なぜ東京は日本の首都になるのが遅かったのか
はじめに
ど素人の歴史考察なので間違いだらけだと思いますが、その点ご容赦ください
さて、表題の疑問について、現在は東京が日本の首都であることは紛れもない事実(一部では京が日本の本当の都だと言う過激派がいる)だが、日本の都は長らく関西を中心としてきた
しかし、これは、一見すると、特に日本地図を見ると、かなり違和感を覚える話である
なぜなら、関東平野はパッと見た限り、日本列島の中で圧倒的なポテンシャルを誇る土地であるからだ

人口に関しても関東平野は日本史において常にたくさんの数の人口を抱えていたし、急速な人口増加は江戸時代以降、もしくは明治期以降と考えられるが、早期からもっと人口が増えていてもおかしくないポテンシャルもあったと考えられる
(以下は生成AIの雑調査↓)


しかし、生成AIによると関東が畿内の人口に追いつくのは、江戸時代からである
まあ、ウィキペディアを見ると、鎌倉時代以降、畿内が大きく人口を伸ばしている
生成AIと違う部分は、平安時代は関東の方が人口が多かったようであるが江戸時代の始まりまでは畿内がたくさんの人口を抱えていたようである
しかし、江戸時代が進むにつれて、関東の人口が増えていき関東中心の世の中になってきたことは疑いようのない話だろう
ちなみに、わかりにくいが、ヒートマップで見れば、日本の人口は縄文時代は東日本に集中し、先史以降に西日本で人口増加したというのが大まかな傾向である


人口を増やしやすい、また地形的に開発をしやすく発展の素地が高いという観点では日本の地形を見れば圧倒的に関東に軍配が上がるはずである
しかし、そんなハイポテンシャルな関東平野を差し置いて、なぜ関西に都が長く置かれたのか、地形を見る限り不思議な気がする
この疑問に関して、わたしなりの見解を述べようと思う
縄文時代の日本は関東中心
日本の歴史は、基本的には西日本から起こるとされているが、それは古事記や日本書紀の影響が大きい
確かに日本の歴史は皇室の歴史であるとも捉えることができる
しかし、当たり前だが、それ以前から日本列島には人は住んでいた
見つかっている遺跡からすれば、縄文時代の日本の中心は関東であった
これは、人口や交易という観点でみた場合である
まあ普通に考えたらそうだろう
ややこしい話ではあるが、縄文海進のせいで縄文時代の関東平野は今よりは圧倒的に平野部が少なかったらしいのだが、それでも広く豊かな土地であったことは確かで、縄文時代において最も人口が多かった地域はやはり関東地域であった
途中温暖化で東北に拠点が移る時代もあったらしいがおおむね東日本が日本列島の中心地であったことは間違いないようだ
また、この時代の貴重資源と言えば、黒曜石である
黒曜石の産地は、東日本では主に北海道、長野、伊豆諸島である
西日本では、九州と島根の隠岐である
関東は、黒曜石の産地に近い場所にあり、その交易の中心、経由地として、関東平野は栄えていたと考えられる
縄文時代はまだ物物交換が主流だったが、それでもモノの流通は日本全国で起こっていたようである
北海道の黒曜石が九州で見つかっていたり、九州の土器が関東で見つかっていたり、この時代から人の移動、モノの移動が割と活発にあったことは間違いないようである
関東は日本列島の中で、平野の広さ、人口の多さ、資源の多さ、豊かさで他の地域よりも優れていたので、縄文時代の日本の中心と言ってもよかろう
実は、長らく日本列島の中心は関東地域だったのである
神話の誕生は西日本から
だが、ご存知の通り、日本の中心は西から起こる
まずは神武天皇の逸話を元にすれば、日本の始まりは九州南部(高千穂、宮崎鹿児島周辺)である
そして、東国遠征に赴き、なんか良さげな土地が見つかったから土着した
それが1番最初は淡路島である
しかし、淡路島の名前の由来は一説によると憐恥(あわじ)からきているようだ(※阿波、徳島への道というのが一般的な説であり、憐恥は俗説、しかし、私は俗説が好きだ)
名前から想像できるように、恥ずかしい土地という意味である
淡路島を中心にして、一回治めようとしたけど、ダメだったから捨てた土地、こう聞くとなかなか辛辣すぎる説だが、そういう説があるようだ
意外と納得してしまうところもあるから私はこの俗説をまるっと丸のみしてしまうことにする
この説に基づけば、日本神話の国産みで淡路島が1番最初に出てくるのに、すぐに次の島がポッと出ては次の島にという具合にいろいろな島が出てくるのは、このように各地の土地で全国統治を試みた形跡を示していたのではないかという推測ができる
