シフティング・ベースライン・シンドロームの恐怖
「シフティング・ベースライン・シンドローム」という言葉がある。
日本語では(移り変わる基準に左右される症候群)と言う意味だ。
この言葉を耳にしたとき、子供の教育において、私が漠然と考えていたことに合致ている点に気づいた。
もともとこの言葉は自然環境の保護に関する文献の中にあった。
まず、この話から入っていく。
シフティング・ベースライン・シンドローム(shifting baseline syndrome)
人は幼少の頃に最初に接した自然が、自然環境の基準となる。
そのため自然環境が以前よりも劣化している場合において、自然に関する知識が浅くなるばかりでなく、その劣化した自然環境を特に異常だと感じなくなる。
これを「シフティング・ベースライン・シンドローム」と言う。
都市開発においての話
今、問題になっている神宮のイチョウ並木の伐採、それに反対している世代の子供達は、伐採後の風景、それを普通だと感じるようになる。人間は簡単に環境に慣れてしまう。
自宅の周りでの話
近所にある大学の野球場、雑木林に囲まれて森の球場と言われていた。
この地を大学がデベロッパーに売却して大規模なマンション建築が計画された。こんな話、私の住んでいる武蔵野地区ではたまにあることで、当初、地元住民は高層建築による人工増加、景観問題なども含めて反対する。
しかしマンションが建ってしまって10年も経つと、そこに自然豊かな雑木林があったことも、ヒグラシの鳴き声が凄かったことも忘れてしまう。
同じ場所に継続的に住んでいると街の変化に気づかない。
一時的にその場所を何年もの間も離れていて、ある日戻ってくる。そんな場合にだけその変化に気づく。でも、そこに何があったかまでは思いだせない。
さらに面白い話
「フロントガラス現象」私はこんな事象など完璧に忘れていた。
夏場の高速道路、夜の長距離運転、車のフロントガラスに沢山の虫がぶつかり、潰れて張り付く。張り付いた虫はそのまま乾き、なかなか取れない。
おそらく50才以上でないと、その経験はないと思う。
昭和43年お盆休み、親父の運転する車で、東京から東名、名神高速を乗り継いで、一晩かけて、お袋の実家のある高松へ旅行したことがあった。その時、愛車の日産サニークーペのフロントガラスには沢山の虫の死骸がへばり付いていた。
いつ頃から長距離ドライブで、「フロントガラスに虫がぶつかる現象」を経験しなくなったのだろう。全く覚えていない。今ではそれが普通だと感じている。
ちなみに、昆虫が1970年から現在までに90%減少しているという説がある。この現象から、にわかに真実味が増す。
私の子供の頃、家の中にはハエを代表として沢山の虫が飛び回っていた。昔の自然を知らない子供にとって、環境問題は他人事で、教科書の中の話となる。
「それって、昔の話でしょう」となる。
「シフティング・ベースライン・シンドローム」そのものだ。
夏場、汗かいて、ハエが飛び回っていた食卓でご飯食べていた世代の環境。その自然感を完全空調のダイニングで、スマホを見ながら抗菌食器で食事している子供達が理解するのは無理な話だ。
私みたいな老人の思い描く自然環境と今の子供達の思い描く自然環境は相当違うだろう。
自然環境保護運動は老人のノスタルジーと思えてしまう。
教育における「シフティング・ベースライン・シンドローム」
ここから本題。教育における「シフティング・ベースライン・シンドローム」を考えてみる。
地域の教育レベルの話
私は、長男(息子)が小4の時(娘2(長女)は小1と娘2(次女)は幼稚園年小)の時、東京郊外の文教圏へ引っ越しをした。これはあえてそうした。簡単に言えば、教育環境を変えたかった。
私は工業高校卒で暴走族だったが、住んでいた地域がたまたま文教圏だったので、受け口があり軌道修正が可能だった、そして大学へ進学した。
私達家族が、引っ越す前に住んでいた地域はスラム的な場所だった。周りを見ても偏差値の低い学校がしかなかった。
これでは子供の教育は失敗する。大学進学も難しいだろう。つまり学校教育でのベースラインが低いのだ。
