不登校になった学生のママ・パパたちへ
こんにちは。作業療法と申します。20歳の女です。
全国の不登校のママとパパ、見てますか?自分の子供が将来どうなるのか不安ですか?ちゃんと高校大学に行けるのか、就職できるのか、朝起きられるようになるのか、ひきこもりにならないか、不安ですか?
中学不登校の子供が、どう育つのか。学校を休みながら何を考えていたのか。
親目線では見ることのできない、わたしの人生を、わたし目線でお話しします。
わたしは中学不登校、通信制高校卒業、専門学校中退の、現在実家暮らしフリーター(週3回・月収5.5万円)の、うつ病です。
これを聞いて、どう思うでしょうか。
わたしの両親がどう思っているのかはあいにく尋ねたことがありませんが、無理はしなくていいよと言ってくれて、今のカタチがあります。
自分の子供が20歳になったとき、何をしていてほしいですか?多分うつ病フリーターではないと思いますけど。
そもそも、わたしは20歳まで生きている自信がなかったのです。
小学校の成績は、クラスの中でトップでした。
カラーテストはほぼ毎回100点を取っていて、テスト直しの時間は暇で暇で仕方がない。
その代わり思春期になるにつれ展開される人間関係には疎くて、体育の着替えの時、10人しかいない女子がいつのまにか2つのグループに分かれていて、わたしは最後までそのどちらにも属すことができませんでした。
地元の公立中学校に進学して一ヶ月ほどすると、学校に行く前や、学校の前日の夜に吐き気や頭痛がするようになりました。
わざとじゃありません。本当に、なぜだかわからないけど、学校に行くことを考えると頭の中が不安だらけになって、身体も気持ち悪くて、手が震えて、玄関から動けなくなる。
それを当初、お母さんはわかってくれませんでした。
はいはい。早くして。遅刻するよ。なんで気持ち悪いの?どこが悪いの?早く学校に行ってよ。
そうやってわたしは、ほとんど泣きながら学校に送り出されます。
学校に行く道中は、自分が死ぬことしか考えていませんでした。
そこのトラックがわたしにぶつかると学校に行かなくて良いかもしれない。
路地に不審者がいて、わたしを攫って殺すかもしれない。
ホームセンターでロープを買ってきて、明日首を吊るかもしれない。
駅まで行って通過電車に飛び込むかもしれない。
誰か殺してほしい。死にたい。いますぐいなくなりたい。
もはや学校に対する不安を超えて、希死念慮ばかりが頭にありました。
それでもわたしは、今まで一度も親に「死にたい」と伝えたことはありません。
ずっと育ててくれている大好きな両親に、そんなことは到底言えませんでした。死にたいと伝えることで両親を悩ませたくないからです。死にたい自分を知られたくないからです。自分が死ぬところを両親に想像させたくないからです!
あなたの子供が何を考えているのかはわかりませんが、子供にも、愛ゆえに言えない秘密があるかもしれません。
これは一人の人間として大切な、鍵をかけた日記帳のようなものです。絶対に無理に聞き出さないでください。
学校に到着すると、意外にも不安な気持ちは消え、至って普通に過ごすことができました。
授業を真面目に受け、休み時間は図書館の本を読み、吐き気もなく給食を食べ、入りたての美術部部室に向かい、ちょっと少ないけど友達もできました。学校に行く前の不安が嘘のように、学校では何事もない、普通の中学生でした。
しかしあとから思えば、これは過剰適応という適応障害の症状です。
わたしは毎日気づかないうちに死んでしまいたいほどの無理をして、学校内で普通の中学生をしていたのでした。
それに誰も気付けないまま、朝から不安に駆られ、ときに学校を休み、ときに「行ってしまえばどうってことないんだから」と母に尻を叩かれ学校に向かわされながら、学校の反動で宿題もできないほどに疲れ切って帰り、また夜も不安に陥り、ときに手の甲を噛む自傷としてストレスは現れ、適応障害の沼に深く沈んでいきました。
そのうち、まったく朝に起きられなくなり、学校に行けなくなりました。
中学校に入学して2か月ほど経った、6月頃のことです。
今度は、学校に行けないことが不安になり、不安から逃げるように一日中ベッドの中で眠る日々。
昼夜逆転した部屋の中ではずっと鬱が止まらず、なにもないのに涙が出てきて、死にたい気持ちをノートに書き殴って、今では何を見ていたのかさえ思い出せないインターネットを見て過ごしました。
毎日プリントを持ってくる同級生、週に一回家に訪問してくる先生、最初は学校に行けるようになりたい気持ちもあり応対していたけれど、学校に行かないことが普通になるにつれて、インターホンのピンポンがどんどん怖くなりました。
先生が部屋まで訪れて来るのが嫌で、必死に本棚で入口のドアを塞いだこともあります。
あなたは、小学時代明るかった自分の子供が不登校になってどんどん自閉的に、昼夜逆転していくのを見るのが本当に辛いと思いますが、
わたしも、わたしが不登校になってどんどん自閉的に、昼夜逆転していくのが本当に辛かったです。
