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後悔したくないから許せるようになったの


「許す」
これが一番難しいらしいですね。

この話は東日本大震災を経験する前の
私の中の
許せていない人の話です。

それは
「母」でした。


    長い話です。

もう父は亡くなりました。
母は今も癌を患ってはいるものの、とても元気です。
父が生前の頃は、両親とも仲は良いほうで
子どもの私たち兄弟も各々家庭をもち、我が家は円満な家族になっています。

父は軽度の認知症と中度の心臓病を患い、後期は膀胱癌で緩和ケア。
そんな父の介護を、母は笑顔を絶やさずやっていました。

私達兄弟もそんな両親を中心にお正月GW、お盆と大人数で集まり、実家は大賑わいの大所帯になります。

でも母は昔、
よく父とケンカをしてました。

原因は知りませんが、とにかく毎度大きなケンカです。
暴力はないのですが、
母が「死ぬ」と言い出して包丁を持ち出すのです。

そして時に、
“線路"に座り込んだり
(当時、線路沿いに住んでいました)

幼い私達兄弟は、泣きながら止めます。
もうそれは、
数え切れない程でした。


母は子宮ガンになり
32歳で子宮全摘出と卵巣摘出
リンパ節も切除したようです。
そのせいなのか、何なのか
情緒不安定だったのかもしれません。

夫婦にしか分からない"何か"が
あったのかもしれません。

そう思えたのも
私が大人になった頃です。


当時の私は、
理由のわからない両親のケンカに漠然とした不安を抱いていました。

    いつか
    母がいなくなるかもしれない…


そんな
自分を不安がらせる母を、
感情むき出しの母を、
私は無意識に
嫌いになっていったのだと思います。

(そう思うと、私の作品『死んじゃったみんなにありがとう』で死を意識する出来事を7つと書きましたが、8つですね!しかもコレは断続的にずっとだったので、もう、私は、“いつも”死を意識させられてたという事ですね)


お酒もタバコもパチンコも
大好きな母です。
私はそんな母の姿は嫌いでした。


    母のようにはなりたくない


ずっと反面教師です。


父に原因があったのかもしれませんが、
私は
父が大好きでした。



幼い頃、よく考えていました。

私は5人兄弟の4番目です。
一番目は長男で初めての男子で可愛い。
二番目次男は父にそっくりで可愛い。
三番目の姉は初めての女子で可愛い。
五番目は末っ子で病気直後に離れたから人一倍可愛い。

四番目の私は…。


姉の名前は  ''◯◯美"
妹の名前は  "美◯"

二人とも「美しい」がつくのに、
私の名前には“美”はつきません。
それどころか、
両親に私の名前の由来を聞いたら

    「何となく」
    「4番目だから適当に」

笑いながらそう言われました。

だから、
自分の名前が大嫌いでした。


長男の兄の誕生日。
「おめでとうの電話をしたの。」と笑顔の母。
そんな母は、
私の誕生日は覚えていません。

私の誕生日は7月15日ですが、
本当は16日に生まれたそうです。

    「どうして15日にしたの?」

幼い頃に聞きました。

    「4番目で分からなくなるから」
    「分かりやすい日に」

笑いながらそう言われました。
分かりやすい日にと言っていたくせに、私の誕生日に電話なんてきやしません。


私は兄弟の中でも優秀でした。
    クラスの副委員長になったり
    生徒会副会長になったり
    成績も良い方でした。

父の話を聞くのが大好きで
とにかく素直でした。

冷静に考えると
私は両親の気を引きたかったのだと、
だから
良い子だったのかと…

小学生の頃、
学校の帰り道
無性に悲しくて涙するも、
家に帰り着く頃は
何事もなかったかのように、
家では笑顔で振る舞っていました。

  「愛」が欲しかったのでしょうか。



17歳で夫と出会い、彼は
私の名前が大好きだと言ってくれて、
そのおかげさまで
幼い頃からの大きなシコリはだんだん小さくなっていきました。

彼は
真っ直ぐの愛情を注いでくれました。

とっても幸せです。

でも、幸せなはずなのに
何故か不安を抱えていた20代。

けれどその見えない私の不安を
彼はしっかりと受け止めてくれました。

そして
その頃からずっと変わらず、真っ直ぐの大きな愛で私を包んでくれています。

彼のおかげで
不安定な見えない不安も小さくなり、
両親からの愛情よりも
もっと大きな愛情で包まれた私は、
しっかりと立てるようになりました。


そして
いろいろな学びから
『名前は生まれる前から自分で決めてくる』
『両親も自分で決めて生まれてくる』
それから、
『今まで経験した事は決して無駄ではない』

そう理解してからは
だいぶ穏やかな心でいられるのです。

ですが、
まだ根っこが残っているような。


ただ、自分でも不思議なのは、そのシコリのような根っこを感じているのに、ちゃんと親のことなど親身になって行動し、母との連絡も密にとっているのです。

嫌いと認識している母に寄り添える自分が、時に、“すごいなぁ"と客観視してしまいます。

でも、それが出来るようになったのは
やっぱり
東日本大震災の後からです。

そう!
後悔を残したくないからです!



夫は言ってくれます。
    私の両親はすごいと。
    母はすごいと。
    子供5人を立派に、
          愛情深く育てあげたと。
なにより、
私をこのように育ててくれた事に感謝すると。


私は夫のおかげさまで、穏やかな心を取り戻せているのだといつも痛感します。
感謝ですね!


夫は、私の
    一番の親友であり
    同志であり
    親、兄弟でもあり
    子供でもあり、
    師であり…
"導きの人"です。



今世での私の学びは
「愛」と「許し」なのでしょうか。

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