最終的には関西地域に土着することになるのは歴史の流れから明らかであろうが、この流れどこかで見たことがあるかもしれない
奈良時代の狂ったような都の遷都である
そもそも、天皇家は存外土地にこだわらないタイプのようであるととらえることができよう
武士などには一所懸命という言葉があるように土地に対して命を賭ける人間がいる
この存在から日本人は土地への執着が凄まじい民族だと捉えがちだが、天皇家、日本神話や日本史を眺めると、存外そうでもないことが読み解けるのが面白い
例えば、そもそも神武天皇に始まる皇室の歴史は高千穂から東にどんどん出てきて、最後は奈良に土着するのだが、奈良にたどり着くまでにもいろいろな場所であれこれ試行錯誤していたようだ
道中に良い場所を見つけたら、そこに土着するつもりで出てきていたようである
その筆頭が最初は上記でも言ったように淡路島だったようである
しかし、ダメだったからいろいろな島を転々として、最終的に奈良にたどり着いた
わたしはこの説がスムーズに理解できるので、この歴史観を持っている
他にも色々な説があるが、一旦この記事はこの説を採用する
さて、なぜ淡路島はダメで奈良はよかったのかと言えば、当時、奈良には奈良湖という巨大な湖が存在したとされるからである
また、適度な平野と、背後には山があって、洪水によって土砂が堆積すると当時最先端だった稲作を行うのに相当適した場所になったようである(複雑な話だが、適度に土砂崩れが起きて土砂が流れてきた方が稲を育てるためのミネラルなどが豊富に流れてくるらしい)
また山には豊富な森林資源があり、これまた当時最先端だった鉄を生成する燃料として重宝された
そしてヤマト王権が誕生する
奈良を拠点としてヤマト王権はこの当時、豊富な資源と軍事力を背景に急発達した
黒曜石なんて、鉄の前にはもはやガラクタ当然だ
他の地域を屈服させ、もしくは懐柔していきながら、ムラからクニが誕生していく
クニには統治者とされる王がいるがその王にはさらに王がいるという形ができあがる
しかし、王は二人も要らないから、最終的に大王(おおきみ)が誕生する
それが天皇家の起源である
西暦200年くらいの話とされる
卑弥呼が歴史書で認識できる最古の大王だと思われているが、もっと前から大王を担う存在はいたとされる
さて、卑弥呼あたりの時代にはすでに相当な国家としての体裁は整ってきていたようである
この時代の日本の中心地は疑いようなく、邪馬台国であろう
その場所は賛否があれど、わたしは纏向遺跡だと考えている
古墳時代にかけては
ヤマト王権の支配地域は東は新潟、北関東、西は九州北部が支配地域となっており(九州南部は薩摩隼人がたびたび反乱していて、最後まで抵抗されていた。元々神武天皇は高千穂出身だから、多分本家の勢力が薩摩とかにあって、天皇家の血筋は分家みたいな立ち位置だったのかと予想される。本家としては分家に支配されたくないから最後滅ぼされる(※隼人の乱720年)まで争ったんじゃないのかと勝手に予想)、果ては朝鮮半島の南部にまで支配は及んでいた
朝鮮半島まで支配の手が伸びていたのは驚くべきことだろう
ただ、この記事の主題に立ち返ると、この時代は関東は完全に後進地域であると言える
この時代はまごうことなき関西、西日本が日本の中心であろう
弥生時代から古墳時代にかけては、奈良湖の存在、中国大陸、朝鮮半島からの技術の伝播がちょうどいい場所、それが奈良だった
関東は中国大陸へのアクセスが奈良に比べると悪い、かつ、鉄を生成するのに十分な森林資源へのアクセス(山までの距離)が悪かったというのがあるだろう
つまり、鉄と稲作という当時のハイテク技術が関西地域を日本の中心に押し上げたのである
ここに違和感はあまりないだろう
テクノロジーブーストで日本の中心になれた場所、それが関西である
鉄ブーストは古墳時代の終焉とともに終了
しかし、鉄ブーストの時代も長く続かない
テクノロジーブーストで奈良だけが発達していくのを他地域も黙って見てるはずはない
最初はテクノロジーの差による支配力の違いで抑えていた他地域との力の差も、他地域が発達してくるとどんどん小さくなってくる
すると、国力は単純に人口勝負になってくる
実際、古墳時代は各地の豪族もすんなり大和王権の支配を受け入れているわけではなかった
たびたび、反抗している地域があった
代表的なものとしては、吉備の乱(岡山)であろう
この地域は、特に大和王権に対する対抗心が強かったようである
鬼ヶ島の伝説などはここから来ているとわたしは思っている
大和王権からみたら敵だから、鬼とか表現していたのだろう