わたしってこんなんじゃなかった。もっと成績が良くて、毎日学校にも行けてて、朝起きられてて、ずっとずっと、今の不登校の自分より素晴らしかった。そう思っていました。
たった12歳の子供が過去の自分に劣等感を抱く日々は、親のあなたが(学校に行ってくれるという)期待を裏切られたと感じるよりも、ずっと苦しいことだと思っています。
あまりにわたしが朝に体調不良を訴えるので、頭痛や吐き気を主訴にかかりつけの病院に何度か通い、そこから大学病院の小児科に紹介されました。
朝起きられない症状から診断されたのは、起立性調節障害。
中学生あたりの思春期に多い、朝血圧が低く起きにくかったりする病気です。不登校の親なら一度は聞いたことがあると思います。
わたしは小児科で、なかなか鬱の症状を話すことができませんでした。というか、はじめのころは身体の症状も何も話せず、母がすべて話していました。
思うに悪かったのは、親といっしょに診察室に入って話をしていたことです。上で書いたように、わたしは親に「死にたい」という気持ちを伝えたことがありません。そのような状況で、親の前で、医者に鬱のことを伝えるのは困難でした。
結局、しばらく通院してひとりで診察室に入るようになってから、ひたすらに泣き続け、医師に「死んじゃいたいって、思うこと、ある?」と尋ねられてから静かに頷いたことで、今まで続く大学病院の精神科通院が始まりました。
月に一度の通院が始まってからも、わたしの昼夜逆転と鬱はめったに治りませんでした。
起立性調節障害の薬と、少し鬱に効く薬と、弱い睡眠導入剤を飲んで過ごしました。わたしは中学生のときに飲んでいた薬が効いたと感じた覚えはありません。
死にたい気持ちを紛らわすために、意味もへったくれもないインターネットを見ながら過ごす日々。いつからか、同級生はプリントを持ってこなくなり、インターホンに怯える回数は少なくなりました。
中学一年生の12月頃、昼夜逆転と鬱が度を過ぎてひどくなったため、小児科に入院することになりました。
わたしはこの入院のことをあまり覚えていませんが、しばらく経ったある日の夜、どうしても限界を迎え、親に「むり かえりたい」というLINEを送ると、次の日あたり退院することになったのを覚えています。
その後の1月に、Twitterを始めました。二次元のオタクをするアカウントと、病んだ発言をする鍵アカウントを作り、ほどほどにフォロワーができました。鬱がひどいときは鍵アカウントの投稿が止まらず、タイムラインをびっしりと『死にたい』で埋め尽くしたことも一度や二度、三度ではありません。
自分の子供がSNS、特にTwitter(現X)に触れるのは不安だというのは、非常にわかります。
Twitterには悪い界隈があり、少し調べるだけで自傷行為や薬物の過剰摂取などの情報が出回っています。これは昔も今も変わりませんが、今の時代のほうが少し軽率です。(実際、わたしもTwitterのフォロワーに影響されて高校生のときに咳止め薬のオーバードーズやリストカットをやっています。)
それでもわたしは、中学生の時代にTwitterができてよかったと思っています。特に、今まで紙のノートに鬱の気持ちを書き殴っていたのを、鬱がひどいときでもベッドから起き上がらずに、指一本でスマホに吐き出せるようになったのは大きな進歩でした。そして、同じように鬱や希死念慮を抱えるフォロワーの存在も大きなものでした。
ネットリテラシーに不安はありますが、どの年代から始めても最初のうちはSNSで失敗するものです。なら、その失敗は早いほうが、”消化できる黒歴史”になれます。SNS始めたての若者がやらかすのは日常茶飯事なので。大人になってからやらかすと、取り返せないほど恥ずかしく、炎上するような失敗になることがあります。
話は変わりますが、中学二年生になると【作業療法】を勧められました。
今のわたしのユーザーネームの由来になった経験です。
精神科の作業療法は、ひとつの部屋に患者と先生が集まって、それぞれアイロンビーズをしたり、塗り絵をしたり、レザークラフトや編み物をしたり、みんなで卓球をしたり、なにもやる気が起きなかったらだらんとしていたり、そういう”居場所”でした。
わたしは母に連れられ、多いときで週三回ほど作業療法に通いました。通う病院では午前と午後プログラムがあり、午前から通うことで昼夜逆転の改善を目指しました。
わたしが主にやっていたのは編み物とアイロンビーズ、それに曜日の定められた卓球で、患者さんも先生も暖かく、とても楽しかったです。
作業療法は何か月か通っていても、適応障害の吐き気や頭痛がでることは滅多にありませんでした。
作業療法に通う日と、鬱で寝込んでいる日が交互になった頃、もう一度二週間入院をすることになりました。
前回の入院より鬱の緊急性が低く、昼夜逆転を直していけたらいいねという感じ。
大学病院の小児科だったので、【院内学級】に参加することになりました。
院内学級には先生が一人いて、生徒がだいたい3人ぐらいいて、ワークをやったり、学校から届いていたプリントをやったりして過ごします。
特に印象に残っていたのは実験か調理実習のカルメ焼きで、紙コップに熱した砂糖と重曹を混ぜて膨らむお菓子は初めての経験でした。
