イードムバーラクSALE!で、日本の宗教観を考えてしまった話
久しぶりにどうしてもナシレマッが食べたくなり、近くのマレーシアかインドネシアレストランを探して、ふと気づいた。
あ、イードじゃん、と。
今日くらいなら、店員さんに
**"Selamat Hari Raya"**
と言ってみてもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、私はふと、妙なことを思った。
もしかして日本でイスラム教への距離感をなくすには、
**「イードムバーラクSALE!」**
とかやれば早いのではないか、と。
我ながら嫌な気付きだった。
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でも、日本という国は、宗教を"イベント化"することで、異文化を飲み込んできた国でもある。
クリスマス。
ハロウィーン。
イースター。
気づけば全部、宗教というより季節フェアだ。
そしてそれは、輸入宗教だけではない。
初詣。お盆。節分。七五三。雛人形。鯉のぼり。七夕。
海外から見たら、5月に巨大な魚を空へ泳がせ、短冊に願いを書き、年始には何千万人も神社へ向かう国なんて、十分に異様だと思う。
でも私たちは、それをあまり「宗教」とは呼ばない。
「文化」や「季節行事」として、生活に自然に溶かしている。
それ自体は悪いことではないと思う。
むしろ、日本の
「とりあえず卓を囲もう」
「まずは祭りにしてしまおう」
という感覚は、ある種の平和さでもある。
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ただ、その一方で、私はずっとモヤモヤしていた。
日本では、"イベント化に成功した宗教"は親しまれる。
でも、"いま現在も誰かが本気で信じている宗教"には、急に距離を取る。
クリスマスマーケットは「かわいい」。
教会式結婚式は「オシャレ」。
でもヒジャブや礼拝になると、
急に「宗教色が強い」と言われ始める。
この温度差はなんなんだろう、と。
ここ数年、身近な場所でも、異文化や宗教を巡る摩擦が、ニュースやSNSで繰り返し話題になる。
もちろん、公共空間の使い方や地域ルールの調整は必要だと思う。
でも、その議論の中で時々見える、
「宗教を持つ人たち」そのものを、どこか異物のように扱う空気に、私は少し息苦しくなる。
なぜなら、日本人だって、本当はかなり宗教的に生きているからだ。
受験前には神社へ行く。
厄年を気にする。
子どもが生まれればお宮参りをする。
亡くなれば墓に手を合わせる。
なのに、「自分は無宗教です」と言いながら、他人の祈りだけを"特殊なもの"として見る。
その感覚に、私は時々、うまく名前を付けられない違和感を覚える。
そこには、私自身が経験してきたことが、きっと関係している。
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2017年、ワーホリでロンドンにいた。
その年、4度のテロが立て続けに起きた。
バラ・マーケットは月に1度は必ず行く、お気に入りの場所だった。
フィンズベリーパークは、毎日の通勤ルートだった。
そのフィンズベリーパークで起きたのは、礼拝帰りのムスリムたちが車で突っ込まれた事件だった。
同じ年に、同じ街で、断絶と憎悪は両方向へ向いていた。
それでも町には、教会とモスクが並んでいた。
翌日も人々は仕事へ向かった。
私も向かった。
→ [あの時のことは、当時の記事に残している。](https://note.com/korin1bom3/n/n6e9f797eb474)
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私はマレーシアに1年間ほぼ住んでいた。
今は、日本の会社で働いているが、バングラデシュ、モロッコ、ウズベキスタン出身の同僚達がいる。
同じバングラデシュ人でも、礼拝を欠かさない人もいれば、そうでない人もいるし、一方でウズベキスタン出身の同僚は、金曜日になると長めの昼休憩を取ってモスクへ向かっていた。
私はそこで初めて、「イスラム教徒」という言葉の中に、無数の価値観と生活があることを知った。
行動スタイルがそれぞれ違うことを不思議に思い、以前、ウズベキスタン人の同僚に聞いたことがある。
すると彼は簡潔に、こう返した。
「イスラム教は、自分と神様との約束なんです」と。それを、それぞれが自分なりに守っているだけなのだと。
彼自身、若い頃はかなり反発もしていたらしい。酒も飲んだし、タバコも吸った。
でも、色々やってみた結果、「やっぱり自分は違うな」と思い、今の形に戻っていったのだと言っていた。
