【第6話/全24話】 辞めるということ 「辞表」
転職するほどでもない。
でも、このままでもない。そんな人のために書いています。
フェデックスへの転職を決めたあと、 私は人生で初めて「辞表」というものを書くことになりました。
決めた、とは言っても、 書き始めるまでに、何日かかかりました。
机の前に座るたびに、手が止まる。 「本当にいいのか」という声が、 どこかから聞こえてくるような気がしました。 それは、誰かの声ではなく、 自分自身の声だったと思います。
書き方もよく分かりませんでした。
「一身上の都合により」
その一文を書きながら、 どこか違和感がありました。
自分勝手な理由で辞めます、 と書いているような気がしたからです。

そして、 辞表を出した瞬間に感じたのは、解放感でも、不安でもなく、 罪悪感でした。
入社してから、 多くの人に育ててもらいました。
もっと言えば、 入社前からです。
いわゆる青田買いのような形で、 学生の頃から声をかけてもらい、 会社に入ってからも、 先輩や上司に支えられてきました。
その人たちに対して、 申し訳ないという気持ちが強くありました。
ある朝、 直属の課長に辞表を出しました。
そのときの表情は、 いまでもはっきり覚えています。
驚きと、 そして戸惑い。
「何があったんだ?」
そんな気持ちが、 そのまま表情に出ていました。
「これから育ててやれると思ったのに」
そんな言葉もかけられました。

その言葉は、責めているわけではなかった。
むしろ、本心からの言葉だったと思います。
だからこそ、刺さりました。
辞表を受け取ってもらった後、 課長はしばらく黙っていました。
その沈黙が、どこか重かった。 私も何も言えなかった。
ただ、「お世話になりました」という言葉だけが、
やっと出てきたような記憶があります。
実は、 辞表を出す前日に、 一人だけ先輩に相談していました。
入社当初から 目をかけてくれていた人です。
少し難しい仕事でも任せてくれて、 成長を見守ってくれるような存在でした。
英語が堪能なその先輩は、 ちょうど海外勤務が決まっていて、 ビザの手続きが完了するのを待っていたタイミングでした。
彼はこう言いました。
「本当に残念だ…次は君をロサンゼルスに呼ぼうと思っていたのに」
その言葉には、 正直、心が揺れました。
実際、 その先輩はロサンゼルスの所長に 自分のことを紹介してくれていたりもしていたのです。
もしここに残れば、 海外でのキャリアも開けるかもしれない。
そう思ったからです。
「やっぱり残ろうか」
その気持ちが、 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、頭をよぎりました。
「ロスアンゼルス」

その響きは、当時の私にとって、 とても遠くて、とても眩しいものでした。 航空貨物の仕事をしながら、 毎日のように世界の地名を扱っていた。
でも、自分がその場所に立つことは、 まだ現実として想像できていなかった。
先輩の言葉は、その扉を少し開けてくれるような一言でした。
だからこそ、揺れた。
この会社に残ることへの迷いではなく、 あの先輩と一緒に仕事をしてみたかった、 という気持ちが、正直あったのだと思います。
それでも、 結局気持ちが変わることはありませんでした。
理由は、 一つだったと思います。
たとえこの会社で海外駐在できたとしても、 その先は想像できてしまう。
仕事の内容も、 キャリアの道筋も、 この会社の構造の中で進む以上、 ある程度は見えてしまう。
それが、 気持ちが揺れなかった理由でした。

見えてる未来より、 まだ見えていない未来の方へ。
自分の気持ちははっきりしていました。
辞表を出した後、 送別会を開いてもらいました。
同期や、 お世話になった先輩たちが来てくれました。
反応は、さまざまでした。
素直に喜んでくれる人。
「期待していたのに」と残念がる先輩や上司。
「いいなあ」と、 少しうらやましそうな顔をする同期。
それぞれの気持ちが、 その場の空気に混ざり合っていました。
あのときの感情を、 あえて順番にするならこうなります。
まず、罪悪感。
次に、覚悟。
そして、不安。
最後に、ほんの少しの解放感。
転職というのは、 新しい世界に進むことですが、 同時に、 これまでの関係を断つことでもあります。
その重さを、 私はあのとき初めて実感しました。
ただ、 辞表を出し切り、 自分の意思を伝えきったそのとき、
「やっと言えた」
という、 なんとも言えない解放感があったのも事実です。
初めて辞表を書き、 初めて自分の口で「辞めます」と言った。
そのことへの、 小さな達成感でした。
そして私は、 次の一歩を踏み出しました。
その先にあるものが何かは、 まだよく分かっていませんでしたが、 進むしかないと思っていました。
いよいよ一歩を踏み出しました。後には引けません。
この続きは第7話で。
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