引っ越し先は学校教育のベースラインが高い地域だ。学校で普通に勉強していれば、それなりに進学出来る。
実際、その通りで、特に成績優秀でもない子供達だったが、最後はそれなりの大学へ進学した。
スポーツにおける「シフティング・ベースライン・シンドローム」
スポーツでもサッカー、野球の強豪地区にいるとベースラインが高いので、活躍する選手が多く出る。
勉強でもスポーツでも子供達のレベルを上げていくのはその地域だ。そこのベースを高くする事が重要だ。
例えば、サッカー王国と言われる静岡県。
1924年藤枝市に旧・志太中学校(現・藤枝東高校)が創立された。 今では高校サッカー界では名門の藤枝東高校だ。
ここの当時の校長先生がサッカーを校技として取り入れ、力を注ぎ込んだ。そして日本一になる。
すると、サッカーの上手い子がさらに集まってくる。また近隣の学校も俄然張り切る。地域で切磋琢磨し、サッカーを静岡県に根付かせた。
地域のサッカーのレベル、そのベースラインが上がったと言える。
同じ様に子供の教育は地域の環境が重要。だから子育てにおいて、住む場所の選択は非常に大切だと思う。
以上はいい意味での「シフティング・ベースライン・シンドローム」だ。一方悪い方へもシフトすることもある。その方が一般には多い。
負へ向かう「シフティング・ベースライン・シンドローム」
地域の環境が劣化すると、そこの教育も劣化する。
ここでいう環境とはオシャレなお店、通勤、買い物が便利な街、そんな利便性が基準ではない。図書館の充実、学校の整備、交通事情。生活環境のことだ。
さらに住んでいる人々の生活態度と行動による地域環境の差もある。それには行政も大きく関わってくる。ゴミがきちんと処理さいれている。自然環境が豊かで、体育館、グラウンド、遊び場なども充実している。それが差となる。
子供は、だらしない家庭で育つと更にだらしなくなる。
「挨拶が出来ない、時間を守らない、話を聞かない、親切でない、クレームが多い。正月のしめ飾りしない、お雑煮も作らない、年賀状も出さない(新年の挨拶もしない)、運動もしない、勉強もしない、悪口しか言わない。ジャンクフードしか食べない、ネットばかり見ている」
そんな家庭の子供はそれがベースラインとなり、さらにだらしない家庭を作っていく。
親は子供のベースラインだ
昔から「子は親の鏡」だと言われている。
頑張らない親から頑張る子供は出てこない。
もし自分の家系のベースラインをプラス方向へシフティングさせたいなら、親自身もやるしかない。
そしてもし、今素晴らしい地位にいるのなら、それは先祖が頑張って、頑張って、そこまで持ち上げた結果だ。その身分に甘んじると、3世代くらいで身上を潰す。
コスパの行き着く場所
知的な人達はコスパから子供を作らない、そして知能の低い人間だけが子供を作り、ベースラインはドンドン下がり、世界はアホばかりになる。
そんな未来を描いた映画があった、「26世紀青年」
現実、それに近くなっている様な気もする。
オマケ
親ガチャ
最近聞く「親ガチャ」という言葉。
「親や周りの環境が駄目なせいで、俺の人生が上手くいかない」そう語る人がいる。
ここで言うベースラインが最悪の場合とも言える。
その場合、まず親から脱出する。生活環境を変える、住む場所を変える。仕事を変える。そんな行動をするしかない。その方法は各自が考えるしかない。
自分も工業高校で落ちこぼれていたが、親からの干渉はなかった。
親は、人生自由に選んでいいと言う。高卒で働くのもいい、プー太郎でもいい、その代わり自分で生き抜けという、ある意味 放置教育だった。
俺は勉強を選択した。
そして二浪して、なんとか名の知れている三流大学へ入学した。そして名の知れた会社へ就職し、その後、転職して生活を好転させた。つまりベースラインを自分で変えた。
親はそれを阻止しては駄目だ。たまに子供が自分より成功するのを阻止しる行動を取る親がいる。おそらく自分の人生を否定されるのが怖いのだろう。これは駄目だ。子供も逃げるしかない。
人は皆、なんらかのハンディを持っている。それを「親ガチャ」として簡単に片づけるのは止めよう。おそらく選択肢は幾つもあるはず。
