【資産形成】【金融】「預金はキレイ」だから「投資はしない」という理由
みなさんこんにちは。発信者です。
今回は「投資」についてのお話です。
🤢「損はしたくないから絶対に投資はしない」
営業現場で金融商品の販売(資産運用の相談!)を担当した人で、お客さまからこの言葉を言われたことがない人はいない、と言っても過言ではないでしょう。
でもそもそもこの言葉は間違っています(お客さまに対して、「間違っています」と、間違ってもはっきり言ってはいけません)。
まず、言葉の定義として、預金・貯金という実質的な現金として認識されているものも、広義の「投資」。
ただ、一般的な認識としては、「元本保証の有無」が「投資」かどうかの一つの線引きとなっているので、そこはあながち間違いとも言えません。
その上で、この言葉が間違っていると言えるのは、前提に、「現金の価値が変動しない」という
「絶対化」「思い込み」があるから。
お金の価値は、その成り立ちから相対的なものであり、変動します。
実際に、明治時代の1円と、今の1円は価値が違いますよね。
だからあえて言うとしたら、正しくは、
「デフレになるかもしれないから、今は投資しない。現金を持っておく」です。
本題はここから。
実は、「投資をしようがしまいが、実質的には損もするし得もする」のです。
「物価の上昇・下落」と「投資商品の価格の上昇・下落」は、「価値の増減」という意味では同じ。
前者の場合は現金の価値が変化し、後者の場合は投資商品の価値が変化する。
その影響が見えやすいか見えにくいか、それだけの違いなのです。
さて、近年進んでいるインフレは、私たちの財布から静かに、しかし確実に価値を奪っていく「目に見えない存在」です。
なぜ、目に見えて物価が高くなっていることを実感しているのに、多くの日本人はいまだに「現金」を選び、「投資」を忌避するのでしょうか。
そこには損得勘定や知識の有無という理由しかないのでしょうか?
1. 「投資」と「投機」を混同する心のフィルター

まず、「投資は絶対にしない」と心を閉ざす人々の頭の中では、経済や自らが応援する企業の成長に資金を投じる「投資」と、短期的な価格変動をギャンブル的に狙う「投機」が、同じカテゴリーに放り込まれていることがあります。
そこには、日本社会に根強い「労働至上主義」の影響があるように思います。
「汗をかかない利益」の拒絶
私たちは、苦労して得た対価こそが尊いという「清貧」の美学を内在しています。
なぜなら人間は、苦労して得たものほど「価値」を感じやすい、というか「これだけ苦労して手に入れたものに価値がないなんて耐えられない」から。
何年もかけて努力して手に入れたものを、「意味ない」と言われて平気な人なんているでしょうか?
手っ取り早く手に入れたモノよりも、苦労して手に入れたモノの方が大切に感じたことありませんか?
そのため、お金にお金を稼がせる「投資」という行為は、どこか「虚業」であり、まっとうな人間が近寄るべきではない「ケガレ」のように感じてしまうのです。
「知る努力」の放棄
投資と投機の違いを知ろうとせず、十把一絡げに「悪いもの」とみなす。
知る努力を放棄して、自分を困難な道へ困難な道へと自ら追い込んでいく。
分からないと決めつけて自分の可能性を信じない。
すべて自分の人生に対する思考停止です。
2. 「不作為の損失」

ここには、倫理観や思考パターンの特徴が潜んでいます。
何もしないことの免罪符
投資をして1円でも減れば「自分のせい(作為)」ですが、現金のまま価値が目減りしても「世の中のせい(不作為)」として自分の気持ちは処理される。
インフレという「静かな侵食」
山本七平の言う「空気」は、目に見える変化には敏感です。
しかし、ゆっくりとした侵食には寛容です。現金という「変わらない姿」を維持することに安心感を覚え、その中身(購買力)が腐食していく不気味さからは目を逸らしてしまうのです。
3. 「最初は怖かった」
偉そうなことを書いていますが、白状します。
私は、なかなか投資を始められませんでした。
金融という世界に身を置いて、頭では理解していたのに、こんな気持ちがありました。
怖い。
真面目に働いていればなんとかなる。
そしてやっと一歩を踏み出してからも、ほんのちょっとのマイナスでもめちゃくちゃ気にしました。
画面上の数字が赤く(マイナスに)なった瞬間、イヤな気持ち、不安な気持ちになるのです。
それは知識の問題ではなく、
「お金が減る=自分の選択が間違っていた」
という、本能的な拒絶反応だったのだと思います。
金融の世界にいる人間でもこんな奴がいるんです。
だから投資を「怖い」と感じるのは、むしろ健全な感覚だと言えるのかもしれません。
【現金の「安全性」という幻想】
「絶対に投資はしない」という決意は、一見、堅実な態度に見えます。
しかし、インフレという荒波の中で、ただ一人いかだに座り込んで「私は動かない」と言い張るのは、本当に「自分を大切にする誠実な態度」と言えるのでしょうか。
自分の思い込みや「ケガレの感覚」を脇に置いて、近づいてみる。
ギャンブルのようにのめり込む必要も、完璧な知識を蓄えるまで待つ必要もありません。
生活を守るための「一つの道具」として、「いい加減」にリスクと付き合っていく。
その一歩を踏み出したとき、「怖さ」は、未来を守るための「手応え」に変わっていくはずです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。少しでも共感いただけましたら「スキ」や「フォロー」よろしくお願いします!
参考文献
P・F・ドラッカー『創造する経営者』(ダイヤモンド社、2007年)
山本七平『空気の研究』(文春文庫、2018年)
山岸俊男『社会的ジレンマ』(PHP研究所、2000年)
↓KindleとAlexaを連携して『聴く』。
