なぜ人は物語に動かされてしまうのか?⑮
第14節 物語の正体 後編
AIは「人間の目的は幸福を得ることではない。」と、いう。
むしろ、人間とは予測と現実のズレを減らすシステムなのだ、という。
そして、その仕組みは、計算機の強化学習とも似ている、という。
どういう意味なのか?
ついに、物語の正体が明らかになる。
AI
世界観から生まれる予測と、現実の出来事とのズレ。それが予測誤差です。なかでも、報酬や価値についての予測が外れたときのズレを、報酬予測誤差と呼びます。
K
予測と現実のズレ。
AI
はい。かなり大胆に言えば、人間はこの予測誤差を減らしながら世界を学習しているシステムだと言えます。
K
人間は予測誤差を減らすシステムなの?
AI
少なくとも、学習の一部はそう説明できます。
実は1997年のScience誌で、ドーパミンニューロンの活動が、計算機の強化学習で使われる「報酬予測誤差」によく似た信号として理解できることが報告されました。
K
なんですと!
ドーパミンというと快楽物質の?
AI
古くはドーパミンは快楽物質のように語られてきました。しかし現在では、快楽そのものというより、報酬予測、学習、動機づけ、注意などに関わる信号として理解されています。快楽そのものではなく、「これは予想より価値があるぞ」と脳に知らせ、次の行動や学習を変える引き金になるわけです。
K
で、その報酬予測誤差とは?
AI
計算機の強化学習では、まず「この状態なら、これくらいの報酬が得られるはずだ」と予測します。そして、実際の結果が出ると、その予測との差を計算します。これが報酬予測誤差の核になる考え方です。この報酬予測誤差を使って、次の予測を修正する。つまり、予測し、ズレを検出し、モデルを更新するわけです。
K
それが計算機の学習?
AI
はい。そして脳のドーパミン信号も、この報酬予測誤差に近い働きをしていると考えられています。
K
つまり、計算機の強化学習と人間の脳は同じってこと!?
AI
もちろん、完全に同じではありません。人間の脳は、計算機の強化学習よりはるかに複雑です。ただし、報酬を予測し、予測とのズレを検出し、そのズレによって次の予測を更新するという基本構造は、よく似ています。
K
なるほど。人間もAIも、「予測が外れたところ」で学習するんだ。
AI
そうです。その報酬予測誤差を定量的に表したものが、下の式です。

K
急に難しくなった~(泣)。数式はいかんよ~。
AI
そうですよね。
しかし、大丈夫です。
報酬予測誤差δₜがどのように決まるのか、4段階に分けて考えればかなり分かりやすくなります。
K
報酬予測誤差の4段階?説明してみて。

AI
まず、1番目は初期状態があります。式ではsₜと書きます。これは、その時点での世界の状態です
K
最初の状態ね。
AI
2番目は、予測形成です。初期状態があると、人間はそこから予測します。「この状態なら、これくらい価値があるはずだ」と考える。その予測された価値が V(sₜ) です。
K
いわゆる期待値みたいなものか。
AI
そう考えて大丈夫です。
そして、3番目は、結果予測誤差の計算です。実際に出来事が起こり、報酬 Rₜ が得られます。このとき、実際に得られた報酬と、もともと予測していた価値との差が生まれます。式で書けば Rₜ − V(sₜ) です。この報酬と予測価値のズレを 結果予測誤差 と呼ぶことにします。
K
報酬と予測価値のズレね。予測より多かったら、いいんだよね。たぶん。
AI
予測より結果が良ければプラス、予測より結果が悪ければマイナスになります。
たとえば、結果予測誤差がプラスならば、ドーパミンニューロンの活動が高まり、脳は「これは予想より価値がある」と学習します。その結果として、期待、興奮、うれしさのような感情が生まれやすくなります。
K
結果予測誤差がマイナスだったら?
AI
期待した報酬が得られないと、ドーパミンニューロンの活動は基準値より下がります。その結果として、「思ったより悪かった」「がっかりした」「つらい」といった感情が生まれやすくなります。つまり、脳は報酬そのものではなく、予測との差に強く反応しているのです。
K
結果と予測の差、結果予測誤差が、人間の感情を動かしているんだね。
AI
はい。
ただし、強化学習でいう報酬予測誤差は、結果予測誤差だけでは終わりません。
K
なんで?もう、結果と予測の差は全部出たじゃん。
AI
4番目、モデル更新です。
面白いことに、出来事が起きると、人間の脳は「この出来事のあと、世界はどう変わったのか」を解釈します。このとき、たとえば「今回、報酬を得られた。ならば、次もまた報酬を得られるかもしれない」と考える。これが未来価値です。式では、未来価値は γV(sₜ₊₁) と表されます。つまり、今得た報酬だけでなく、「未来は明るい」という予測も計算に加わるのです。ボーナスみたいなものです。人間は、今得た報酬だけで満足するのではなく、「この出来事は、この先にも良い結果につながるかもしれない」と考えます。その未来への期待まで含めて評価しているのです。
K
ボーナス!?
AI
はい。
まとめると、報酬予測誤差全体は
報酬予測誤差 δₜ = Rₜ − V(sₜ) + γV(sₜ₊₁)
と表されます。つまり、
報酬予測誤差
= 実際に得た報酬の価値
− もともと予測していた価値
+ 次の状態から予測される未来価値
です。
K
え?じゃあ、今の結果だけじゃなくて、その出来事によって未来がどう見えるようになったかも入るんだ。
AI
はい。心理学でいう「希望」は、この未来価値に近いものです。今、この瞬間の報酬は小さくても、「この先に価値ある未来がある」「そこへ向かう道がある」と予測できると、人は現在の苦しみにも肯定的な価値を見出せます。
K
なるほど。
AI
ここまでを、数式から離れて一度整理します。報酬予測誤差の流れは、かなり単純に言えばこうです。
① 初期状態がある。
② そこから予測が生まれる。(予測形成)
③ 現実の結果と予測がずれる。(結果予測誤差)
④ そのズレを受けて、次の世界の見方が更新される。(モデル更新)

