そうそう、あのシール買った?」
私の出番は一瞬だった。
私は、ストローで底の方に僅かに残った烏龍茶をズズズっと音を立てて吸い込んだ。
2月頃だっただろうか。
YouTubeでSwitchの『トモダチコレクション』のプロモーション映像を見つけると、娘は食い入るように見ていた。
「わぁ、懐かしい。お母さんもこのゲームで遊んでたよ」
娘は画面から目を離さなかった。
ねだられたことが、一度もない。
スーパーのお菓子売り場で立ち止まる。ガチャガチャの前でも立ち止まる。ただ眺めているだけで、何も言わない。
隣で床に寝転がって泣きわめく子がいても、娘は見向きもしなかった。
それでも、トモダチコレクションの映像が終わるたび、娘の指はiPadの画面をタップしていた。
「ねぇ、すみれはこのゲーム欲しいの?」
「ほしいよ」
「3月はすみれの誕生日だよね。でもゲームの発売は4月なんだよ。4月まで待てますか?」
「まてます」
毎年、何をあげたらいいのか困っていた誕生日プレゼントがこれで解決した。
4月中旬、発売日をすっかり忘れていた。
任天堂のHPで確認したら3日後に迫っていた。
「あと2回寝たらトモダチコレクションできるからね」と伝えたら、娘は読めないカレンダーを何度も見に行っていた。
「もうできる?」
「もう少しだよ。」
「アレクサ!明日の天気は?」
「明日の天気は晴れ時々曇り。」
「Hey!シリクサ!」
「はい、なんでしょうか。」
「あと何回寝たら」の説明は思いつかなかった。
考えるのをやめた。
いよいよ発売日、娘が小学校に行っている間にダウンロードしておいた。
「わぁ!ありがとう!」
娘はあっという間に40人以上の「トモダチ」を作った。
「たくさん作ったね」と画面を覗き込んだ。
全員、同じ顔だった。
髪型も服装もバラバラなのに、顔のパーツだけが完全に一致している。
もしかして、娘にとってこの世界の住人は、みんな「じゃがいも」なのか。
それから数日後。
私はいつものように、小学校まで娘を迎えに行った。
手を繋いで歩いていると、同級生の女子三人に通せんぼされた。
雨が傘に当たる音がやけに大きく聞こえる。
「すーちゃんの傘かわいい!!」
「すーちゃんってかわいいよね!」
「すーちゃんママのネイルもかわいい!」
魔法少女のステッキから放たれる。
無数のハート攻撃。
ま、眩しすぎる。
魔法少女のステッキから放たれたハートが、40歳の私の足元にまで降ってきた。
私も何か言わねばと「みんなも夏休みになったらネイルするの?」と聞いたら、「あ、私はつけ爪派」と切り返された。
固まった。
幼稚園の頃から知っている少女たちは、いつの間にか女の子になっていた。
娘に目をやると、相変わらず無表情で固まっていた。
彼女たちは満足したのか、「すーちゃんバイバーイ」と言って立ち去った。
娘はその後ろ姿を見ることもなく、また歩き出した。
その帰り道、娘は一度も彼女たちの名前を口にしなかった。
マンションのエントランス手前で、娘は傘を閉じた。
トントントンと傘の水滴を丁寧に落としてから、ドアを開けた。
家のドアが閉まった途端、ランドセルを放り投げた。
ポロシャツもスカートも靴下も、玄関からデスクまで一直線に床に並ぶ。
私は娘に、ぶかぶかのワンピースを頭からスポッと被せた。
娘はダイニングの椅子を引きずって私のパソコンデスクに自分の居場所を作る。MacBookの横でノートを広げる。
私はランドセルを拾い、中を見た。折り紙で折られたネズミが入っていた。
ノートを覗き込む。
娘が書く絵には人間は登場しない。
キツネもいれば、オオカミもいる。ウサギもいる。
髪型も、服も、名前もみんな違う。
ただの平面の絵なのに、不思議と性格が見えてくる。
節目がちな目をしているからといって、おとなしい子とは限らない。
胸元にはドクロ、耳にはピアス。
それだけでいたずら好きに見えてしまう私も、たいがい単純だ。
人間より、こっちの方がよほど複雑だ。
娘は絵を描きながら、ずっと喋っている。
絵本の中のお話だったり、YouTubeで見たお話だったり。
それを娘なりにアレンジして、鉛筆を動かすたびに物語が変わっていく。
描き終えると、「ママー!聞いてくださいね」と私の肩を叩く。
コマ割り漫画のように細かく描かれた絵には、セリフがほとんどない。
まだひらがなが全部は書けないからだ。
娘は鉛筆で一コマずつ指しながら、登場人物のセリフを聞かせてくれる。
「この子の名前はなんていうの?」
「リルだよ」
「じゃあこの子は?ネコ?」
「違う!いぬすけだよ」
耳だけで動物を判別するのは難しい。
毎日毎日、繰り返されるこのお話しは私たちの日常だ。
夜になってもまた娘が「聞いてくださいね」とお話を始めた。
私は耳を傾けながら、夫の夕食を作っていた。
「へー、そうなんだね。」
そう返事をした途端、夫が吹き出した。
「ちょっと返事、被せすぎじゃない?」
私はもう、この話を何十回と聞いている。
ちょっとは褒めてくれてもいいんだよ?
娘が「聞いてくださいね」と肩を叩くのは、いつも私だ。
娘は夫の夕食を横からつまみ食いしようとしてご飯を床に落とした。
「3秒ルール発動!」
いやいや、発動させんでくれ。
誰が教えたんだ。
私は、落ちていた折り紙のネズミを拾い、ネズミの耳に爪を立て、丁寧に折り目をつけた。
「ねぇ、すみれ。今日はお友達と遊んだ?」
「わからない。」
お母さんはね、今日AIとお話ししてたよ。

