小説『天使さまと呼ばないで』 第37話
一夜明けた朝、ミカは顔を洗いながら、昨夜見た夢のことを思い出していた。
もしかすると、自分はとんでもない間違いをしているのかもしれない・・
もしかすると、今ならまだ引き返せるのかもしれない・・
そう思うと、コウタに「やっぱり、一緒にいよう」「今の仕事なんて全部辞めるから、そばにいて」と今すぐ言わなくてはいけない気がした。
(どうしよう・・・)
化粧水を塗りながら鏡の中の自分の顔をじっと見る。
そこに、先程起きたばかりのコウタがやって来た。
ミカは少し動揺しつつ、コウタの方を見た。
するとコウタはいつもと変わらない調子で、こう言った。
「ああ、ミカ、家はどうするつもり?
僕は会社の寮に空きがないか今日聞いておくから、もし入れそうなら、家具とか家電は全部持っていっていいよ」
あまりに事務的な対応に、ミカはショックを受けた。
(コウタは別に、私がいなくなっても平気なんだ・・・)
そう思うと、コウタに縋りつこうとした自分が馬鹿みたいに思えた。
(やっぱり、今更『よりを戻したい』なんて言えない・・・)
それに結婚するまであれだけ自分にゾッコンだったコウタに、今さら下手に出てすがるなんて、弱みを握られるように思うし、これから先もずっと見下されてしまうような気がする。
「実家には戻らないつもりだから、この辺りでアパートを探すわ」
ミカは感情を込めず、ツンとした様子で答えた。
「そう、わかった。
急がなくていいよ、僕ももしかしたら寮に入れるのは4月からかもしれないし」
コウタはそう言って、歯ブラシを手に取り歯を磨き始めた。
もう、引き返すことはできないのだとミカは思った。
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こうして、あれよあれよという間に離婚に向けての話が決まっていった。
運良く会社の寮に空きがあったので、コウタは2月からそこで暮らすことに決まった。離婚届も、そのタイミングで出すつもりだ。ミカはそれまでに、この辺りで手頃なアパートを探さなければならない。
地元には、もう戻らないことにした。この土地で商売はうまく言ってるし、昔の友人には怖くて会えないし、何よりも実家の近くにいたくなかったからだ。
家電や家具はほとんどミカがもらえることになった上に、「自分のために仕事を辞めてもらったから」と、コウタは引っ越し代金も負担した上で、当面の生活費として100万円も渡すと言ってくれた。
両親への説明は「性格の不一致」ということにして、それぞれが自分の親に伝えることにした。
ミカが「離婚する」という報告をした時、ミカの母親は電話越しにヒステリックに叫んだ。
「ちょっと!どういうこと!?アンタ今すぐ考え直しなさい!」
その横で、父が「まあまあまあ・・」と宥めている声が聞こえる。
「私たちにも色々事情があるの!私も良い大人なんだからお母さんは口出ししないで!」
「せっかく良い人と出会ったのに※△□×…!!!お母さんはアンタのためを思って@#&+…!」
母親は声にならない叫び声をあげている
「ああもううるさいな!!私は、私はねぇ、
お母さんのせいで!!!!」
そう言い返して、ハッと我に帰った。
お母さんのせいで・・・一体、何なんだろう?
自分は、どんな言葉を続けるつもりだったのだろう?
ミカには、わからなかった。
「じゃ、もう決まったことだから」
そう早口に言って無理矢理電話を切った。
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翌週の日曜日、ミカは二度目のセミナーを開催した。
始まる前、貸し会議室のあるビルの化粧室の鏡でメイクのチェックをすると、そこには顔面蒼白になった自分の顔が映っていた。
(こんな顔じゃダメだ・・・全然、幸せそうに見えない・・・)
ミカはいつもより濃くチークを塗り重ねた。
肌ツヤをよく見せるために、パールの入ったハイライトもガッツリと入れた。
口紅も、いつものピンクではなく、真紅を選んだ。
(これでオッケー、うん、綺麗だし、幸せそうに見えるハズ!)
鏡の前でニッコリして見せる。引き攣って笑う顔はまるでピエロのようだった。
(こんなんじゃダメだ、もっと自然に笑わないと・・・)
笑いたくもない時に笑うことが、こんなに辛いことと思わなかった。
ミカは一生懸命、自分がいかに満たされていて幸せかを思い出そうとした。
(今日のセミナーは満員よ!次はもっと大きな会議室でセミナーを開くこともできそう!今日の収入でまた新しい服も買うことができる!それに、みんな私のことを本当に慕ってくれているし、尊敬してくれている!私はみんなから愛されてる!)
そう思うと、ミカの抱えていた虚しさや寂しさがスッと消えたような・・・厳密には"視界から消えた"ような気がした。
ミカは胸に手を当て、心の中で呟いた。
(私は幸せ、私は幸せ、私は幸せ!)