私はその時、宗教というものを、
"誰かから強制されるもの"としてではなく、
"自分で引き受けるもの"として話す人を、
初めて見た気がした。
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そんな彼は非常階段で礼拝をしていた。日本の会社である。一般的なオフィスビルのワンフロアにすぎない。
礼拝の施設は残念ながら整ってはいない。
私はたまたま、礼拝を見てしまったことがある。あわてて静かに扉を閉じたけれど、
その後ろ姿が、忘れられない。
旅の中で、トルコのブルーモスクも見た。
スペインではアルハンブラ宮殿も歩いた。
どちらも息を呑むほど美しかった。
でも正直に言うと、
私の中で一番美しかった祈りは、
会社の薄暗い非常階段で、静かに額を床へつける彼の姿だった。
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ヨーロッパで教会を渡り歩いたこともある。
壮麗なステンドグラスも、荘厳なパイプオルガンも、正直、途中から少しお腹いっぱいになっていた。
でも、ベナンでホームステイしていた時のことは、今でも忘れられない。
言葉の通じないホストマザーだった。
フランス語圏だったから、悔しいことにまともに会話もできなかった。
ある日、彼女に手を引かれて、
平屋の、小さな教会へ行った。
石床に、古びた木のベンチ。
豪華さなんて何もない。
そこで私は、熱心に祈る彼女の横顔を、ただじっと見ていた。
帰り際、彼女はこう言ってくれた。
「神様はいつも一緒に居てくれる。だから心にいつも平和がある。」
「Korinのことも祈ったよ、家族として。」
その時のほうが、どんな大聖堂よりも、私にキリスト教を教えてくれた気がした。
→ [ベナンのホームステイの記録はこちら。](https://note.com/korin1bom3/n/n04e846db5bc0)
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考えてみれば、私自身かなり妙な宗教ミックスで育っている。
祖母の実家は神社だった。
そんな私にとって、神社は神聖な場所ではなく、遊びに行く親戚の家だった。
祈祷を終えた宮司がビールを飲んで顔を赤くしている、そんな生活の場だった。
初詣は家族総出の「仕事」だったし、巫女もやっていた。
でも、境内に続く長い長い列を眺めながら、ずっと不思議だった。
人が集まってくる場所には、何か確かな力がある。
それをバカにしたり笑ったりしてはいけない、とも感じていた。
祖母の兄が生きていた頃、高校生だった私にこう言った。
「神社は神様が願いを叶える場所じゃない。祈ることで、自分が忘れないようにする。そして祈りが集まる場所になることで、来る人が自然と力をもらえるんだ。だから人は願いが叶う。」
その言葉は、ずっと強く記憶に残っている。
今思えば、これが原点だったのかもしれない。
「祈る」という見方で、宗教を超えて世界を見るようになった、その始まり。
幼稚園は仏教系で、数珠をてにお祈りの歌があったし、花祭りがあった。
大学はキリスト教系だったから、ことあるごとに讃美歌も歌っていた。
そこへさらに、マレーシア生活と、イスラム教徒の同僚たちが加わる。なんなら早朝から鳴り響くモロッコのアザーンの記憶まで。
我ながら、意味がわからないくらいミックスである。
でも、だからこそ私は、誰かの祈りを笑えない。
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宗教は、笑っていいものではない。
いや、正確には、「何かを本気で信じている人」を、安全圏から茶化していいものではない。
宗教の背景には、歴史がある。
飢えや戦争や差別や流浪や、共同体が壊れそうになった記憶がある。
だから祈りが生まれた。
そして大抵の宗教には歴史と悔恨があるように思う。
けれど面白いことに、その重たい歴史の上に最後に残るのは、案外いつも、食卓だったりする。
祝いの日に配られる甘いお菓子。
親戚で囲むご飯。
久しぶりの再会。
「食べていきなさい」の一言。
結局、人間はずっと、卓を囲みながら生き延びてきたのかもしれない。
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だから今日、私はナシレマッを食べに行く。
そして、もしタイミングが合ったら、小さくこう言ってみようと思う。
"Selamat Hari Raya."
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よくいく居酒屋のハイボールは、1杯190円です。もちろん深い意味はありません。