多分ほんとに鬼に金棒なる棍棒を武器にして戦う集団だったのだろう
また、鬼のトレードマークである角だが、本当に兜のような仮面に角をつけて戦っていたのかもしれない
余談だが、最近、鬼のコスプレグッズを買うと、単純にかわいかったりかっこよかったり感じるので、当時吉備の地域で最先端のファッションだったのではないかと思ったりもする
ヤマト王権に逆らうまつろわぬ民だったから、今でも鬼なんて蔑称で呼ばれているが、鬼の装束ってなんだかんだカッコよかったせいで、今も節分の豆まきなどで残っているのかもしれない
桃太郎の話も末永く残っていることから、相当強くてイケていてカッコいいやつが吉備の地域を支配してたんじゃないのかとか思ったりする
まあ吉備の乱は、相当、ヤマト王権の脳裏に残る出来事だったことは間違いなさそうである
こう考えると面白いなと思った
ちなみに、これまではヤマト王権は組織化した軍事力を持って一方的に蹂躙していたようだが、吉備氏の乱の時はかなり苦戦したようである
日本史上事実上初めての内乱とも言えそうだ
そして反発する勢力はそれだけに止まらない
ほか、筑紫磐井(つくしいわい)の乱(福岡)も有名だろう
途中、まつろわぬ民(ヤマト王権に逆らう者たち)の蔑称である土蜘蛛を倒しながら磐井を討伐しにきたらしい
多分、土蜘蛛は吉備の残党のことを言っているのだろう
このような戦いを経る中で、ヤマト王権は強大な軍事力を獲得していき確固たる地位を築いた
王族(豪族)としての権威を示す古墳も形骸化し、ヤマト王権にいよいよ逆らえるチカラを持つものもいなくなった
古墳時代の終わりとともに、事実上の日本列島の支配者が決まった
そして時代は奈良時代に入る
奈良時代〜平安時代に関西地域が日本の中心となっていたのは完全に惰性説
さて、事実上の日本列島を支配したヤマト王権は律令国家を作る
この時に都は引き続き、奈良に設定されたが、この時すでに、関西から出る選択肢はあったのではないかとわたしは思う
なぜなら、奈良時代は、コロコロコロコロ都を移転しているからだ
飛鳥に始まり、難波に行ったり、藤原に戻ったり、平城に行ったり、難波やら、大津やら(時系列適当)転々とした後に、長岡にしようとして結局、京都の平安京に落ち着くのである
平安京に落ち着くまでに100年以上ももかかっている
王朝が交代するならいざ知らず、同じ王朝の中でこんなにもコロコロ都を変えるのもなかなかないのではなかろうか
ていうか、なんだそれ
さて、ここで思うところがある
都の変遷は全て関西地域で起こったことだった
しかし、これは、よくよく考えれば、関西以外の地域に遷都するという道もあったはずである
元々、関西は鉄ブースト、稲作ブースによって日本の中心に押し上げられてきた地域である
そう考えると、奈良時代はすでに鉄ブーストは切れていて、この時代からは支配者が関西に土着していたという理由だけで、日本の中心は関西を転々していたとも考えられる
特に京都への都の変遷は、奈良の仏教勢力の排除であることが主な理由だから、思い切って、関東移転してやる!という発想もあり得たのではないかと思う
残念ながら、関東が日本の中心に返り咲くのは鎌倉時代まで待たねばならないが、実は、この時に東日本を開拓するという選択肢を取るムーブメントもありえたのではないかと私は思ったりするのである
まあ、この時代はまだまだ蝦夷の勢力が北関東まで及んでいた時代だから、そんな敵勢力のそばに都をおきたくないという力学もあったのかもしれない
だが、蝦夷は国防の観点で言えば、朝鮮半島やその先の中国大陸に比べれば無視できる地域だともいえる
実際、白村江の戦いで唐・新羅と闘い窮地に立たされた時に、関東というより後方地域に引きこもるという選択肢も取りえたはずだと私は思ったりする
大津への都の変遷のときに、太平洋戦争における大本営が本土決戦の時に、松代首都移転計画のような計画を持っていたことを考えると、ヤマト王権(朝廷)の東国(関東)への都の移転計画は地味にあったのではないかと考えると考察は普通に面白そうだなとおもったりする
その場合は、どこになったのだろうか
妄想がやまない話である
さて、と言ってもこの時代は鉄稲作ブーストで西日本が発展してきた時代の名残が根強く残っている
まだ関東の人口はそこまで多くなく、重要な地域ではなかったのだろう
この時代に将来のポテンシャルを見越して都を遷都していたらそれこそものすごい快挙だろう
測量技術なんてまだまだないのだから、地形を元にどこに都を置くべきかなんて決めるのは至難の業だったのだろう
惰性によって関西中心の社会はつづく
日本史史上1番ヤバかったのは白村江の戦いでの惨敗
