【思考】『家族"サービス"』という言葉がなぜナンセンスなのか?
みなさんこんにちは。発信者です。
今回は「家族サービス」についてのお話です。
かつて職場で、上司から言われた言葉。
👤「週末はしっかり家族サービスしてこいよ」
👤「家族サービスで疲れただろ」
こういう価値観の人も多いだろうな、とは思いますが、私にはちょっとした違和感が。
【その言葉に、敬意はあるか】
「サービス」の語源を辿ると、そこには
📖「奴隷(servus)」
📖「奉仕」
という意味があります。
それでなくとも、「サービス」には、他者に対する役務の提供という意味があります。
家族と公園に行ったりして遊ぶ時間は、みんなで楽しむものであり、なにか一方的なものではないと思います。
なぜ義務を伴う活動のように呼ぶの?
父親は家族の一員では?
言葉は思考を規定します。
この何気ない一言が、実は家庭という最小単位の組織において、文化を根本から歪めてしまっているのです。
1. 「手伝う」という無意識のセルフ戦力外通告

この違和感は、
🧹「家事を手伝う」
🍼「育児を手伝う」
という言葉にも共通しています。
経営理論の枠組み(資源・プロセス・価値基準)で考えると、夫という「資源(リソース)」が家庭に存在していても、本人が「手伝う」というスタンスである限り、彼は家庭の「プロセス(運営の仕組み)」には永遠に組み込まれません。
「手伝う」という言葉の裏には、「これは自分の役割ではないが、力を貸してやる」という無意識の分離が。
しかし、家族の一員であるならば、家事も育児も、本来は「自分自身のこと」であるはず。
当事者意識のない「資源」は、キッチンなどの現場では、むしろ混乱を招く余計なものにしかなりません。
2. 価値基準を蝕む「文化の慣性」

なぜ、これほど違和感のある「家族サービス」という言葉が平然と使われ続けるのか。
そこには、組織に深く根ざした「文化の慣性」が働いています。
組織の価値基準が
📺「仕事=本業」
🏠「家庭=余暇・奉仕」
という二元論に支配されているため、家庭での活動を「コスト(奉仕)」としかカウントできなくなっているのです。
この価値基準に染まったままでは、いざキッチンに立っても
「お塩どこ?」
「引き出しのどこ?」
という混乱を引き起こします。
現場の解像度が低いまま、付け焼き刃の「サービス」をしようとするから、結果として家族の邪魔になってしまう。
これは、巨大組織が変化に対応できずに自滅していくプロセスと全く同じ構造です。
3. 文化を書き換える「自己の再定義」

組織文化を変えるには、上層部(自分自身の意志)が「行動規範」を変えるしかありません。
まず、「家族サービス」という言葉を捨て、家族と公園に行ったりして遊ぶ時間を「自分も楽しむ幸せな時間」と再定義すること(まあでも体は疲れますよね。がんばりましょう)。
そして、家事を義務ではなく「自分自身の生活そのもの」と捉えること。
結局、誰かがやらないといけない家庭内のことを、それぞれの家庭内で、誰がどれだけやるのか相談して、どうせやるならできるだけ前向きに、役割分担の割合や内容を決めていく、という話だと思います(誰かが無理をしすぎると、体を壊してしまったり、イライラが募ることになります)。
1年以上、私が台所で「手伝う」のではなく「当事者」として立ち続けた結果、得られたのは「阿吽(あうん)の呼吸」という高度な連携でした。
言われる前に調味料を出し、調理の合間にゴミを捨てる。
それは奴隷の奉仕ではなく、同じ現場を守るプロ同士の信頼関係です。
私の家庭では、この形がバランスが取れている、というだけで、各家庭では当然違う。
全て奥様が家事をするのがバランスが取れていて全員が納得っていう家庭もあるでしょうし、その逆もあるでしょう。
誰かに偏っているのがバランスが取れている、もしくはそうせざるを得ないっていう家庭もある。
先ほどの繰り返しになりますが、各家庭で幸せな形は違う。
大事なのは、その形を、家族みんなで見つけようとするコミュニケーションが取れるか、という点ではないでしょうか。
【はじめに言葉ありき】
しなやかさを持つためには、まず自分を縛る「おかしな言葉」から自由にならなければなりません。
「家族サービス」という呪縛を解き放ち、「自分のこと」とし日々の生活を送る。
その小さな価値基準の変化が、重い文化の慣性を打ち破り、あなたの家庭を、心地よい場所へと変えていくはずです。
「ありがとう」
「今日も楽しかったね」
1日の終わりに言い合える。
奉仕への対価ではなく、共に歩む家族への純粋な敬意が、自然と出るような家庭がいいですよね?
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参考文献
リチャード・P・ルメルト『良い戦略、悪い戦略』(日本経済新聞出版、2012年)
クレイトン・クリステンセン『イノベーションのジレンマ』(翔泳社、2001年)
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