鏡の前でニッコリ笑う。そこには目を真っ赤にしたまま、口元だけは慈母の微笑みをたたえた美しい自分の顔が見えた。
セミナーでは、前回と同じように、瞑想(今回は前回より長く5分取った)・カウンセリングの体験談(途中休憩アリ)・質問コーナーを設けた。
受付と会計はエリに任せたので、ミカは余裕を持って準備をすることができた。
体験談では、前回決めた通り『結婚のエピソード』をメインに紹介した。
自分の理想の結婚相手を明確にしたらその通りの結婚ができたAさんや、不倫を辞めた途端に自分を心から愛してくれる男性に出会えたKさんの話など・・
そう、ミカのカウンセリングは、全部が全部『話を聞いてもらって何となくスッキリして終わり』となったわけでは無かった。こうしてちゃんと、目に見えた結果が出た人たちも少なからずいたのだ。
だからこそ、ミカは自分のカウンセリングが素晴らしいものだと信じていたし、熱狂的な信者もついたのだ。
しかし、こうした"幸せな結婚エピソード"を紹介しているうちに、ミカは段々と自分が惨めで仕方なくなってきた。
『幸せな結婚ができる』と謳っているカウンセラー自身が、夫から愛想を尽かされ三行半を突きつけられたなんて、まるで悪趣味な喜劇みたいだ。
「・・・こうして、Kさんは、本当に自分自身を大事にしてくれる男性と出会えて、結婚できたんです!」
そうKさんの話を締め括った瞬間、目から自然と涙が溢れた。
(まずい!)
ミカは焦った。これでは自分が幸せではないことがバレてしまう。
「・・・すみません、ちょっと、余りに嬉しくて・・・」
ミカは咄嗟にそう言いながら、手で涙を拭う。しばらく声が出ない。
聴衆を見てみると、意外にも、皆感動した様子でこちらを見守ってくれていた。
どうやら、聴衆たちは本気でミカが『顧客の幸せを心から喜び、感動で涙する、心の清らかなカウンセラー』に見えたようだ。
良かった、とミカは安堵しながら、こう喋った。
「すみません、お見苦しいところを見せてしまって・・・私、本当に皆さんの幸せが、私の何よりの幸せなんです!だからあまりに嬉しいと、こうして感極まって泣いちゃうこともあって・・・本当に、この仕事をして、良かったと心から思っています!天使様、ありがとうございます!」
そう高らかに言い放った。
会場には割れんばかりの拍手が巻き起こる。
ミカは恍惚とした気持ちになった。そのうち、自分は惨めで泣いてしまったのではなく、本当に感動して泣いてしまったような気がした。
最後の質問コーナーでは、ミカに聞きたいことがある人に手を挙げてもらい、そこからミカが適当に誰かを当てる。
ミカは、前の方に座っていた40代後半ぐらいの女性を当てた。
女性は自分の名前をケイコと自己紹介した後、こんな質問をした。
「主人とうまく行ってなくて・・・主人は、私が仕事に出るのをあまりよく思っていないんです。もっと家庭に入って欲しいみたいで・・・でも、せっかく子供の手がかからなくなってきたから、私はもっと仕事をしたいと考えてます。それ以外の面では、主人は稼ぎもあるし、子供も私もとても大事にしてくれるし、私には勿体無いぐらいの素晴らしい人なんですが・・・。
でも、私は、仕事も家庭と同じくらい好きで大事にしたいんです。どうすればいいでしょうか?」
自分と似た状況に少しドキリとしながらも、深呼吸をした後、優しい笑顔でミカはこう答えた。
「それは、辛かったですね、ケイコさん。
大好きな仕事を否定されるなんて、まるで自分自身を否定されるように、辛かったんじゃありませんか?」
ケイコがハッとした顔をする。
ミカはその反応に満足しながら、続ける。
「・・・でもね、自分の夢や仕事を応援してくれない人と、一緒にいる意味はありますか?
自分のことを100%応援してくれない、そんな人は理想のパートナーでも何でもありません!
それはただ、嫉妬に駆られてケイコさんの足を引っ張りたいだけの"悪魔側"の人です!」
これは果たして、ケイコへのメッセージなのか、それとも自分に言い聞かせたい言葉なのだろうか。
よくわからないまま、夢中になってミカは続けた。
「ケイコさんは、もっと自由に生きていいんです。どれだけご主人に良いところがあるからって、自分を殺してしまうことはないんですよ。
ケイコさん、ホラ、こう言ってみてください。『私は仕事が大好き』!」
ケイコはおずおずと呟いた。
「私は・・仕事が大好き・・・」
「もっと大きな声で!」
「私は仕事が大好き!」
「良い感じですよ〜♡では、『私を邪魔する人と、一緒にいなくても良い』これも、言ってみてください」
「私を邪魔する人と、一緒にいなくても良い」
「そうですそうです!素晴らしい!じゃあ最後に、『私は自由だ!』はい!」
「私は自由だ!!!」
自信がなさそうだったケイコの顔は紅潮し、目は生き生きと輝いていた。
「ケイコさん、私にはケイコさんのそばで見守っている、天使様が喜んでいるのが見えます。
今までずっと、自分を押し殺して辛かったんですよね。
でも、これからどうすればいいか、もうケイコさん自身がわかっているんじゃないですか?」
そう言ってとびっきりの笑顔を見せた。
ケイコは答えた。
「・・・私、もっと自由に生きます!自分のことを大事にします!」
ミカは目を閉じて、またニッコリと笑った。
(ああ、私と同じように、この人が夫からの呪縛を逃れ、自由で幸せな人生を送る手助けをできて良かった!)
ミカは改めて、自分は素晴らしい役目を持った天使なのだと思った。
そして、自分が離婚を決めたことは決して間違いではなく、幸せで自由な人生を歩むための第一歩なのだと、自分に言い聞かせた。
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第38話につづく