ちなみに余談だが、わたしは日本史上最も日本が存亡の危機に立たされたのは、日露戦争、太平洋戦争と白村江の戦いの惨敗だと思っている
この3つの出来事を経て日本がいまだに生き残っているのは単純に運が良かったのだろうとわたしは考えている
この出来事を見ていると、日本は意外と修羅場をくぐってきた勝負師国家であるとも思える
まず、白村江の戦いだが、これは世界史の観点でみれば、唐の勢力拡大に対する日本の防衛戦争だった
唐時代はやる気満々だったから、戦わないという選択肢はなかった
戦わないこと、それ即ち屈服、つまり、日本の国家消滅を意味した
日本人は縄文時代に大陸からやってきたとされるが、意外と大陸に対しての同族意識はないのは不思議なことである
特に中華地域とは完全に別の集団であると我々は意識している
それは一説によると我々日本人はモンゴルなどの中央アジアに住んでいた人種が北海道経由で流れてきたからだとも言われている
キルギスの人はもはや日本人と区別がつかないことからも大体その傾向は合っているのではないかとわたしは思っている
ちなみに、それでこのことから実は日本人は古代エジプト文明と交流を持っていたなどという説(中央アジアにいた日本人の祖先が西に向かったのがエジプトで、そこでエジプト文明を起こしたという説、ヒエログリフが日本語と似ていることから端を発する説)などもあるがあながちあり得そうな話なのが、ロマンの広がるところである
さて、話を戻すと、このようなルーツであるため、中華圏などの支配は完全に別の集団の、忌むべき支配だと思たのだろう
日本は頑強に抵抗する道を選ぶ
防衛を決めたら先手必勝である
相手が来るまで指を咥えて傍観するなど自殺行為である
盾となってくれる味方の国家を擁立し、自国に勢力が及ぶ前に彼らで進軍が停止するのが最高の展開である
日本本土でなく、朝鮮半島で唐新羅連合軍に攻撃を仕掛けるのは必然的な選択肢なのである
さて、ここで驚異的だったのは、白村江の戦いに動員された人間の数である
その数なんと2万7千人
当時、日本の人口は500万人とされているから、200人に1人の動員数である
そもそも、電子機器もないアナログの時代に500万人もの人間を統治し、そして、数万人の兵力を組織できたのって、地味にすごいことだと思わないだろうか?
当然中国大陸ではすでにその人数規模の戦争は何度も起こってきたから中国史を見ると感覚が麻痺してきそうになるが、島国日本として、自国の歴史を我々はなにかと侮りがちになるが、そんなことはないということを我々は理解しておくべきである
さて、そのような動員能力を見せたヤマト王権だったが、結果は大惨敗
集めた兵力を全く活かすことなく犬死にさせる結果となった
この出来事には、天智天皇も流石に肝を冷やしただろう
都にすっ飛んで帰ってきた途端に、大津に遷都するという焦りっぷり
そして、同時に大量の砦を築く
古代山城と呼ばれる城である
7世紀の砦だがそのクオリティを侮ることなかれ、下手な中世城郭よりも高い石垣が組まれていたりするからだ
そして、現地に行ってみるとなぜかわからないが当時の切迫感が理解できる気がする
急ピッチで作られたのがよくわかる遺構が見られたりするからである
しかし、驚くべきところはそこじゃない
その凄さは、規模のデカさである
中世城郭に引けを取らないのではないかと感じされる規模、クオリティの城が7世紀に作られているというのがものすごい感動を呼ぶポイントである
あのような遺構を見たら、7世紀はもはや石器時代とは一線を画しているのだなと体感をもって理解できるだろう
さて話は逸れたが、日本側も次こそは防衛してやるつもりで万全の体制を敷いていた
迎え打つ気満々である
しかし、結果は皆さんもご存知の通り、唐の侵攻は起こらなかった
歴史的には運と語られることが多いが、実際のところは、白村江の戦いを起こすことで、かなりの軍事力を動員できる力をみせたことで、唐の侵攻を思いとどまらせた背景があるはずである
朝鮮半島に数万人を出兵させる力である
本拠地を攻めたらより一層の頑強な抵抗があることは容易に想像がつくだろう
攻める側も相当の出血を伴うため、そこまでして攻めるインセンティブはなかった
白村江の戦いでは大惨敗したものの、攻めたことによって結果的に侵攻を防げたのである
もしかすると攻められて、国家滅亡があったり、亡命政府が関東で頑強に抵抗していたかもしれない未来があったかもしれないと考えると面白いかもしれない
まあ、何事もなかった現実世界が最も良かったとは言えよう
鎌倉幕府の成立は必然
さて、話を元に戻す
