見出し画像

個人的な教育の話12「シフティング ベースライン・シンドローム」

 「シフティング ベースライン・シンドローム」という言葉がある。
日本語では(移り変わる基準に左右される症候群)かな?
これは面白い言葉だ。
子供の教育において、腑に落ちることがあるので、忘れないようにまとめた。

 この言葉は自然環境保護に関する文献にあった。
私もその種の文章の中で気づいた。そして、これは悲しい事実だ。
まず、この話から入っていく。

[シフティング・ベースライン・シンドローム(shifting baseline syndrome)は自然環境の保全にも関係する。
幼少の頃や最初に接した自然環境が基準となるため、環境が以前よりも劣化している場合、知識が浅くなるばかりでなく劣化した環境を特に異常だと感じない。]

  これは都市開発にも同じことが言える。
今問題になっている神宮のイチョウ並木の伐採、それを反対している世代の子供達は、それを普通だと感じるようになる。人間は環境に慣れる。

 自宅の周りの雑木林が消えてマンション建設が計画される。
私の住んでいる武蔵野地区ではたまにあることで、最初、地元住民は環境破壊だと反対する。
しかしマンションが建ってしまって10年も経つと、そこに自然豊かな雑木林があったことも、ヒグラシの鳴き声が凄かったことも忘れてしまう。
そこに継続的に住んでいると、そうなってしまう。
一時的にその場所を何年もの間離れていて、ある日戻ってくる。
そんな場合だけ、違和感を感じる。

 さらに面白い例があった。
「フロントガラス現象」私は完璧に忘れていた。
夏場、車の長距離運転時、フロントガラスに沢山の虫がぶつかり、潰れて張り付く現象だ。張り付いた虫はそのまま乾き、なかなか取れない。
日本でも50才以上でないと、その経験はないと思う。
今の若い人は信じられないかもしれないが、それくらい夏場は、道路に虫が飛翔していた。

 昭和43年頃、親父の車で東名、名神高速を乗り継いで、高松へ行った時、愛車サニークーペのフロントガラスは虫の死骸が沢山へばり付いていた。
車で走る夜の山道では、フロントライトに沢山の蛾が舞っていた。
高速道路のサービスエリアの水銀灯には蛾、虫が乱舞する。当時は凄く綺麗に感じた。
下にはクワガタが落ちたりしていた。

 思い返すと、いつ頃から長距離ドライブで、「この現象」を経験しなくなったのだろう。全く記憶がない。それが普通だと感じている。
これが「シフティング ベースライン・シンドローム」だなぁ。
昆虫が1970年から現在までに90%も減少しているという説がある。
この現象の消滅したことで、にわかに真実味が増す。

 そう考えると、昔の自然を知らない子供にとって環境問題は他人事だ。
教科書の中の話となる。
「それって、昔の事でしょう」
夏場、汗かいて、ハエが飛び回っていた食卓でご飯食べていた世代の環境。
その自然感を完全空調のダイニングでスマホしながら食事している子供達、彼らがそれを理解するのは無理な話だ。

 私みたいな老人の思い描く自然環境と今の子供達の思い描く自然環境は相当違うだろう。
自然環境保護運動は老人のノスタルジーと思えてしまう。

 さて、ここで教育の話に「シフティング ベースライン・シンドローム」を当てはめてみる。
私は、長男が小4の時(下は小1と幼稚園)、東京郊外の文教圏への引っ越しをした。これはあえてそうした。自分がそれで苦労したので、その経験からだ。
この経緯はNoteに何度か書いたので、詳細に興味があれば読んでみてください。

 引っ越す前に住んでいた場所は、スラム的な場所で、周りを見ても程度の低い学校がしかなかった。
これでは子供の進学はろくなものにならない。つまり知らぬ間に勉強面でのベースラインが低くなってしまう。

 引っ越し先は勉学のベースラインが高い地域だ。学校で普通に勉強していれば、それなりに進学出来る。
実際、その通りで、1人を除いて特に成績優秀でもない子供達だったが、最後はそれなりの大学へ進学した。

 スポーツでもサッカー、野球の強豪地区にいるとベースラインが高いので、外で活躍する選手が多く出る。
勉強でもスポーツでも子供達のレベルを上げていくのはその地域だ。そこのベースを高くする事が重要だ。

 例えば、サッカー王国と言われる静岡県。
1924年藤枝市に旧・志太中学校(現・藤枝東高校)が創立された。 今では高校サッカー界では名門の藤枝東高校だ。
ここの当時の校長先生がサッカーを校技として取り入れ、力を注ぎ込んだ。そして日本一になる。
すると、サッカーの上手い子がさらに集まってくる。また近隣の学校も俄然張り切る。地域で切磋琢磨し、サッカーを静岡県に根付かせたのだった。
地域のベースラインが上がったと言える。

子供の教育は地域の環境が重要。だから子育ての位置づけで住む場所の選択は非常に大切だと思う。

 以上はいい意味での「シフティング ベースライン・シンドローム」だ。一方これは悪い方へもシフトする。その方が一般には多い。

 地域の環境が劣化すると、そこの教育も劣化する。
この環境とはオシャレなお店や買い物が便利な街とかが基準ではない。
図書館の充実、学校の整備、交通事情。生活環境のことだ。
さらに住んでいる人々の生活態度と行動による地域環境の差もある。それには行政も大きく関わってくる。自然環境、遊び場などの差もある。

 子供は、だらしない家庭で育つと更にだらしなくなる。
挨拶が出来ない、時間を守らない、話を聞かない、親切でない、クレームが多い。正月の行事もやらない、お雑煮も作らない、年賀状も出さない(新年の挨拶もしない)。運動もしない。勉強もしない。悪口しか言わない。ジャンクフードしか食べない。ネットばかり見ている。
そんな家庭の子供はそれがベースラインとなり、さらにだらしない家庭を作っていく。

親は子供のベースラインだ
 昔から言う「子は親の鏡」と言う。
親が頑張らないと子供は頑張らない。ベースラインをプラス方向へシフティングさせたいなら、自分もやるしかない。頑張って行こう!

 唐突だけどメタバースは未来しか作らない。
何故、もう2度と見る事が出来ない、自然豊かな過去の世界を構築しないのだろうか?
私はメタバースの描く未来がそれほどいいとは思えない。生物多様性からほど遠い。昔の虫が飛び回る町が好きだ。
出来れば素晴らしいと絶賛するAIでそれを実現させて欲しい。

パン屋がや美味しい街はいい


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集