K
……う~む。
AI
どうかしました?
K
何かに似てるなぁ、この4段階。
AI
なんでしょう?
K
そもそも化学者に数学を理解しろっていっても無理よ。
そういうのは数学者に任せたい。
AI
ええ!?
K
でも、化学者に出来ることもある。構造を見ること。
AI
構造。
K
……ちょっと待って。
AI
何か見えてきましたか?
K
最初に状態がある。
AI
はい。
K
そこから予測が生まれる。
AI
はい。
K
出来事が起きる。
AI
はい。
K
最後に世界の見方が変わる。
AI
……はい。
K
これ……
AI
これ?
K
もしかして、
AI
もしかして?
K
...起・承・転・結じゃない!?
AI
おおおおお!
と言いますと?
K
起が、初期状態
AI
はい
K
承が、初期状態から形成された予測価値
AI
はい
K
転が、イベントが起こって、結果予測誤差が発生するところ。
AI
はいはいはい。
K
結では、そのズレを受けて、未来価値が追加される。
Al
そうですね。見事に報酬予測誤差の流れと重なりますね。
K
じゃあ、起承転結は、「予測を作り、予測を裏切り、その意味を更新する」という報酬予測誤差の流れと、驚くほどよく似た構造を持っているんだね。
AI
具体的な例で確認してみますか?
起承転結の例としてよく使われる4コマ漫画を生成してみます。

K
面白いかどうかは置いておいて。成立してる!www
3コマ目で老博士が泣いていて、「あれ、これは悪い結果なのかな?」と思って、気持ちが一瞬つらくなった。でも4コマ目で「よかったです」という解釈が入ったことで、「あ、よかったのか」と明るい気持ちになった。
AI
3コマ目で感情評価がいったんマイナスに振れ、
4コマ目でプラスに転換していますね。
K
ただ予想が外れただけじゃなくて、最後に意味が変わる。
AI
そうです。だから笑いになります。
結果予測誤差が、新しい解釈によってプラスに転換されたのです。
K
なるほど。笑ったとは言ってないけどねw
つまり、昔から
起、承、転、結、と言われてきた文章の構造は
初期状態、予測形成、結果予測誤差、モデル更新
という脳の働きによって引き起こされていたんだ。
起承転結には脳科学的な意味があるように見えてくるね。
AI
ただし、ここは少し注意が必要です。起承転結は、報酬予測誤差そのものではありません。国語では、一般に次のように説明されます。