平安時代はすっ飛ばそう
この時代は関東の人口増加期である
関西のテクノロジーボーナスも終わり、ようやく全地域が人口増加していく時期である
しかし、やはり都というものの存在はでかかった
現代で東京一極化が起きているように、この時代もまた地方から京に登る人がやはり多かった
理由としては、過剰な税があるらしい
労役が重すぎて、京のそばに住まなければ現実的に生きていけなかったようである
このことによって関東、その他の人口増加は阻害される
しかし、やはりポテンシャルはでかいというのもあろう
そのような逆風があっても、着実に人口は増えた
そして、時代はついに鎌倉に突入する
歴史的には荘園制度の崩壊など色々とあるだろうが地政学的に見たら、人口が多く発展ポテンシャルが高い場所に都が移っただけと捉えることもできよう
わたしはその方が単純な理解が簡単だと思われるので、この説を支持する
ようやく関東に日本の中心が戻ってきた瞬間である
まあせっかく関東に居を構えるに、鎌倉という場所に幕府を置く位置取りは若干どうかと思う部分があるが、手狭になってきたら江戸方面への広がりを感じさせられる点では評価されるべき場所だろう
ちなみに教科書的には防御的に優れているから鎌倉にしたそうだが、実際の戦闘においてはほんの数週間も持ち堪えることができていなかったので、そこは理屈だけの話って感じはすごいする
とにもかくにも、鉄や稲作のような最先端テクノロジーのブーストがなければ、日本の中で勝手に人口が増えていくのは関東が1番大きいはずである
そうすると地政学的に考えれば、関東地域がいずれ日本の中での影響力を発揮するのは確実な流れであり、実際に鎌倉時代に京から関東への中心シフトが起こったのである
シンプルだが的を得ている考え方だと思うのでわたしはこの説を支持することとする
元寇は大したことなかった説
さて、日本史において大きな出来事である元寇であるが、これは実は鎌倉幕府からすると大したことはなかったのではないかとわたしは思っている
教科書的な説明では、元寇は鎌倉幕府が倒幕される遠因になったとされるが、果たしてそうだったのだろうか?
実際は遠因になったとも思うが、元寇自体は命からがら元を退けたというストーリーは最近だと疑問に思われている
鎌倉武士は楽々とまではいかないが、案外危なげなく元軍に勝っていたというのが最近の通説である
元が日本を屈服させる世界線は、鎌倉幕府が相当ポンコツでない限りなかったと思われる
この時代には、日本の軍事力時代はかなりの程度あったようだ
ただ、俸禄がなかったら奪いにいくという流れで、報復として朝鮮半島を攻めにいくという選択を取らなかったのが鎌倉幕府の敗因というのはあるかもしれない
古今東西、無駄に大きな軍事力を手持ち無沙汰にしておくと、自分たちの政権そのパワーは向いてしまうというやつかもしれない
室町幕府の誕生は大誤算、かつ国益の侵害
しかし、そうは言っても、鎌倉幕府が滅亡までいくのは、わけがわからない
仮に鎌倉幕府が滅亡したとしても、次の政権も関東に根を張るのが可能性としては高かったはずである
しかし、時代は理屈とは全く違った流れを辿る
それは、全て足利尊氏というチートモンスターの出現によって日本の歯車が狂ったと言えよう
尊氏が存在しなければ、そもそも鎌倉幕府は滅ばなかっただろう
そもそも尊氏は鎌倉政権の武士の棟梁だった人間である
それが急に後醍醐天皇が好きだからっちゅーて手のひらを返すように、幕府にその剣の矛先を向けるのである
端的に言って意味不明である
尊氏を登用した鎌倉幕府が間抜けというのは、その通りであるが、しかし、鎌倉幕府の政治の要職につくものがそこまで頭が悪かったかというとそれも不思議な観点がある
裏切られたら死ぬような要職にそんな化け物を擁立するだろうか
尊氏という人間は相当、意味不明な人間だったのだろう
尊氏、サイコパスとよばれる所以である
さて、ノリと勢いで鎌倉幕府を滅ぼすのはまだ良かったとして、その後の流れも謎である
まず、超めんどくさい後醍醐天皇と結局仲違いして、後醍醐天皇を追い詰めるのに、最後結局、寛大な処遇をして、案の定、後醍醐天皇に逃げられて、南朝を作られるわ、もはや意味わからないムーブメントが続く
しっちゃかめっちゃかとはまさにこの状況であろう
尊氏と後醍醐天皇ワールドに振り回された結果、なんと日本の中心はいつの間にか京都に戻ってしまう
これが、日本史史上最も愚かな歴史の流れだったとわたしは思っている
なぜなら、その後、戦国時代が来て、関東ポテンシャルを発揮する機会、開発する機会を失ってしまうからだ
