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パニック障害を支えたお守り

これは私がパニック障害と戦っていた頃の話。


当日大学生だった私は、どうしても授業は休みたくなかった。でも、電車に乗るのが怖かった。

電車のホームにいると冷や汗をかいた。電車が来る轟音が近づいてくると耳をぎゅっとふさいだ。何度も乗るのを諦めるが、乗らないと大学にいけない。

意を決して電車には下を向いて乗り、ドアから一番近いところにくっついて立った。2、3駅進むにつれて息が浅くなっていく。
電車の中は真空のように思えた。空気がなくなっていく感じがして、息がしんどくなって、立っていられなくなる。
そうして私は途中下車をする。何度も駅のホームで過呼吸になり、休憩室を借りて休ませてもらった。


当時あった唯一の1限が一番大変だった。ラッシュの時間は特に私にとっては地獄だ。

本来なら7時半に家を出ればいいところを、ラッシュを避けるために5時半に出た。
1時間かかるところを、途中下車を繰り返しながら2時間かけて行った。

それだけ辛くても、大学は頑張っていこうと決めていた。


ある時母がパニック障害についての本を買ってきた。対策がいろいろ書いてあるよ、と。

輪ゴムで腕をぱっちんとする。
腹式呼吸を意識する。
いろんな方法が載っていた。

その中で私の目についたものは
「好きな香りをハンカチにつけて持ち歩き、しんどくなったら鼻にあてて香りを嗅ぐ」
これいいかも、と思った。


私はそのときまで香水を買ったことがなかった。
香水は大人が身につけるもので、自分が買うのにはハードルが高いと勝手に思っていた。
でも、買ってみたい香水はずっとあった。



ロクシタンのヴァーベナの香りの香水だ。
それは何度もお店を覗いて、「いいなぁ」と思っていた商品だった。
でも学生の私にとっては決して安い買い物ではなかった。


「買っていいのかな」「どうしよう」「買うなら今なのかな」
そんなことを考えながら、ある時思い切って買いに行った。

目当てのものは決まっているのになんとなくうろうろして。
お金持ってたかなってそわそわして。
なんとか会計してお店を出るまでどきどきして。
パニック障害での人混みへの緊張の中、ようやく私は香水を買うことができた。


大事に家に帰ってから、そっとハンカチにかけてみた。
優しくてさわやかで、とてもほっとした。


それから、絶対電車頑張らなきゃとか、どうしても人混みに行かないといけないような気合を入れる日に私はハンカチにヴァーベナを仕込んだ。
電車の中で気が遠くなりそうな時、人混みで涙目になっている時、ハンカチを顔に押し当てながら何度乗り越えたことか。


ヴァーベナの香りは私に勇気をくれた。



あれから5年はたっただろうか。
私は治療を続け、現在ではパニック発作はめったに起こらないほどまでに落ち着いた。
電車は相変わらず苦手だが、乗れないことはなくなった。


あの香水は、今は遊びに行くときに手首につけるオードトワレになった。
しかしたまに家でうつ状態になりそうな時、不安になりそうな時に、部屋にそっとルームフレグランスとしてかけたり、緊張しそうなオンライン会議の前につけたりと、今もお世話になっている。
巨大な香水はまだ1㎝しか減っていない。



あの時必死になりながら、買っていいのか迷いながら踏み出した高い買い物。
踏み出した一歩は、私に生涯の相棒、お守りをくれた。


この香水を使い切るころ、私はどうなっているだろう。
今日はそんな何十年後かに思いをはせながら、部屋にはヴァーベナの香りが充満している。





koromo