見出し画像

【エッセイ#35】できゃぁすまぁが。

「できゃぁすまぁが」
子どもの頃に父によくそう言われていた。

重たい物を持ち上げるとき、カップラーメンを作ってみようとしたとき、公園の遊具の滑り棒に挑戦したとき、横にいた父にいつも言われる。
それが、「できゃぁすまぁが」
広島弁で、「できないだろうが」という意味になる。

「できゃぁすまぁが」
まるでそれは刷り込みのように繰り返し言われ、耳に残ってやがて脳に刻まれる。
「僕にはできない」
いつしかそれは自分を過小評価することに繋がっていき、自分の価値を低く見積もるようになる。

だから大人に近付くにつれ、父の見えるところで新しいことに挑戦し、やればできるということを見せつけようとしていた。
それが僕なりの反抗期。「できゃぁすまぁが」からの脱却。自分の価値を低く見積らないための、精一杯の抵抗。

それでも言われる、「できゃぁすまぁが」
そのうち20歳になった僕に対しても、20年間分の「できゃぁすまぁが」がすっかり自分にも刷り込まれた父は、未だに繰り返す。
そんな父は、息子の就職先でさえも自分が決めようとする。
「自分で探せまぁが。できゃぁすまぁが」
うるせぇ。
このままだと父に人生を決められてしまいそうで、いつしか父を避けるようになってしまった。自分の人生を守りたかった。

その状態を長らく続けた後に、父と大喧嘩をすることになる。
「子どもの人生を親が決めるな」
父の目を見てそう言ったときの、父の寂しそうな目が忘れられない。
きっとあの時にようやく、僕は親離れをし、父は子離れができたのかもしれない。

今になると、「できゃぁすまぁが」はただ心配なだけで言っていた言葉だと、それが心に沁みてわかる。
心配がいつしか怪物のように大きく膨れ上がり、無難に安定して慎ましく生きて欲しいと願った故の言葉だったと。
決して子どもの能力や挑戦を否定しようとしたのではなく、心配が変化した怪物に捉えられていただけだったのかもしれない。

「親の心子知らず」とは、よく言ったものだ。

そんな父が早くに亡くなってもう数年。襲いかかってくる心配という名の怪物と戦い続けて、その心配を否定されてからはどのような気持ちだったのだろう。
大仕事を終えた達成感か、もしくは大仕事を失った喪失感か。

散々守ってもらっておきながら身勝手に避け続けた息子は、未だに脳に深く刻み込まれたままの「できゃぁすまぁが」に抗い続けている。
そして自分の子どもには、繰り返し言っている。
「天才だ」と。

自分が散々言われてきた言葉とはあえて真逆の「天才」という言葉を、自分の子どもの脳に刻み込むように伝え続ける。
しかしそう伝えることが正解なのかどうかは分からず、もしかすると何年も後に子どもから、
「根拠もなく天才と言うな」
と言われてしまうのかもしれない。

しかし「できゃぁすまぁが」は、少なくとも僕までで止めておきたいと思っている。
それも、ある意味未だに続く父への反抗なのだろう。

いいなと思ったら応援しよう!

コリ|メガネ屋エッセイスト 路上にチップもらう用のシルクハットを置いてパントマイムするの、実はやってみたかったんです