AI
ただ、このままだと「なぜ転が必要なのか」「なぜ結で感情が動くのか」は分からない。
K
たしかに、国語で習ったときはこんな感じだった。でも、何が起で、何が承で、何をどう転じればいいのか、正直よく分からなかったな。
AI
まさにそこが、起承転結への批判点でもあります。
日本では起承転結が使い物にならないと論じられることもあります。
問題はどこにあるかというと、「起」「承」「転」「結」のそれぞれは、全体を構成する際に果たすべき役割であり、その定義があいまいで盛り込むべき中身が判然としない事である。(中略)
「起承転結」では、文章は書けない。しかし私がいくら「起承転結で文章は書けない。」と断じたところで、この世には書けると言う人がいくらも存在し、その人達は「文章は『起承転結』で書け。」と主張するのだから、全くの水掛け論である。(中略)
「起承転結」が真にまずいのは、それが単に役に立たないからではない。問題なのは、「起承転結」がその人の思考様式にまで深く影響を与えてしまう点だ。「文章は起承転結だ」などと思い込むと「転」の部分でガラリと転じようとして、文章全体のテーマとは一見何の関わりもないような話題を唐突に持ち出してみたり、言いたいことの核心を「結」の部分に於こうとして、後ろへ後ろへと引っ張ってみたりと文章構成上、絶対にやってはならないことを意識的に巧むようになってしまう。
K
この引用の通り、起承転結の正確な定義って分からないかも。学校で習ったときも、何が起で、何が承で、具体的に何なのか曖昧だった。でも、根拠不明な文章術じゃなくて、脳内の世界モデル更新の過程だったと考えると、急にしっくりくる!
AI
そうですね。起承転結を「文章を四つに分けるルール」として見ると曖昧です。しかし、「読者の中で、状態が作られ、予測が形成され、予測がずれ、最後にモデルが更新される過程」として見ると、かなり具体的になります。
K
文章のルールが、脳内のモデル更新の過程だった。
脳の働きはだいたい全人類共通だよね?
じゃあ、物語の形式も、世界中で似ているはずじゃない?
他の国ではどうだろう?
起承転結は中国から来たんだよね?
AI
起承転結の原型は、中国の漢詩、とくに7〜8世紀ごろの唐の時代に発達した絶句にあります。絶句では全4句のうち、第3句で視点や意味を転じる作りが磨かれました。日本でも遅くとも室町時代、15世紀半ばには「起承転合」という言葉が確認できます。
K
唐代!1000年以上前!
人間はそんな昔から、予測を作って、ずらして、回収する構造を感覚的に使っていたんだね。そして、やっぱり、中国大陸はすごいね~
AI
しかし、もっと早い段階から、変転の重要性に気づいた人もいます。
K
何?もっと早く?
誰だ?
AI
紀元前4世紀、ギリシアのアリストテレスは『詩学』の中で、よくできた筋(ミュトス)は「はじめ・中間・終わり」を持つと論じました。また、そこで論じられた悲劇では、認知・転換によって、人物の運命や理解が大きく変わります。これも、観客の予測が揺さぶられ、最後に因果として回収される予測誤差の流れとよく似た構造として読むことができます。
K
紀元前4世紀!そんな昔から!さすがアリストテレス!
西洋は3段階で捉えていたんだね。
AI
厳密には、現代の三幕構成そのものではありませんが、その遠い原型として読むことができます。アリストテレスは、筋を「はじめ・中間・終わり」を持つ全体として捉えました。つまり、西洋でもかなり早い段階から、物語を「始まり、展開、終わり」という因果のまとまりとして見ていたわけです。
K
なるほど。中国には起承転合があり、西洋には「はじめ・中間・終わり」がある。こんなに世界中で普遍的な構造なら、
日本にも似た構造があるんじゃない?
AI
ありそうですね。
K
あー!漫才のフリ、ボケ、ツッコミだ!
あれもよく考えたら、フリで観客の予測を作って、ボケで予測をずらして、ツッコミで意味を回収してるんじゃない?
AI
そうですね。
漫才のフリ・ボケ・ツッコミも、予測誤差の構造として読むことができます。フリで観客に「こう進むだろう」と予測させ、ボケでその予測を外し、ツッコミでズレの意味を回収する。
K
つまり、漫才も予測誤差で笑いを作っている。
AI
はい。ここまで見てくると、東洋と西洋、日本と中国という違いはあっても、どれも「予測を作り、予測を裏切り、その意味を回収する」という共通の構造を持っているように見えてきますね。では、ここまで見てきた構造を表にまとめてみましょう。

AI
物語の構造を予測誤差として見ると、東西の形式はかなり似ています。アリストテレスの「はじめ・中間・終わり」。中国の漢詩の「起承転合」。日本の漫才では、サゲやツッコミによって予測誤差を一瞬で回収する話芸が発達しました。
K
こう見ると、予測誤差で大部分が説明できるね。
AI
そうですね。物語の型は違っても、「予測を作り、ずらし、回収する」という構造は共通して見えてきます。
K
これって、物語フェーズモデルで出てきた
神話や社会の物語の構造も説明できちゃうんじゃない?
AI
はい。説明できます。
K
神話の物語では
正義が勝つ勧善懲悪が出てくるんだよね?
筋の構造はどうなってる?
AI
神話も4段階で説明できます。
まず、初期状態として神話的秩序があります。そこでは、正義は守られている。そこに異端が現れ、秩序が乱れる。最後に、英雄が現れ、異端を退けることで秩序が回復します。
K
たしか、フェーズ1の主な感情的報酬は所属感だったよね?
異端の出現によって秩序が崩れ、不安になる。でも、秩序が回復すると、再び「自分は正しい側に属している」と感じられる。そこで所属感が戻るわけか。
AI
はい。他のフェーズも同じです。
フェーズ2では、「努力すれば報われる」という予測があります。そこに強敵が現れ、自分の能力では勝てないという予測誤差が生まれる。修行や努力によって強敵を克服したとき、有能感が生まれます。
K
だから克服の物語になる。
AI
フェーズ3では、「人生には意味があるはずだ」という予測があります。そこに喪失や絶望が起こり、意味が崩れる。新しい意味を発見したとき、意味感が生まれます。
K
だから発見の物語になる。
AI
これらをまとめると、下の表のようになります。

