「生きたい」と「死にたい」の間に「妖怪になりたい」がある
最近思ったこと。
私は元々めんどくさい人間だ。
人の顔色を伺い、寝る前には今日一日の出来事がリプレイされ「余計なこと言ったかな」「あれはやめといた方がよかったか」と身悶えする側の人間。
そんな体験が積もり積もれば、人生で1回くらい「ああ、もう死んでしまいたい」と病んだ経験もある。
本気で決行するか、精神科に駆け込むか、そういうのは別にして、ふと頭によぎる「死」。
突き詰めて考えるに、べつに「死ぬ」という行為を積極的に体験したいわけではなく、「生きる」という行為から逃げたいだけなんだよね。
生きることに疲れるから、生きることを止める=死ぬしかないね、となる。
死んでも、死んだ状態に飽きたらまた生き返れたら良いのだけど、生物だからそう上手いことはいかない。死んだら死んだまま、生き返ることはできない。
一方通行の片道切符、この切符で改札を通るのはやっぱりやめておこう、と踏みとどまる。人生その繰り返し。
子どもの頃に聞いた魅惑のフレーズ。
「オバケにゃ学校も、試験もなんにもない」
それはいいよね。学校も、試験も、しがらみもない。仕事も必要ない。お金も必要ない。人を驚かせたり、悪いことをしても捕まらない。
人間として「生きたい」わけじゃない。だけど「死にたい」わけでもない。私には妖怪くらいの立ち位置がちょうどいいよなぁ。などと思った今日この頃。
多少の縄張り争いや治安の悪さはあるかもしれないけれど、妖怪になりたい。
八百万の神が住む国、日本。妖怪もそこかしこに伝承がある。大事にしたものが妖怪になったり、元人間が何かのパワーで突然妖怪になったり、妖怪への道も様々である。
間口の広い妖怪の世界。もはや自称「妖怪」であれば自分は妖怪でもいいんじゃないか?という発想に至り、このエッセイを書いている私。
私は妖怪。なので人間界のしがらみは私には通用しない。上司の顔色も関係ない。人間に擬態するためには多少の日本円を手にする必要があるので、定時の間だけそれとなく仕事をしているだけだ。
気の強い同僚が何かを言っている。
しかたがない、彼女は「ヒトの子」。人間とはそういう生き物なのだから。
私は「生き」なくていい。でもべつに「死ぬ」必要もない。これからは妖怪として、今までより少しだけ自分の欲のままに過ごしてみるのも良いのではないだろうか。