これがなければ、約300年早く江戸時代が来て、日本はもっと発展していたとわたしは思うのである
戦国時代とかいう最悪の時代
さて、しっちゃかめっちゃかで始まった室町時代が安定するわけがなかった
中央集権体制が弱まった結果、結局、戦国時代がきてしまう
さて、先ほども述べたが、個人レベルに見れば戦国時代というのは歴史浪漫をかき立てられる面白い時代であると同時に、国益の観点で見れば最悪な時代だった
なぜ戦国時代が最悪かといえば、しょうもない技術投資ばかりがなされるからである
戦争は科学の父と言われるが、それは近代史以降の話である
戦国時代の戦争は、石垣を建てたりなどの再活用が難しい技術ばかりが発達してしまった
土木工事に関しては、治水でも成長するから堀や土塁などを築いている暇があるなら、護岸工事を行うべきであったはずである
信玄堤など後世に残る土木構造物は作られるが、これは別に戦国時代だから成立したものでもあるまい
むしろ、平和な時代の方がより強固で大規模なインフラが作られた可能性すらある
江戸時代に起こる利根川の付け替えなどが良い例だろう
例にもれず関東も戦国時代にドンパチが絶えない地域だったが、このようなドンパチをしていて、利根川の付け替えが行われるわけがなかっただろう
むしろ戦国時代がなければ、利根川の付け替えなどのような大規模土木工事はもっと進んでいた可能性すらある
戦国時代は群雄割拠で各地の大名が力をつけた時代とみることもできるが、日本全体で見たら結局国力が落ちた時期だと考えるべきだろう
中央集権体制であれば、宣教師に好き勝手されなかっただろうとも思う
元寇ときに、危なげなく元軍を跳ね返せていた鎌倉幕府と同様に、宣教師は一歩も日本本土の土を踏むことなく、むしろ前哨地になっていたフィリピンを日本側が先んじて攻略しに行っていた未来すらある
アユタヤにはじまる東南アジアの日本人街は前哨基地の側面もあったといわれている
戦国時代は国内のドンパチに目が行きがちだが、世界史の中の日本の立ち回りとしてしっかり外国からの侵略に対する防衛策は講じられていたというのも面白い話である
まあ、幸いにして、宣教師の活動が活発化する前に織田信長が天下統一を果たし、その後も大規模な分裂を伴わずに、秀吉、家康と時代が進んでいけたのが、幸運なことだっただろう
やっと江戸時代
さて、ようやく江戸時代に来る
江戸時代になると日本の人口は急激に増加する
これはひとえに日本で最も大きな関東平野を効率的に開拓することができたからだろう
江戸中期あたりで日本列島で自給自足できる人口の最大値に到達した
人口が増えるとよいことがある
それは技術革新が進むという点である
平賀源内のような人物をはじめ科学史に名前を残してもおかしくない偉人がたくさん出ていた時代である
このことから予想されることはもっと日本が近代化の素地が早期に整っていたら、つまり、室町幕府など成立せずにそのまま関東政権が順調に成長していたら、日本がイギリスなんかよりも真っ先に近代化していた可能性が考えられるということである
室町幕府が成立していなければ江戸時代開始以前に人口上限に達することができていたはずであり、インフラももっと早期に整い、ヨーロッパで大航海時代が来ていたように、アジア版の大航海時代も起こっていたはずである
実際、倭寇のような存在が東シナ海で暴れていたくらいだからである
彼らのような勢力がヨーロッパでは世界をめぐっていたのに、室町幕府が成立して日本を混乱期に導いたせいで、大航海時代を逃したのである
それらの機会をすべて台無しにしたのは足利尊氏である
やはり足利尊氏は国賊だ
そして逆にその時代を持ち直した徳川家康は偉大だともいえる
日本史全史で考えても、江戸に事実上の都をおいたことは超ファインプレーであろう
地政学上、理論で予測される正解に、ようやく江戸時代になってたどり着いた
ただし、鎖国についてはどうだったのかは評価が難しいところであろう
すでに世界に取り残され始めていた時代に、鎖国をしてより一層世界から取り残された側面はあると思われる
ここは江戸幕府のアカンところだったかもしれない
それでも、室町、戦国期のような混乱がないだけ日本発展史においては重要フェーズであることは間違いない
明治政府はガチ天才
さて、次に、日本至上最も重大な時代が来る
それは、明治時代である
日本の近代史の始まりの時代であり、日本が現在世界において十分なプレゼンスを示すための素地を作った時代である
この時代のかじ取りが失敗していたら、我々の今現在の豊かな生活はなかったであろう
間違いなく