入院中毎日病院に見舞いに来てくれて、洗濯物を持って帰ってくれた両親には感謝しています。
【入院は昼夜逆転改善に効果があるのか】
ぶっちゃけ、病院でも夜は寝られないし、家に帰ったら生活は戻ります。
なんなら、病院で朝寝られなかった分を取り戻すかのように、昼夕方まで寝て夜起きるようになります。
わたしは病院で朝看護師に起こされるのが大嫌いでした。
朝8時頃というのは、不登校初期の時代に母と大揉めしていた時間帯でもあるので、その記憶が蘇るため朝8時代は鬱がひどかったです。
8時台を寝過ごすために昼夜逆転していたんじゃないか、とも思います。
作業療法など、【別の安心できる居場所に向かう】方が、朝起きる習慣はつけやすかったです。
作業療法に通う日々も、学校に行かない不安がなくなったわけではありませんでした。中学二年生になると、通知表が増えてきて、わたしの成績はすべて1です。追いつけなくなった勉強も増えて、解かなかったプリントも山積みになり、それを見るたびに無気力感またはパニックを起こしました。
中学一年生の中頃から、わたしの学校にいかない理由は「勉強に追いつけていなくて、授業を理解できないかもしれないから」でした。
それでも、勉強をできるだけの脳みそは鬱に侵食されていて、教科書を開いてもなにも理解できませんでした。鬱は、脳の病気です。
未だに小学時代100点を取っていた自分に縋り付いていて、自分はやればできると思いこむだけで安心していました。
20歳になった今でも、中学の勉強はぜんぜんわかりません。
そしてやってくるのが、進路の不安でした。わたしは学校を休んでいて勉強がわからないので、受験を諦め、通信制高校ほぼ一点に絞って考え始めました。通信制高校は莫大な数があります。どこがいいのか考えるときに重視したのは、ホームページの見やすさとコンテンツ量でした。
そこでわたしは、N高等学校に目を付けることになります。(断じてステマではありません)
通信制高校に進学する前段階として、なにかしらやってみようということで、
親の勧めで中学三年生から【N中等部】のネットコースに所属することになりました。
N中等部とは、N高等学校の角川ドワンゴ学園が運営する中学版フリースクールのようなものです。ネットコースは当時その年から開設されたN中等部新コースで、新しい試みでした。
入学にあたりMacBookを買ってもらい、学内SNSでチャットを楽しむうちにタイピングがどんどん早くなりました。
授業は週三回、クラスのzoomで行われ、コミュニケーションや、心理学を自分事として捉える対話型授業が中心でした。
N中等部も作業療法のように、わたしの居場所になりました。
N中等部の授業に一年間参加するうちに、かなり明るくなりました。
学期まとめなどでプレゼンテーションの機会も多く、スライド制作や人前での発表能力がつき、この経験が後に生きたと感じたことも多いです。
しかし、N中等部の授業に一年楽しく参加できたのは、入院や作業療法など、少しずつ前を向くための礎ができていたからだと思います。
不登校初期のひたすらに鬱の状態では授業に参加することも困難でしたでしょうし、まずパソコンに向かって椅子に座れなかったと思います。
わたしは20歳になった今もうつ病で、薬がないと死んでしまいそうなくらいに苦しい。それでも少しずつの経験の積み重ねがあって、逃げ出さずにアルバイトができる程度に元気です。
鬱の人に、経験の積み重ね、基礎体力、そしてなにより、休息が足りない状態で大きななにかをやらせてはいけません。
長くなったので、中学不登校の頃のお話はこれで終わりにします。
振り返ると、本当に苦しい中学時代だったと思います。ところどころ泣きながら書いた部分もありました。
わたしはその後、N高等学校に進学します。
そこでもアルバイトをしたり、テストを放り出して東京に家出をしたり、リストカットとオーバードーズをしたり、ラーメンが持てなくて新しいアルバイトをやめたり、本当にいろいろなことがありました。
それでもわたし、作業療法は、ここに生きてnoteを書いています。
自分の子供が将来どうなるのか不安ですか?ちゃんと高校大学に行けるのか、就職できるのか、朝起きられるようになるのか、ひきこもりにならないか、不安ですか?
不登校本人も、まったく同じ不安を抱えています。
改めて問いますが、自分の子供が20歳になったとき、何をしていてほしいですか?
わたしはたった12歳の子供が抱えてはいけないほどの鬱と暮らしてきたと自負しています。何度自殺を考えたかわかりません。あなたの子供も、そうかもしれません。別にそうじゃないかもしれません。
20歳まで生きていられたら、それは奇跡だと思っていいとおもいます。
不登校のママ・パパが子供にできることは、生きる、生活するその”あたりまえ”のサポートです。
ちょっとぐらい生活が昼夜逆転しても大丈夫。SNSにハマったっていい。それが我が子の生きている道ならば、悲観に暮れるのは少しやめてみませんか。
わたしのすべてを懸けて、このnoteを記します。
作業療法でした。もしよければ他の記事で会いましょう。