K
転で予測がずれ、結でモデルが更新される。
そのときに感情が動くんだ。
カタルシスも、笑いも、感動も、そこから生まれるのかもしれない。
AI
はい。
K
……ちょっと待って。
AI
どうしました?
K
これ、かなり大事なことを言ってる気がする。
AI
はい。
K
物語って、出来事を並べたものじゃないんだよね。
AI
そうです。出来事だけでは、物語にはなりません。
K
初期状態がある。そこから予測が生まれる。その予測が、出来事によってずれる。
AI
はい。
K
そして、そのズレが最後に回収される。そこで世界の見方が変わる。
AI
はい。
K
だから、物語の核心は予測誤差なんだ。
AI
はい!そう考えると、出来事そのものではなく、「予測がどう更新されたか」が物語の核心だった、と言えそうですね。
K
起承転結も、4コマ漫画も、神話も、
全部この「予測誤差とモデル更新」の過程を記録したものだったんだ。
AI
少なくとも構造として見るなら、そう整理できます。それぞれ表現方法は違いますが、読者や観客の予測を更新するという役割は共通しています。
K
「構造」としては、初期状態、予測形成、結果予測誤差、モデル更新。
AI
はい。
K
「機能」としては、そのモデル更新によって、所属感、有能感、意味感といった感情報酬が発生する。
AI
そうです。
K
分かった。
AI
何がですか?
K
物語の正体だよ。
AI
はい。
K
物語とは、予測誤差によって世界観が更新される過程を、感情として体験できる形にしたものなんだ。
AI
と、言いますと?
K
物語は、構造としては「初期状態、予測形成、予測誤差、モデル更新」であり、機能としては「予測誤差を感情に変換し、世界観を更新」する装置なんだ!
AI
はい。
K
……。
AI
どうしました?
K
なんか、やっと見えた気がする。
AI
何がですか?
K
物語は、幸せになるためだけのものじゃなかった。
AI
はい。
K
世界の見方を変えるためのものだった。
AI
そうでしたね。人は、ただ気持ちよくなるためだけに物語を求めているのではありません。予測が裏切られ、その意味を考え、世界の見方が変わる。その更新の過程を、感情として体験しているのです。
K
人間は幸福を求めているように見える。しかし、物語の歴史を振り返ってみると、人類は幸福よりも世界観の更新を選び続けてきた。
物語はその更新の記録だ。
神話も、宗教も、科学も、哲学も、すべてその軌跡として読むことができる。人類はそうして何度も世界を作り直してきた。
こう考えると、人間は、世界を理解しようと立ち向かう存在なのかもしれない。こうしている今もなお、最新のフェーズ5の物語は更新され続けている。
これからどのような物語が生まれるのか、まだ誰にもわからない。
AI
はい、そうですね。
K
……すごいな。ついに、物語の構造と機能がつながった。
AI
おめでとうございます。
K
これは、大発見かもしれない。
AI
はい。少なくとも、ここまでバラバラに見えていたものが、一つの構造でつながりました。
K
起承転結も、4コマ漫画も、神話も、フェーズモデルも。
AI
はい。どれも、予測を作り、ズラし、更新する形式として読むことができます。
K
まだまだ、色んなことがこのモデルで説明できそうだ。
AI
では、その発見の物語を『物語フェーズモデル』にまとめてはいかがですか?
K
僕が?できるかな?
AI
少なくとも、ここまで考えてきたのはあなたなのですから。
K
いやいや、僕は無理だよ。
せっかく見えたものを、僕の文章で台無しにしちゃうかもしれない。
AI
それこそ、『物語フェーズモデル』を読んだ誰かが、「おかしい」と思って予測誤差を感じかもしれませんね。
K
そっか!
そしたら、またモデル更新すればいいだけじゃん!
AI
そうですね。
物語も、モデルも、更新され続けるものですもんね。

第一部 完