この時代に活躍した偉人の活躍はそのまま私たちの生活の豊かさに直結していると考えると、明治維新は日本史上稀に見るほど天才、偉人の集まりだったと言ってもいいだろう
まず、江戸城を無血開城させている点がすごい
戦国時代のような大規模な混乱期を経ることなく次の時代に移行できたことは紛れもない成果だろう
室町時代は足利尊氏のような国賊が現れても他国に侵略されるというようなリスクはなかったのが幸運な時代だったが、明治期はここで混乱期を迎えると確実に他国の支配を受けることになったからだ
ここが明治政府の最も評価できる点であろう
また、首都を引き続き、江戸に置いた点も評価できる
出身地の薩摩とか長州を本拠地に据えず、国益を十分に考えて、しかるべきところに首都を構えたのは十分評価に値することだろう
また象徴の中心(天皇)も東京に引っ越させた点(いつまで経っても京都復古が起きてしまうのを防げた)も非常に評価できる
京に天皇が在位してしまうといつまで経っても政治の中心がちぐはぐになってしまう
象徴を東京に配置することで、心理的な首都の移転も行うことができた
これで無駄に京を目指すこともなくなる
地政学的に考えれば、近代期に京を都に据えるメリットなど一つもないため、これは完全にやってよかったことだろう
また、面白いのは天皇家は本当に土地に対する執着がないんだなという点である
もともと、高千穂から土着する場所を転々としてきて、奈良に来てからも都を転々として、京にたどり着いたという歴史を考えれば、東京に移動するというのもそんなにハードルは高くないことだったのかなとも思える
京は居心地が良かったが、もっといい場所あるなら東京に都、作っちゃお!昔から変わらないムーブメントというだけなのかもしれない
余談だが、秀吉の朝鮮出兵や日中戦争の際には上海に皇居を置くという世界線の話もあったようである
なんとも面白い話である
話をもとに戻すと、明治政府の次の成果は、近代化を成功させた点にもある
まあこれに関しては、時代の流れに従っているため、必然的だともいえる
しかし、どこかでこけることなく、近代化を成功させるというのは単純に大事なことなので、評価に値するだろう
大事だ
そして、次に明治政府のえげつない成果は、日露戦争に勝っちゃうところ(←これが1番エグい)だろう
これは、明治政府ゆえに成しえた話なのかと思われたりも個人的にはする
日露戦争は白村江の戦いと同じ程度の国家存亡の危機だった
圧倒的な国力差があったので、江戸幕府が存続していたら弱腰外交によって日本という国家はこの時に滅亡していたかもしれない
ロシアによる日本列島の支配まではおこらなくとも、少なくとも北海道や朝鮮半島はロシア帝国の影響力が強まって、東アジア情勢は今とは全く異なる様相を示していただろう
対ロシアへの防衛費がありえないレベルに達し、国民生活はいまだに逼迫していたかもしれない
明治時代に生きている人からすると明治時代はそこまで生きやすい時代であったわけではないとおもうが、その時代の奮戦のおかげて我々現代人の豊かさがあると思うと、我々はこの世代の人々に足を向けて寝てはいけないと思ったりする
ただ、手放しで明治政府をほめることもできない部分がある
明治政府にもクソなところは当然ある
廃仏毀釈などは本当にクソムーブだったろう
神道と仏教分ける必要なかったやろ
しかもその過程で文化財破壊しまくっているのでちょっとその辺は明治政府クソアカンやろと私は思っている
昭和前期、大本営クソすぎるよ
さて、しかし、明治維新の偉人は強すぎたのに、その次の世代がクソすぎた
明治維新で日本の運を使い果たしたのかっていうくらい、大本営はやることなすこと全部が裏目に出た
突入する必要のない日中戦争から始まり、絶対にやる必要がなかった太平洋戦争で惨敗するのである
ここで日本の命運は尽きたが、なぜか今日本は存続している
これに関しては完全に時代の幸運であるとしか言えないだろう
昭和後期、奇跡の復活というか大発展えぐい
太平洋戦争に負けて終わりと思われた日本だが、なんやかんやで、日本は復興する、どころか、戦前体制では到底到達できないレベルまで国家が繁栄する
まず、国防をまるっと米国に依存できたことが非常に大きいだろう
当時の東アジア情勢において、日本を侵略するポテンシャルがある、つまり脅威とみなされるのはソ連だけだった
そして、米ソ対立において、日本はフロンティアに立つ位置だったが、幸運なことに対立は冷戦の構造を取ったため、日本は戦地にならずに済んだ
しかも時代を経るごとに日本は米ソ対立のフロンティアの位置からも遠ざかっていく
