“肉眼でしか見えないもの”逃してない??
きれいなものを見たら、ついカメラを構えてしまう。
笑顔、食べもの、猫。
「残したい」と思う気持ちは自然だし、それを否定するつもりもない。
むしろ、写真を撮るの好き。
放射線になる構図を考えたり
どれを主題にするか考えたり
その“瞬間の美しさ”を切り取る作業がたまらなく好きだ。

でも気づいた、
撮ることに夢中で、“肉眼で見ること”を忘れていない?
この前、コムローイ祭りに行った。
無数のランタンが同時に夜空に上がっていく。
風に乗ってランタンが揺れる。

綺麗。
隣で、相棒(人)が感動していた。
会場は車で40分ぐらい。タクシーは出ていない。バスもない。
そんな状況でも、会場までやっとの思いで来た。
さらに、チケットもないので見れるかどうかもわからなかった。
やっと空に舞い上がるランタンを見たとき、
相棒の表情が、本当にうれしそうだった。
「この表情を写真に残したい」と思った。
でも次の瞬間、カメラを構えた自分の手が
少しだけ重い。
でも、同時に思った。この一瞬を、自分の目でちゃんと見たい。
カメラ越しだと、見えないものがある。
それは、“空気観でもない” “息遣いでもない”
でも、写真に写らないものは絶対にある。
肉眼でしかとらえられないものが絶対にある。その笑顔を、レンズ越しではなく、
この目で焼きつけたいと思った。
精密に記録される写真よりも。
肉眼で見るほうが
ずっと確かな“記憶”になる気がした。
“今”を見逃したくなかった。
ランタンの光がで淡く光る表情の全部を、
この目で見ていたかった。
レンズ越しでは、たしかに一枚の「絵」にはなる。
上手に撮れば、感情も写真に乗せることができる。
でも、
その場にいた空気、心の揺れ。
それは自分の目で見て、心で感じた人にしか残らない。
だから最近は、撮る枚数を少し減らしている。
全部を記録しようとするよりも、一つひとつを“ちゃんと見る”ほうを大切にしたい。
たとえ時間が経って忘れてしまっても、その瞬間に感じた温度だけは覚えていると思う。写真を撮ることが悪いわけじゃない。
むしろ、私は写真が好きだ。
Iphoneで、光の筋を取れ得る方法を見つけるぐらい好き。
でも、時々思う。
写真って記録するためにある。
なら、肉眼に焼き付けるのも素敵だなと。
次にランタンを見上げるとき、
私はきっとカメラを持たない。
代わりに、
自分が見たものを心の奥に焼きつけたい。ここまで読んでくださりありがとうございます!!
少しでも、写真を撮ることについて考えるきっかけになれば、
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