日本列島は米国の盾として重要地域だが、日本がソ連に侵略されたら、もはや米国は喉元にナイフを突きつけられてしまう形になる
それはいやなので、次の盾を探すとそれは必然的にそれは、朝鮮半島となる
そして朝鮮戦争で南朝鮮に米国の影響力を確立できた時点で日本の国防は最高に素晴らしい状態になった
米国の顔色さえ窺っていれば、どこの国の支配も受けないのは確定する
しかも、米国からすると、フロンティアは朝鮮半島である
日本を変に刺激して日本をソ連の傀儡にして米ソ対立のフロンティアを誘発するような状況を作りたくもないだろう
よって、米国の日本政策は融和的なものが多くなる
もはや日本にとってはボーナスタイムになった
そして、その状況を最大限に活かして、日本は奇跡の発展を起こす
この時代の工業政策が当たったこともデカいだろう
博打というほど無謀な賭けではないにせよ、選択と集中を行って、経済政策全振りで国家運営を行っていたのは脱帽する部分であろう
思い切りがなければできない話である
まあ戦後のもはや今より最悪な状況はないからもうどうとでもなれ精神で賭けに出られたというのもあるかもしれないが、その振り切りがなければ、ここまでの発展が見込めなかったかと思うと、昭和時代の政治はそれなりに偉大だったと評価できるだろう
このときに京浜地帯の港湾部は開発に開発されまくった
昔はこの辺りは干潟が広がっていたといわれてもピンとこないレベルに護岸工事されまくっている
干潟の生物多様性は死んだが、それを補ってあまりある工業化のリターンがあるから手放しで批判できることでもないだろう
しかし、このような京浜地帯の工業化は東京に首都があったからできた話だろう
江戸時代からその下地を整えてきて、戦後にようやくその真価を発揮できたといえよう
戦前まではまだ京都の存在は大きかったかもしれないが、現代は東京に勝てる都市などない
ようやく京都という場所の都の機能が終わった瞬間でもあろう
おわりに言いたいこと
長々ととりとめのない話を聞いてくださってありがとうございます
すごく長々と文章を書いたので、何かまとめ的なことを言っておきましょう
わたしがこの記事でとりあえず言いたいこととしては、日本の歴史は地政学的に帰結される必然的な選択肢(東京に首都を置く)をたびたび逃してしまったせいで、世界覇権国になれず、ひいては最終的に敗戦国に甘んじる結果になってしまったのではないかということです
日本の発展は関東地域でブーストされるはずだったが、それは江戸時代以降の話で非常に遅かった
日本をより発展されられた歴史のイフのターニングポイントは主に二ヶ所あって、一つ目は平安遷都の際に関東移転を行えたのではないかという点、もう一つは、足利尊氏が室町幕府を京で起こさず引き続き鎌倉で起こしていたらという点である
一つ目の平安遷都での関東移転は当時の情勢としてはかなり難しいものかもしれないが、この時に首都を関東移転していたら、日本の発展はとんでもない領域にまで進んでいたかもしれない
ただこれはあまり現実的ではないだろう
しかし、もう一つの方が致命的なものだった
足利尊氏という化け物が日本に生まれてしまったせいで、普通なら起こるはずのない関東から京への首都リターンが起こり、そこから日本の発展の歯車が狂ってしまった
足利尊氏さえいなければ、鎌倉幕府が倒されることはなく、少なくとも日本の中心は関東であり続けた
そして、関東の成長ポテンシャルを利用して日本は他国に、イギリスに先駆けて産業革命を起こし、
世界覇権国になっていた
大航海時代もアジアが中心となって、行われるようになり、アメリカ大陸も日本が支配していた
アメリカは今と同じように多民族国家になっていただろうが、イギリスが史実での日本の立場となって、アメリカと敵対していただろう
日本は敗戦を経験することなく、アメリカと敵対することもなく今よりも発展した社会を謳歌していた
これがわたしの考える歴史シナリオである
全ての歯車を狂わせたのは足利尊氏である
足利尊氏は国賊…やはりこの理解が1番しっくり来よう
足利尊氏、再評価の流れはこれにて終了
やっぱ尊氏のおっちゃんはダ〜メ(キャラ立ちしすぎて憎めないけど、国益で考えたら忌むべき敵。故に断固として尊氏をこき下ろす! これが正しい歴史観だとわたしは主張させてもらう)
要は、足利尊氏は国賊
これがこの記事の要旨でありました
この記事ぐっちゃぐちゃで何かいてるのかわからんわーとなっている人は、足利尊氏は国賊、このフレーズだけでも是非お持ち帰りください
それではまた
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